第12話 密約の宮廷――“半刻を売る取引”
影の市場での競売を退けた翌日、王都は奇妙な静けさに包まれていた。
街の広場には歌が残り、港には銀笛の余韻が漂っている。
だが、城の奥では別の動きが始まっていた。
◇◇◇
夜更け。
私はロザンヌと共に、城下の記録庫へ潜り込んでいた。
鉄の扉を開けると、羊皮紙の山が眠っている。
交易記録、裁定書、王命の写し――それらが埃を被りながら積み重ねられていた。
「ここに“半刻”を操る取引の痕跡が残っているはず」
ロザンヌが小声で言い、蝋燭を翳した。
私は一枚の帳簿を手に取った。
――“灯台油の納入、記録:半刻遅延”。
別の帳簿にはこうもある。
――“港湾使用料の減免、条件:半刻繰延”。
半刻が通貨のように書かれている。
「……時間を、売っている」
ロザンヌが頷く。
「王都の奥で、“半刻”そのものが取引されている。――遅らせる権利、進める権利。それを握った者は、航路も市場も支配できる」
◇◇◇
気配がした。
私は咄嗟に帳簿を閉じ、灯を消した。
暗闇に足音。
扉の向こうから、囁き声が聞こえてきた。
「……契約は結ばれた。半刻を一度売るごとに、金貨百枚」
「買い手は?」
「宮廷評議会の者だ。王子の名を使い、命令を正当化する」
心臓が早鐘を打つ。
密約は、王都の中枢で交わされていた。
“半刻”を売買する仕組み――それこそが、私たちを罠にかけた正体だ。
◇◇◇
翌日。
謁見の間に呼び出された。
私は胸の奥に怒りを抱えながら、玉座の前に進み出た。
レオンハルト殿下の視線は冷たい。
しかし、その背後に並ぶ評議会の老臣たちの目の奥に、私は笛の音を見た気がした。
「アリアナ・ヴァルロット」
殿下が言う。
「おまえの航路は王国に害を及ぼす。半刻の混乱を招き、商会を敵に回した。――よって、おまえの権限を剥奪する」
広間にざわめきが走る。
セリーヌが小さく息を呑んだ。
少年たちが震え、ユーグが剣に手をかけた。
だが私は、一歩も退かなかった。
「殿下。権限を奪う前にお聞きください。半刻は、すでに売られています」
老臣たちの顔が一瞬だけ強張った。
「灯台油の納入、港湾使用料の繰延。――帳簿に刻まれた“半刻”は、取引の印でした。時間そのものを金で売り買いし、航路を操る者がいる」
「虚言だ!」
老臣の一人が叫ぶ。
だが、その声は震えていた。
◇◇◇
私はさらに言葉を重ねた。
「もし私が虚言を語っているなら、火を消してご覧なさい」
セリーヌが香炉に火を入れ、煙を天井に立ち昇らせた。
白煙は揺らぎ、しかし消えなかった。
広間が静まり返る。
「火は消えない。……それは真実がここにあるから」
評議会の誰かが舌打ちした。
私は聞き逃さなかった。
◇◇◇
謁見は中断された。
だが、王子の瞳の奥に、かすかな迷いを見た。
彼も気づき始めているのだ。
半刻を操る者は、彼をも利用していると。
◇◇◇
夜、宿に戻ると、銀笛の音が窓辺に響いた。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
紙片が差し込まれていた。
――“半刻を買う者、宮廷にあり。だが、売る者はもっと奥だ”。
私は舵輪を思い浮かべ、胸の奥で誓った。
必ず暴く。
半刻を売る者の正体を。
航路は、まだ続いている。
白い航跡は揺らぎながらも、確かに前へと伸びていた。




