第7話:王国最強の女騎士、物理の深淵に触れる
「……手合わせを願いたい」
地下倉庫の冷たい空気を切り裂くように、ヒルダが言い放った。抜かれた銀の長剣が、勇の喉元へ向けられる。
「ちょっと、待ちなさいよ! 勇に触ったらアンタ――」 「下がってろ、セレナ」
勇が静かに、だが重みのある声で制した。 セレナを背中に背負ったまま、勇はヒルダの琥珀色の瞳をまっすぐに見据える。
「あんた、王国最強なんだろ? 悪いけど、俺はあんたと戦う資格すらないんだ。俺が少しでも力を込めれば、あんたを殺すどころか、この建物を突き抜けてあんたの部下まで押し潰しちまう。……これが、戦いに見えるか?」
勇の自嘲気味な言葉に、ヒルダは眉をひそめた。
「……傲慢だな。私を、その程度の柔な戦士だと思っているのか? その『重圧』の正体、私の剣で暴かせてもらう! 参る!」
ヒルダが地を蹴った。速い。 勇の視界で、銀の閃光が幾重にも重なって迫る。 勇は、平均的な反射神経でそれに応えようとした。だが、彼の身体は「平均」ではない。
(……止める。傷つけずに、ただ止めるだけだ!)
勇は右手を伸ばした。 迫りくる剣先に対し、人差し指の腹をそっと「置く」ような動作。
――キンッ、という澄んだ音。
次の瞬間、ヒルダの長剣は、勇の指が触れた一点から粉々に砕け散った。 それだけではない。指が空気を押し出したわずかな余波が、ヒルダの全身を襲った。
「――っ!?」
ヒルダは、目に見えない巨大な鉄槌に殴られたかのように、数メートル後方へ吹き飛ばされた。背後の石壁に叩きつけられる寸前、勇が咄嗟に左手を「かざす」ことで、空気の壁を作り、彼女を衝撃から保護した。
「……くっ……はっ、はぁっ……」
ヒルダは、手元に残った柄を見つめ、震えていた。 勇はクレーターをさらに深く踏みしめながら、彼女に語りかける。
「……悪いな。これが俺の『普通』なんだ。あんたがどれだけ強くても、俺の密度とは噛み合わない。……怪我はないか?」
勇が手を差し出そうとするが、すぐに引っ込めた。触れれば、彼女の腕を折ってしまうかもしれないからだ。 その勇の「優しさ」と、圧倒的な「絶望」を同時に突きつけられたヒルダの瞳に、熱い火が灯った。
「……信じられん。剣筋を読み、受け流すことすら許さない絶対的な質量……。師、師匠……!」
「……え?」
ヒルダは崩れ落ちるように膝をつき、砕けた剣の破片を拾い上げた。
「私は今まで、自分の強さにうぬぼれていた。だが、師匠……貴殿のその『不動』の境地! 守るために力を抑え、一指で理を砕くその御力! 私は、そんな武の深淵を初めて見た!」
「いや、弟子なんて取る気はないぞ。俺はただの一般人だし――」
「ならば、せめて傍に置いてください! 貴殿がこの世界でその力を振るわぬよう、暴走せぬよう、私がこの身を賭して御守りする! ……いえ、その、重すぎて私には支えられませんが、せめて身の回りのお世話だけでも!」
ヒルダは顔を真っ赤にしながら、だが真剣な眼差しで訴えた。 勇は、背中のセレナと顔を見合わせた。
「セレナ、どう思う? 追い返そうにも、この性格じゃ無理そうだけど……」 「……ふん。まぁ、アンタがダイヤモンドで作った椅子を運ぶくらいの役には立つかしら。それに、地上の自警団に睨まれるよりは、リーダーを仲間に引き込んだほうが得策ね」
セレナは不服そうに頬を膨らませながらも、ヒルダの加入を認めた。 勇は溜息をつき、ヒルダに向き直る。
「……分かった。弟子じゃなくて、協力者としてなら歓迎するよ。……ただし、俺の身体に触れるときは、セレナの指示に従ってくれ。……死にたくなければな」
「はっ! 肝に銘じます、師匠!」
こうして、一歩も歩けない勇者の地下室に、新たな「重すぎる忠誠心」を持った女騎士が加わった。 神輿の完成を待たずして、勇の周りはさらに密度を増していく。




