第13話:密着歩行は、愛と物理の境界線
「……勇、左に寄りすぎ。私の腕が抜けちゃうじゃない」
「悪い、セレナ。でもヒルダが右からグイグイ押してくるんだよ」
「申し訳ありません、師匠! ですが、私が一分一厘たりとも離れぬよう意識すると、どうしてもこう……力が入りすぎてしまい!」
町を歩く勇の姿は、端から見れば「両手に花」を地で行く、とんでもない羨望の的……に見えるはずだった。 だが実際は、勇の背中にセレナが文字通りおんぶ状態で張り付き、右腕をヒルダが両手でがっしりと抱え込んでいるという、非常に奇妙な「三人羽織」のような状態での移動である。
「……なぁ、宿屋に入るのはいいけど、これ、ドアを通れるのか?」
目の前には、この町で一番頑丈だという石造りの宿屋。 勇が一歩踏み出すたびに、セレナの術式が「ジジ……」と火花を散らし、地面が数ミリだけ不自然に沈み込む。1/1200の重力下で、勇の1万4400倍の質量を「地面を壊さない程度」まで中和し続けるのは、セレナにとっても至難の業だ。
「大丈夫よ。ヒルダ、貴女が先に中に入って、勇を中に引き寄せて。私は背中から押し込むから」 「はっ! 了解であります。師匠、失礼して……!」
ヒルダが勇の右腕を抱えたまま、横歩きで狭いドアをくぐる。続いて勇がカニ歩きで入り、その背中にセレナがへばりつく。 平均的な日本人なら一人で通れる幅だが、今の彼らは「三体合体」の状態だ。
「……痛たた。セレナ、胸が当たって……」
「文句言わないの! 貴方が一瞬でも私から離れて質量を解放したら、この宿屋、基礎から粉々になるのよ!?」
なんとかチェックインを済ませ、部屋に入る。 ようやく一息つけるかと思いきや、本当の試練はここからだった。
「さて、勇。……夕飯の時間よ。はい、あーん」 「……やっぱりこれか」
勇は椅子(もちろん超高密度合金製)に座り、身動きが取れない。右腕は術式の安定のためにヒルダが抱え込み、背後はセレナがガードしている。つまり、勇の両手は事実上「封印」されているのだ。
「師匠! この宿自慢の硬焼きパン、私が細かく砕いて差し上げます! ……ぬんっ!」
ヒルダが左手一本で(右手は勇の腕を離せないため)、岩のように硬いパンを粉々に粉砕して勇の口に運ぶ。 反対側からは、セレナがスプーンでスープを運んでくる。
「ほら勇、野菜も食べなさい。リミッターの維持には、貴方の栄養状態も大事なんだから」
「……あ、ああ。……うん、味はいいんだけど、なんだろうな。この、平均的な男としての尊厳が削られていく感じは」
「贅沢言わないの! 王国最強の騎士と女神に食事を運ばせておいて。……あ、ほら、口の端にスープがついてるわよ。……ん」
セレナがごく自然に、自分の指で勇の唇を拭い、その指をペロリと舐める。 それを見たヒルダが、「な、なんと破廉恥な! セレナ様、ずるいです! 師匠、次は私の番です!」と頬を赤くして身を乗り出す。
密着しているせいで、二人の体温も、鼓動も、そして微かな嫉妬の混じった空気さえも、勇の肌にダイレクトに伝わってくる。
(……一歩歩けるようになった代償が、これか。……でも、まぁ)
勇は、自分のために必死に「重力」と戦ってくれる二人の顔を交互に見た。 この不自由で、あまりにも重厚な日常。 平均を愛した男の心は、1万4400倍の質量などよりもずっと重い、二人の想いに押し潰されそうになっていた。




