第1話 断罪の夜、処刑を拒む航路宣言
燭台に灯された百の炎が、広間の空気を熱で揺らしていた。
貴族たちのざわめきが、波のように押し寄せる。
舞踏会の中心、私は立っていた。ドレスの裾が震えているのは、寒さのせいではない。
「アリアナ・ヴァルロット。おまえとの婚約を、ここに破棄する」
冷徹な声音。高みから突き刺さるような視線。
金糸で刺繍された軍服を纏い、王国第一王子レオンハルト殿下は、あたかも罪人を裁くように私を見下ろしていた。
広間に衝撃が走る。扇子が閉じられる音、吐息、ざわめき。
王子の隣には、一人の少女――銀の髪を揺らす“聖女”が寄り添っていた。
「この女は、聖女セリーヌに嫉妬し、あらゆる手段で彼女を虐げた。毒を盛ろうとした証拠もある」
虚偽だ、と叫びたかった。けれど誰も信じないことを、私は知っている。
これは――乙女ゲームのシナリオだから。
胸の奥が震え、視界が暗転しかけた瞬間。
私の中に、別の記憶が奔流のように押し寄せてきた。
――大学の歴史の授業。教授が黒板に描いた「大航海時代」の地図。
――バイト先で見た帆船模型。
――日本という国で生きていた、私自身。
「っ……」
息を呑む。
ここは、前世で遊んでいた乙女ゲームの世界。悪役令嬢アリアナは、婚約破棄から処刑されるのが定められたルート。
つまり私は――死ぬ。
「裁きを下す。アリアナ・ヴァルロット、おまえに処刑を宣告する」
王子の声が、断罪の鐘のように響きわたった。
広間の空気が一気に冷える。
――いや。
胸の奥で、かすかな炎が灯る。
私は、前世で海を夢見ていた。帆船に憧れ、未知の航路を想像して胸を高鳴らせていた。
それが、最後の希望のように浮かび上がる。
処刑されるくらいなら。
私は、海に出たい。
「……お待ちください」
私の声が震えを帯びながらも広間に響いた。
ざわめきが一瞬止まる。
「処刑を受け入れるくらいなら、どうか、私に――航海を命じてください。
未踏の海を越え、新たな航路を切り拓き、この国に富をもたらしてみせます!」
広間がどよめいた。
誰もが馬鹿げた冗談だと笑う。令嬢が船に乗る? あり得ない、と。
けれど、私は引かなかった。
王子は冷笑した。
「命乞いのための虚言か」
その時、年配の公爵が扇子を閉じ、低い声で言った。
「面白い。処刑を延期し、航路開拓に挑ませてはどうか。どうせ失敗すれば命は尽きる。それならば王国にとって損はない」
ざわめきが再び広がる。
王子はしばし黙し、やがて吐き捨てるように言った。
「よかろう。処刑の代わりに、新航路開拓を命ずる。成功すれば生きよ。失敗すれば処刑台が待つ」
運命は決まった。
私は処刑台から逃れたのではない。海へ、航路へ、自ら歩み出したのだ。
◇◇◇
婚約破棄により、家は大きな損失を被った。領地は借財に喘ぎ、父は憔悴していた。
「アリアナ、おまえの無茶は家のためにもならん」
「いいえ、父上。航路を開けば、我が領地は救われます」
私は父を説得し、最後に残された朽ちかけの帆船を譲り受けた。
夜、港に赴く。潮の香りが鼻をつき、月光に照らされた船体が浮かび上がる。
板は剥がれ、帆は裂け、マストは傾いていた。
それでも私には宝のように見えた。
「これが……私の剣であり盾」
星空の下、私は船首に手を置く。
震える声を、海風がさらっていった。
「処刑台よりも、甲板を選ぶ。私の航路はここから始まる!」
夜空に、決意の言葉が響いた。
やがてその声は、まだ見ぬ水平線の向こうへと消えていった。




