第10話 王都帰還――“半刻を操る者の正体”
西の海を抜け、〈ホワイト・ウェイク〉は東へ舳先を戻した。
星図に刻まれた偽の線は、いまも折り畳んだ箱の中に眠っている。
その黒い矢印を思い出すたび、胸の奥が冷たくなった。
半刻――銀笛の音。
誰かが、私たちの未来を“半刻”ずらそうとしている。
王都へ戻れば、必ず報告せねばならない。
だが、王都こそが罠の巣であることを、私はもう知っていた。
◇◇◇
城門が見えたとき、少年たちは歓声を上げた。
「帰ってきた!」
「やっとパンが食べられる!」
「港の犬が覚えててくれるかな!」
笑顔の輪に、私も小さく笑みを返した。
けれど胸の奥は重い。
ただの帰還ではない。
王都は、航路を守る場所ではなく、名を奪う場所だから。
◇◇◇
謁見の間。
玉座に座る第一王子レオンハルト殿下の視線は、相変わらず冷ややかだった。
その隣には“聖女”セリーヌ――ではなく、王城付きの侍従たちが列を成していた。
セリーヌは私の背後に控えている。
彼女の存在は、王子にとって“奪えなかった聖域”になっていた。
「アリアナ・ヴァルロット。航路を開拓したと聞く。報告せよ」
私は一歩進み出て、深く礼をした。
「西の岬に新たな航路を確認しました。しかし同時に、偽の星図を仕掛けられ、海賊に襲撃されました。――証拠を提出いたします」
私は箱を開き、偽の線が刻まれた星図を差し出した。
広間がざわめく。
王侯たちが身を乗り出し、侍従たちが目を細める。
レオンハルトは地図を一瞥し、冷たく笑った。
「また言い訳か。自らの未熟を隠すために、他者の陰謀をでっち上げた」
「いいえ、殿下」
私の声は震えなかった。
「この線は外からではなく、内から描かれています。――都市連合ベルデラに渡されたときから」
広間の空気が張り詰める。
その瞬間、侍従の一人が口を開いた。
「虚言にございます! 商会が王国に仇なすなどあり得ません!」
だが、その声の裏で、別の音が響いた。
短く――ひとつ。
笛の音。
私は反射的に振り返った。
柱の陰、黒い外套の影が立っていた。
銀の笛が月光のように光り、ひと息で消えた。
◇◇◇
混乱の中、私は悟った。
“半刻を操る者”は、城内にもいる。
王都そのものが、同盟の網に絡め取られている。
レオンハルトの目が鋭く光る。
「衛兵、地図を没収せよ!」
兵士たちが駆け寄る。
だが私は地図を抱き締め、後ろに下がった。
ユーグが剣を抜き、ロザンヌが体を張って前に出る。
少年たちは震えながらも私の前に立ち塞がった。
「止めよ!」
玉座からの怒声。
だが、セリーヌが一歩進み出た。
香炉を掲げ、煙を天井へ立ち昇らせる。
白煙が広間を覆い、王侯の視界を奪った。
「殿下。この煙は“誓い”を映します」
セリーヌの声は澄んでいた。
「もしアリアナ様の言葉が虚なら、この火は消えるでしょう。ですが――」
煙の中で、火は揺らぎながらも燃え続けていた。
ざわめきが広がる。
衛兵の足が止まった。
私は胸の奥で呟いた。
――ありがとう。
◇◇◇
謁見は混乱のまま打ち切られた。
私たちは城を追い出されるようにして門を出た。
だが、地図は奪われなかった。
それだけで十分だった。
夜、宿舎の部屋で、ロザンヌが低い声で言った。
「分かりましたね。半刻を操る者は、王子の周囲にいる」
「……王子自身かもしれない」
ユーグが呟く。
私は首を振った。
「王子は操られている。彼は常に“証拠を拒む”よう仕向けられている。……本当の黒幕は、王都の奥だ」
窓の外で笛の音が鳴った。
ひとつ。ふたつ。
“半刻”を告げる音。
その音に重なるように、遠くの港で少年たちの歌声が聞こえた。
「火は消えない、白い線――」
名と歌と笛。
三つが重なり、王都の夜を裂いていた。
◇◇◇
私は舵輪を思い浮かべ、心の中で固く誓った。
――半刻を操る者の正体を暴く。
そのために、航路を守り抜く。
処刑台から始まった私の旅は、今や王都の心臓にまで届いた。
次に動くのは、私たちだ。




