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無機質なタイピング音だけが響き渡る。しばらくぶりに電話が鳴り、二、三コールの後に同僚が受話器をとり、はい、田島プロダクションですと、気のない返事をする。それが営業電話であることがわかると、そのようなご依頼はお断りするように言われておりますのでと定型文句を言い、しばらくの問答の後に通話は途切れ、また静寂が訪れた。


 村田遙平がこの編集プロダクションに来て二年が経った。二年間のうちに三人が辞め、二人が入ってきた。これは過去の人の出入りと比べて、さして驚くべき頻度ではないという。四十年間で百五十人の人間がここを訪れ、去っていった。平均勤続年数にすると約二年半。求人サイトに掲示された田島プロダクションの紹介欄では、そういった不都合な真実はもちろん隠されている。


「石川さん、ちょっといいですか」


 重苦しい静寂に風穴を開けたのはは神宮寺という、今年で三十になる女性社員だった。遙平が入社する半年前に会社に入った先輩社員である。


「はぁ、何?」


 齢六十五になるというお局、石川の対応はぶっきらぼうそのものであった。これは珍しいことでもなく、極々平均的な石川だった。


「広報『葛飾』の取材の件なんですが、区の担当者が撮影日ずらして欲しいと…。明日の予報が雨なので、屋外で良い写真が撮れないんじゃないかって」


「ちょっと、突然すぎない?前日になって急遽って、こっちの都合もあるでしょ。カメラマンだって手配してるんだし。無理よ無理、そんなの。対応できないから」


「でも、石川さん、この前直前の日程変更に応じていましたよね? だから、区の担当者も、今回も大丈夫だろうってことで、言ってきていると思うんですが」


「それはそれ、これはこれ。事情が違うでしょう。ちゃんと説明したの?」


「しましたよ。それでも、どうしてもと言うんです」


「それはしていないのと一緒。あのねぇ、だいたいあなたはスケジュール管理が…」


 遙平は机からタバコを取り出し、席を立った。聞いちゃいられない。高圧的な石川と、折れずに無為な問答を繰り返す神宮寺という構図は今に始まったことではないお互いに譲ることなく、酷いときは二、三十分やり合っている。もちろんちょうど良い塩梅の妥協点など見つかる訳もなく、貴重な時間は虚空の彼方へ葬り去られていく。


「フー。ゴミだわ、あの空気」


 ビルの十一階と十階を結ぶ非常階段。山盛りに盛られた吸殻を横目に、遅れて喫煙所にやってきた小島が悪態をついた。小島の手には最近新調したという電子タバコが握られている。


「見た? メールで送られてきてた、今月の会社目標。1人あたりの生産性を上げよう、だってさ。これを最も生産性の低い人間が標榜してるのだからお笑いそのものだよな。というか、具体性が無さすぎるんだよ、上げよう上げようって、じゃあどうすりゃ上がるのか、それに一切言及せずに掲げる目標なんて、便所の落書きよりよっぽど価値がない」


「まー、そうね。今に始まったことじゃないから」


 小島はいつも通り、スマホの画面から目を離さずに聞いていた。


「俺さ、少し前までコンサルって職業がこの世で最も価値がないと思ってたけど、ウチを見てるとそんなことない気がしてくるよ。ああいうバカはは外部の人間に言われないと気がつかないんだよな。誰かあのバカをぶっ叩いてくれよ」


 遙平の口撃対象は専ら社長であった。二年と少し前、新卒で入社した大企業で辟易としていた遙平の目には神にも近い存在に見えていたその人は、今や疫病神よりもひどい何かとして映っている。


「無理じゃない? 何年やってんのこの会社。今更何も変わらないよ。コンサル入れるのだって社長の判断じゃん。どうしてもやりたいなら、遙ちゃんがやれば?コンサル業」


「やだよ。なんの罰ゲームだよ。なにか提言したらすぐ、お前は経験値がないから、何も分からないんだ、だからな。お話にならないとはこの事」


 小島は何も答えなかった。答えても何も産まれないことを知っているから。ほぼ同時期に入社した遙平と小島が二年間で学んだのは、諦念だった。


 事務所に戻ると、押し問答はまだ続いていた。遙平は極力会話を耳に入れないように、メールの通知を開いた。


 先般提出した資料の内容が不十分で、クライアントとの間に立つ広告代理店が文句を言ってるからどうにかならないか、といった趣旨のメールだった。出版社の編集担当のその文面からは、私にはどうにもならないから、というニュアンスが読み取れた。メールの末尾には広告代理店からのメールがそっくりそのまま引用されている。


 お前の仕事は伝言ゲームか。どうせ何もできないのだから、せめてもそういったいざこざを丸め込むくらいしたらどうだ、と口から出かかった言葉を飲み込んだ。


内容が不十分とはいえ、これまで同じ案件を繰り返してるのだから、文脈から読み取れるはずだった。これだから、敷かれたレールを適当に歩いてきただけのマニュアル人間は――。


思いとは裏腹に、遙平は極力丁寧な文面で返信をした。小学生でもわかるよう、丁寧に。それはせめてもの、抗議のつもりだった。あなたは、ここまで言わないとわからないでしょう、だから懇切丁寧に教えてあげますよ、と。


しかしそんな抵抗も虚しく、数分後には朗らかなお礼のメールが返ってきた。遙平はそのメールを横にスライドし、アーカイブした。


それからしばらくすると、石川と神宮寺のやり合いも一区切りついたようで、各々の机に戻っていった。再び事務所には静寂が訪れる。時折、四十を過ぎたデザイナーの「あぁ、もう!」といった不快な独り言が流れるが、もはや誰も気に留なかった。


貴重な二十代が浪費されていく。

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