始業式(3)/幕間/日常
【新暦68年1月6日(木)】side:小田原遥
私が教室に足を踏み入れると同時に、盛り上がっていた会話が突然中断される。
視線が一斉にこちらを向く。これ嫌いなのに、今日は何回もやられてるような気がする。
今日はついてない日だ。
そして声から予想した通り、中にいたのはやんちゃグループのメンバーだった。
仲のいい人がいるわけでもなく、ほとんど話したこともなかったから、軽く会釈だけしたら視線を切って、席に置いてあるカバンを手に取った。
よかった。なんか背中越しに視線を感じるけど、でも話しかけてくる様子はない。
よし。迅速に。早く帰ろう。
なんて。変に焦ったからだろうか。
それとも、転校という言葉を聞いて、出さないようにしていたつもりでも、自然と暗い表情になっていたのかもしれない。
教室を出るまであと一歩というところで───
「───小田原さーん! 先生と何の話してきたのー?」
ぴたり、と体が固まる。
今の声は、やんちゃグループにいるギャルの声だ。
遅れて声をかけられてしまった、ということに気付いた。
「あっ、うん。やなんでもないよっ!」
「え、そんなわけなくない? もしかして言えない系? 万引きしたとか?」
「やっ⋯⋯! 違っ、ちょっと家庭の事情的なやつで⋯⋯っ」
「家庭の事情!? あっ!親離婚とか? それで苗字変わるみたいな!?」
「あ、いやっ⋯⋯!」
隙間のない問いかけに捲し立てられるのは苦手だ。
だから返答に窮している間に、彼女は徐ろにそばに近づいて来た。
それに対して、私はつい、咄嗟に鞄を後ろに隠してしまった。
鞄にはさっき貰った検査結果と、特異属性向けの資料が入っていたからだ。
でもそれが良くなかった。
やってしまった、と思ったときには、彼女の視線はバッチリと私の鞄を捉えていて。
「あっ、そういえば! なんかプリント貰ってたよね?? それが重大資料だったりするの!?」
「あっ、え〜っと」
「ねー! 見せなくていいからさ、ヒント、ヒントだけっ」
腕を捕まれ、ぐわんぐわんと振り回される。
何だコイツ。でも怒らせるのが怖いから強引に振りほどくこともできず、されるがままになっているうちに、残りの話していたメンバーもぞろぞろとやってきた。
「いつまでやってんの。小田原さん困ってんじゃん」
「そだよ、しかもナチュラルに失礼なこと聞いてるし」
「ごめんね小田原さん。こいつまーーじでデリカシーないからさ」
やってきたのはギャル───楠木さんと同じように、クラスでイケイケの女子三人組。
その内のショートヘアで、前髪をヘアピンで止めたギャル──穂村さんが、私から楠木さんを引き離した。
「あいやっ、大丈夫っ」
「うわーーーっ離せーーーっ」
「うるせぇ! こらっ!」
「おげっ!? ヒントだけでもーーーーっ」
「おいっ殴られたら止まれや!!」
わいわい。がやがや。
でも穂村さんが来た途端、楠木さんがまるで、リードをつけられた犬のように見えて、ほんの少し怖くなくなって、少し笑ってしまった。
すると楠木さんが、きゅぴんと目を光らせて、またこちらに飛び込んでくる。
うん。本当に犬みたいだ。でもここまで犬っぽすぎると、逆に怖いかもしれない。
なんて思っていた時だった。
「────みんな、なにしてるの?」
廊下の方から、別の声が聞こえてきた。
今度は男の人の、心配そうな声だ。
私は背を向けていたから、それが誰かわからなかった。でも、今までるんるんに輝いていた楠木さんの表情が、途端に不機嫌に顰められたことで、それが誰かはあたりがついてしまった。
「なに? モブセン」
穂村さんが言った。
振り返って見てみれば、そこには先程まで、職員室にいた筈の茂田先生が来ていた。
☆
モブセン。それは、茂田先生が生徒から呼ばれている色々な渾名のうちの一つだった。
他にもオタメガネとかモブ公なんてのもあるけど、一番色んな人が使ってる呼び方だ。
モブセンっていうのは、漫画で言うその他大勢って意味のモブキャラって言葉と、先生がくっついてできた渾名。
つけたのは誰なんだろう。でも気づいたときにはみんなが使っていて、茂田先生もそれに全然怒らないから、穂村さんみたいにイケイケな人は直接呼んだりもしている。
今回もそう。
私だったら傷つくけどな、なんて思うけど、茂田先生の顔はちっとも嫌そうじゃなくて、ただただ、私に向かって心配の視線が注がれていた。
「別に話してるだけだけど?」
「うん⋯⋯でも、小田原さんが嫌がってるようにも、少しだけ見えたから」
「は? 何それ。確かにアリサ(楠木さんのこと)は若干強引だったけど、そんな変なことはしてねーから」
そう言うと、穂村さんがこちらに目を向けてくる。
私は───なんとなく、そうするしかない、と感じて、それに同意するように首肯した。
確かに最初は怖かったけど。でも、そんなに嫌なことをされた訳でもなかったから。
「そっか」
茂田先生は、呟くように言うと、真面目な顔でじっと見つめてきた。
私はなんでか分からないけど、罪悪感のようなものを感じてしまい、先生から視線を逸した。
「⋯⋯なら大丈夫! ごめんね、話し途中で声かけちゃって」
「いいけど、早くどっか行ってくんない? モブセンこそこんなとこで何してんの?」
「いや。実はついさっきまで小田原さんのお母さんと部活のことで話しててね。お母さん、小田原さんがなかなか降りてこないって少し不安がってたよ」
「えっそうなの! 早く言えや!」
母親の話が出ると、楠木さんは固く握りしめていた手をパッと離して茂田先生に吠えた。
その向こうでは、穂高さんが申し訳なさそうな顔をして手を合わせている。
「ねーマジごめん! でもなんか、うちらあんま話す機会なかったし、こんな形だけどきっかけできてよかったな。また話そーよ」
「あっ、うん!」
その後、私とも話そうよーーなんて言ってる楠木さんを穂高さんが抑えて。なんだか空気が自然と帰れる流れになった。
茂田先生のおかげだ。だから四人にばいばいを言いつつ、バレない用に茂田先生に小さくお辞儀をして、その場を離れることにした。
「じゃーねー」
「ばいばい!」
後ろからのばいばいに、軽く手を振って応える。
階段を降りながら、なんか子供みたいだなぁ、なんて考えた。
それにまた話そうだって。そんなこと言われると思っていなかった。
怖いと思い込んで避けている部分があったけど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。
仲良くなれていたのかもしれない。
ま、私はもうすぐ転校するんだけどね。
そう考えたら虚しいような、悔しいような。胸の奥が小さくちくりと痛んだ。
☆
【新暦68年1月6日(木)】side:穂高みゆ
小田原ちゃんが居なくなるのを確認したモブセンは、そのまますぐにどっか行っていなくなった。
⋯⋯なーんか、釈然としない感じだ。
「遥ちゃんの秘密、何だったんだろうなぁ」
それは隣のまい(楠木)もそうだったようで、なんとなく浮かない顔をしている。
までもこいつは専ら小田原ちゃんが呼ばれた理由が気になってるだけなんだろうけど。
「⋯⋯⋯? みゆ?」
「ちょいまち。一旦考えるわ」
「お。出た、みゆの名探偵タイム」
職員室に呼ばれた。
親が来てる。
モブセン──要は顧問と話してた。
なんか持ってた紙。どことなーく沈んだ顔。
まいにあそこまで激詰めされても言えない理由。
小田原ちゃんはかなり陰キャ。
────閃いた。
「皆。小田原ちゃんのことをこれから放課後誘おう」
「え! 賛成! でもなんで?」
「ふ、簡単だよ。小田原ちゃん部活やめんだと思うよ───ま、理由はイジメとかってとこかな? そして手に持ってたのは退部届!!」
「なるほど天才だ! 凄い!」
私がドヤ顔で発表すると、廊下の向こうから誰かがずっこけるような音が聞こえた。
☆
【新暦68年1月6日(木)】side:茂田俊丞
「⋯⋯⋯あのー⋯⋯ただいまー⋯⋯」
恐る恐る。玄関を開けてみる。
少し待ってみる。でも返事はない。落胆する。
でも少しして違和感に気付く。
なんと夕焼けに照らされた部屋から、香ばしく、なんとも肉々しい匂いが漂ってきたのだ。
「⋯⋯た、ただいまー?」
これは。もしかして。もしかすると。
玄関で。行儀悪く踵を擦りつけあう。こういうときに限ってうまく脱げてくれない革靴がもどかしい。
そしてそのまま靴を脱ぎ捨て向かうのはキッチン。逸る気持ちのままに、短い廊下をドタドタと駆ける。
部屋の扉を乱雑に開いた。するとそこには、俺が待ち望んで仕方がなかった光景が広がっていた。
「あ、おかえりなさい、俊丞。火を使っているため、お出迎えができず申し訳ございません」
思った通り。いや、AIに組み込んだ通りに。
みすずは料理をしながら俺を待っていた。ハンバーグをフライパンで焼きながら、ターナーで膨らんだその中央を押しつぶしている。
⋯⋯この感情のことをなんと呼べばいいのだろうか。
喜び、嬉しさ、安心。そんな言葉がいくつも浮かんでは、しかしそのどれもが少しずつズレているような。
でも兎に角、家で誰かが──みすずがご飯を作ってくれていた。たったそれだけのことで、胸がはちきれそうなほどいっぱいになった。
「⋯⋯俊丞? 何故泣いているのですか?」
「⋯⋯⋯え?」
言われて、頬に手を当ててみる。
そしたら本当だ。そこを生ぬるい涙が伝っていた。
「⋯⋯ごめん、ちょっ、と⋯⋯⋯! はは、なんでだろ」
みすずが起きてまだ初日。
いきなり泣いてるところを見せるのが気恥ずかしくて、涙を拭おうとした。
でも涙は拭えば拭うほど溢れてきて、気付けば嗚咽も止まらなくなっていた。
なんで泣いてるんだろうな。なんて、涙の止まらない体に対して、心の方は少し冷静だった。
もう43のおっさんなのに恥ずかしい。
⋯⋯いや、44か。そういえば去年は、誕生日のことなんて思い出すこともなかった。
そんな事実がまた、顔を子供みたいなしかめっ面にさせて、涙を激しくさせた。
もうとまんねーよ。どうしたらいいんだよ。
なんて考えていると、目の前でかち、という音がした。
腕で顔を拭っているから、何が起こっているのかはわからない。
でも、ややあって。───きゅ、と体を、誰かに抱き湿られるような。そんな感覚があった。
「───よしよし。俊丞、よく頑張りましたね」
みすずのそんな言葉が、耳元で聞こえた。
続いて、頭を優しく撫でられるような。
いや、ようなじゃなくて。撫でられていた。
そんな風にAIを調教しただろうか。あの頃は必死だったから、とにかく理想の人柄の再現を追求ひたせいで、もう細かくは覚えていない。
でも、俺自身が求めていたのが、こんな瞬間だったことは、今身にしみて理解した。
「うああっ⋯⋯⋯俺っ、おれ」
「いいんですよ、俊丞。今はただ、気が済むまで泣いてください?」
「っ⋯⋯! ありっ、ありがどっ」
ああ。俺は幸せだ。




