第4話 聖女同行――「加護」の重さと舵の角度
王城から届いた荷馬車は、白布で覆われていた。
布をめくると、中身は三つ。
一つは金で縁取られた聖典。
一つは銀の細工を施された香炉。
そして最後に、純白の祭衣――聖女セリーヌが航海の祈りに用いるもの。
「見せ物だな」
クォートが鼻で笑った。空の袖で帆布を撫でる。
「船の腹に積む荷は、もっと油や干し肉であるべきだ。だが、王城の腹は祭衣を積みたがる」
「祭衣は帆にはならない。けれど……風を呼ぶ布かもしれない」
私は慎重に答えた。
セリーヌは船着き場で静かに立っていた。人垣に囲まれ、花を投げかけられ、祈りの言葉をかけられている。
彼女はその一つ一つに頷き、微笑みを返していた。
光のような仕草だった。
私はその光に近づき、軽く頭を下げる。
「ようこそ、〈ホワイト・ウェイク〉へ」
「受け入れてくださって、ありがとうございます」
彼女の声は小さく、しかし海よりも深い静けさを持っていた。
◇◇◇
出航の朝。
甲板の中央に、小さな祭壇が据えられた。銀の香炉に火が入ると、白い煙が帆柱を撫でて上がっていく。
セリーヌは祭衣に身を包み、膝を折り、祈りを捧げた。
その光景を、乗組員たちは一様に黙って見ていた。
信仰心の厚い者も薄い者も、祈りの姿勢には心を黙らせられる。
ユーグは剣に手を置き、エルドは星筒を抱え、ミレイは鍋の蓋を押さえた。
少年たちは緊張で動けず、クォートだけが空の袖で「作業に戻れ」と雑に合図した。
私は舵輪の前に立ち、帆に風を受けさせた。
――処刑台ではなく、甲板を。
その言葉を繰り返し、船首を王都から遠ざけた。
◇◇◇
航海初日の海は穏やかだった。
セリーヌは甲板の一角に腰を下ろし、布を広げて針を動かしていた。
祭衣の裾に、波の刺繍を足しているのだ。
私はそっと隣に座る。
「刺繍は祈りになるの?」
「ええ。糸で線を描くことは、未来を結ぶことと似ています」
セリーヌは針を休め、私に視線を向けた。
「あなたの舵も、未来を結ぶものですね」
「未来を切るもの、かもしれない」
「切っても、また結べばいい」
彼女は笑った。その笑みは、王子に向ける時よりも柔らかかった。
「……なぜ、来たの?」
私は率直に聞いた。
「聖女として、海に出る理由はなかったはず」
「王命です」
迷いなく返ってきた答え。
「でも、それだけではありません。私は……あなたが羨ましいのです」
羨ましい――その言葉に、胸の奥がざわついた。
「私が?」
「ええ。あなたは断罪されても、なお自分の道を選んだ。私は断罪される前から、自分の道を選べません」
彼女は刺繍を再び始めた。
針先が白布に星のように小さな穴を開け、糸で繋がっていく。
◇◇◇
二日目の夜。
風が急に変わり、海面が黒く泡立った。
エルドが星を睨み、叫ぶ。
「逆流だ! 潮が逆走してる!」
船がぐらりと傾き、少年たちが悲鳴を上げる。
私は舵を切り、ユーグが綱を引き、クォートが空の袖で釘を咥えながら帆を抑えた。
しかし潮は逆らうように船首を押し返す。
「祈らせてください!」
セリーヌが立ち上がり、香炉を抱えて帆柱の根元に進んだ。
煙が黒い風に揉まれ、甲板を覆った。
彼女の声が波に重なり、潮の流れがわずかに緩んだ。
「今だ、切れ!」
エルドの声に従い、私は舵を一気に切る。
〈ホワイト・ウェイク〉は海の逆鱗をかわすように旋回し、辛うじて潮の壁を抜けた。
安堵の息が広がる。
セリーヌは祭衣の裾を潮で濡らし、膝をついて祈りを続けていた。
その姿は確かに“加護”に見えた。
けれど同時に、王家の鎖が甲板に根を下ろした音にも聞こえた。
◇◇◇
三日目の朝。
海鳥が舞い、水平線に影が見えた。
陸――未踏の岬。
岩場に白い泡が砕け、松のような樹木が風に揺れている。
「寄せるか?」
ユーグが訊く。
「寄せる。航路の“証左”が要る」
私は答えた。
しかしロザンヌが手帳を閉じ、冷静に言う。
「ただし、上陸の瞬間から全て記録します。聖女の同行は“象徴”です。象徴の行動は、そのまま国の行動になります」
「象徴の重さで舵を取れ、と?」
「ええ」
船を近づけると、海賊の旗が岩陰から揺れた。
小舟が三隻、櫂を漕いで迫ってくる。
少年たちが顔を青くし、ミレイが鍋の柄を武器のように構えた。
ユーグが剣を抜き、甲板に立つ。
セリーヌは香炉を掲げ、煙を風に乗せた。
クォートは舵の補助をし、エルドが星図を巻き上げた。
私は舵輪を握り直した。
象徴も、加護も、鎖も――全てを重りにして。
海賊の小舟を正面に見据え、舵を切る。
「舷をぶつける! 衝突で崩せ!」
〈ホワイト・ウェイク〉は白い航跡を残しながら突進した。
海は、私たちの選択を試すように吠えた。




