プロローグ
重田勇は、自他共に認める「平均」な男だった。 身長171.5cm、体重65.3kg。趣味は特になく、休日は惰眠を貪るか、SNSで平均的な情報収集をする。平均的な中小企業に勤め、平均的な給与をもらい、平均的な独身生活を謳歌する。彼の履歴書には特筆すべき輝かしい功績もなければ、語るに足る悲劇もなかった。そんな彼にとって、人生とは波風を立てずに歩く平坦な道であるはずだった。
「……ま、今日はこんなもんか」
会社の帰り道、コンビニで買った平均的な唐揚げ弁当を平らげた勇は、ペットボトルのお茶を一口飲む。 今日も満員電車に揉まれ、平均的なストレスを蓄積し、平均的な疲労感と共に家路に着く。この穏やかで、何の変哲もない日常こそが、勇にとっての「幸福」だった。目立たず、争わず、ただ「普通」に生きる。それが彼の信条だった。
しかし、その「普通」は、唐突に終わりを告げる。
「……ん?」
ふと、足元を見た瞬間だった。アスファルトの路面が、ぐにゃりと波打ったように見えた。視界の端が、テレビの砂嵐のようにノイズが走る。 一瞬の出来事。しかし、その刹那、地球という惑星から「重田勇」という存在の全記録が、インクを零したように消滅した。 彼の住んでいたアパートの部屋は空室になり、会社のデスクは最初から無かったことになり、家族や友人の記憶からも、彼の名前は綺麗に削り取られた。まるで最初から存在しなかったかのように。
次に彼が目覚めたのは、真っ白な虚無の空間だった。 上下も左右もない。ただ、無限に広がる白い世界。不安と戸惑いで心臓が早鐘を打つ勇の目の前で、空間が裂けるように現れたのは、一人の女性だった。
「おめでとう! 徳も業も平均的な貴方には、第二の人生を用意してあげたわ!」
豪華な椅子にふんぞり返り、自信満々に微笑む彼女。プラチナブロンドのロングヘアに、澄んだスカイブルーの瞳。白を基調としたミニ丈の神官服を纏い、首元には不思議な鍵のペンダント。いかにも「女神」といった雰囲気の彼女は、勇の困惑などお構いなしに言葉を続ける。
「私はこの世界の管理女神、セレナ! 今回、貴方には私が管理する新しい世界で『勇者』として生きてもらうわ! 大丈夫、貴方みたいな普通の人でも、きっと楽しく暮らせるわよ!」
「い、いや、勇者って言われても……俺、全然そんな柄じゃないんですが……」
平均主義の勇は、反射的に拒否した。目立ちたくない、普通でいたい。それが彼の願いだった。 しかし、セレナは「大丈夫よ! 世界の危機を救ったら、後は好きに暮らしていいんだから!」と、後の大惨事を予感させないキラキラした笑顔で勇の背中をポン、と軽く押す。その手から温かい光が勇の全身を包み込んだ。
「さ、転送を開始するわね! 貴方の新しい人生に幸あれ!」
転送の光に包まれる勇の背後で、セレナが手元の水晶板を慌てたように叩く音が聞こえた。
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 今の位相転送、重力指数の単位が『メートル』じゃなくて『光年』……じゃなくて、ええい! ミリとキロを間違え――あっ!」
その言葉を最後に、勇の意識は爆発的な加速に飲み込まれた。
――ドォォォォォン!!
目を開けた瞬間、耳を打ったのは破壊音だった。 勇は、中世ヨーロッパを思わせる美しい街並みの真ん中に立っていた。 いや、「立っていた」というのは正しくない。
彼が踏み出した最初の一歩は、石畳を膝までクレーター状に粉砕し、衝撃波で隣の露店の屋根を消し飛ばしていた。地面には、蜘蛛の巣状の大きなヒビが無数に走っている。
「…………え?」
自分が一千トンの鉄塊にでもなったかのような感覚に、勇は動揺して一歩下がろうとする。 バキィッ! と、今度は反対側の地面が爆ぜた。 通行人らしき人々が、悲鳴を上げながら四散していく。
「ごめんなさぁぁぁぁい!! 単位間違えて、貴方の身体だけ地球の12倍の密度のまま放り込んじゃったぁぁぁ!!」
空から半泣きで降ってきたセレナが、壊れた街並みと、自分の足元にできたクレーターを見て呆然と立ち尽くす勇の顔を真っ青になりながら叫んだ。 そして、次の瞬間、セレナは迷いなく勇の背中に飛びついた。
「とりあえず、私が貴方の位相にシンクロして、周りの重力と釣り合わせないと……! そのままじゃ、貴方が一歩動くたびに街が壊れちゃうわよぉぉぉ!!」
セレナが勇の背中にしがみついた途端、勇の足元の地面の崩壊がピタリと止まった。しかし、勇は相変わらずその場から動けない。そして、背中に感じる女性の柔らかく、密着した感触。
「え、ちょ、女神様?!」
平均主義を貫いてきた勇の、平穏な日常は、転生直後に地球の12倍の質量と共に終わりを告げたのだった。そして、これから始まるのは、最強(物理)すぎる自分を制御するために、女神様が24時間離れてくれない、絶対密着の異世界生活だった。




