みすずとの朝/始業式の日(1)
【新暦68年1月6日(木)】side:茂田俊丞
チン。とトースターが軽快な音を鳴らした。
それと同時に、程よく焦げ目のついた食パンが、ひょっこりと耳を出す。
熱々に焼かれたそれを、俊丞は二度、三度程持つ手を変えながら皿に乗せた。
トーストが2枚。そしてマーガリン、苺ジャム。
それに、蜂蜜を垂らし、ブルーベリーを乗せたヨーグルトと、三等分に切ったバナナを一掛け乗せたソーサーを並べる。
最後にコップ一杯の牛乳も添えて、今日の朝食が完成した。
「⋯⋯⋯あ、いただきま、す」
机に向かい、いつものようにいただきますを唱える。
しかしその様子は、酷くぎこちなかった。
手を合わせた俊丞は、チラリ、またチラリと視線を彷徨わせる。
それもその筈。机を挟んで反対側から、みすずが立って、じっと彼を見ているのだ。
「?⋯⋯ああ。召し上がれ、俊丞。と言っても私が作ったものではないですが」
伺うような視線を受け、みすずは笑みを浮かべて言葉を返した。
とても自然な返答。但しその表情はぎこちなかった。まだ笑顔の作り方に慣れていないような、自然な不自然さを感じさせる。
ところで。
「⋯⋯⋯⋯? どうかしましたか?」
⋯⋯⋯綺麗だ。俊丞は口の中で、そう呟いた。
この顔をデザインしたのも、パーツとして設計したのも自分自身であるというのに、そこには彼の想像を超えた美しさがあった。
形容し難い感慨深さではあったが、彼は一旦、それを「作品だったものが、己の手を離れてそこにあるからだ」と結論づける。
そこまで考えたところで、彼はみすずと目があっていることに気がついた。
エメラルドの、宝石のような瞳に覗き込まれ、息が一瞬詰まる。
そしてその顔全体が彼の視界に入ると、みすずは少し怒った顔をしていた。
「───俊丞。朝食を食べる手が止まっています。通勤時間、服装の準備等を考えると、このままでは遅刻してしまいますよ?」
「───ああ、ごめん。食べる、食べるよ」
少し気まずくなってしまい、俊丞は目線をそらして手元へ向ける。
程々に温かいトーストに手を伸ばし、改めてかぶりつく。
歯切れのよい食感と、甘酸っぱさとコクのあるまろやかさに、一度舌鼓を打った。
思えば、こうしてしっかりと食事を楽しむのなんていつぶりだろうか、なんて考えながら。
「いってらっしゃい」
「うん⋯⋯いってきます」
みすずに見送られて家を出る。
今日は三学期の始業式。いつもより少しだけビジネスに寄ったジャケットに、Pコートを羽織って歩く。だけど冷たい空気は、そんなの簡単に通り抜けて、身体を芯から冷え込ませた。
にも関わらず、俊丞の心はどこかほんわかとしていた。
⋯⋯⋯誰かに見送られたのなんて、一体いつ以来だろうか。
そわそわと落ち着かない。胸の奥の、手の届かないところがくすぐったく感じて、でも自然と笑みが浮かぶ。
でも。職場へと近づけば近づく程に、そこには現実が迫っているような気がして。
完成した達成感。終わってしまった寂寥感。これからへの期待。世間や社会との不安。
浮かんでは過ぎる感情を、彼は一旦見ないふりをして、少し歩みを早めた。
☆
【新暦68年1月6日(木)】side:小田原遥
冷たい朝の空気の中でも、白くて眩しい太陽の光は、私の身体をほっこりと包み込んでくれる。
だから日に焼けないように日陰を歩く夏とは打って変わって、なるべく日陰を避けて歩く。
それでも寒い。息が白くなって、空気にしゅわっととけていく感じが、なんともいとおかしってヤツだ!
そんな風にいつもの通学路を歩いていると、これまたいつもの待ち合わせ場所に辿り着いた。
ふれあい公園の、真ん中にある大きなクヌギの木。夏は表面が樹液でトロトロになって、虫が山程寄ってくるからあんまり近寄らないようにしている。
でも。
他の木は、冬になると素っ裸になって寒そうなのに、このクヌギの木には茶色い葉っぱがフサフサに生い茂っている。『離層』ってのが上手にできないんだとか。
いつ見ても目立つから、待ち合わせするにはピッタリ。
だから私とサトコは、小学生の頃からここで集まってから登校するようにしてるのだ。
「ごめ、ちょいっ、遅れた!」
と。少しして、サトコが息を切らして走ってきた。
がしゃんごしゃんと揺れるスクールバッグ。お揃いの缶バッチが眩しく光る。
「うぃす!」
「ごめっ! 家出る寸前まで習字やってて! 遅れたっ!」
「やば。確かになんかほっぺ黒いのついてる?」
「えっ! メッチャ洗ったんだけど!!?」
頬を擦るサトコにワッハッハと爆笑。
サトコとは幼稚園からの仲で、引っ込み思案なところがある私にとって、唯一心置きなく話せる大切な友達だ。
クラスは中一から離れてしまっているけど、朝は今でも一緒に学校に通うようにしている。
「でっさぁ、やっぱクリスマスに手繋いでたら付き合ってるよね!? みっちゃんと田中君!」
「えっ!? そんなことあったの!?」
「うん⋯⋯! なるみちゃんがクリパの帰りに見たって」
「分からないもんですな〜⋯全然そんな感じしないのに」
サトコの話に相槌を入れながら、通学路を歩き出す。
サトコはなんていうんだろう、情報通ってヤツだ。コミュニケーション能力が高くて、学年問わず、皆といい感じに楽しく話せる。
だから色んなことを知ってるんだ。
特に恋バナとかね。私にはあんまり縁のない話だけど、聞いてるだけでも楽しくなる。
「そうそう〜。逆に遥は全然そういうのないよね。気になってる人とかいないの?」
「いやぁ〜。恋愛とかよく分かんないんだよなぁ」
「そゆもんか?⋯⋯⋯あ」
と、ふとサトコが驚いたような声を出した。
釣られて視線を向けると、そこには茂田先生がいた。
終業式ぶりに見る後ろ姿は、更に痩せてシュっとした。
髪の毛も短くて清潔だし、服も大人のオシャレって感じだ。
カツ、カツと革靴を鳴らして歩くのを、二人でこっそり眺める。
「茂田先生さ、なんかカッコよくなったよね?」
「それな⋯⋯もうモブセンって感じじゃなくなった」
しみじみと。サトコと目を合わせて頷く。
本当だ。去年の夏くらいからだろうか、茂田先生は見違えるくらいに変わった。
特に私は、部活で他の皆よりも会う機会が多いからそれがよく分かる。
「恋でもしたのかな?サトコなんか知らないの?」
「いやー流石に先生のは⋯⋯あでも1個知ってるやつあるや。ただの噂だけど」
「えっ!?そうなの! 教えて!!」
「モブセンね、英語の町田先生いたじゃん? に恋してて、失恋したらしーよ」
サトコの言葉は、私が思っていたのとは違う言葉だった。
てっきり今恋をしているのかなって思っていたんだけど、そしたら失恋したから努力したってことになるのかな?
なんかちょっと。なんだろう。変な話聞いちゃったな。知ってる先生同士の失恋話って、想像すると生々しくて、ちょっとしんどいな⋯⋯。
「それほんとなの?」
「いや噂よ、噂。でも実際モブセンが痩せ始めたのもそんくらいからじゃなかった?8月とか」
「あー⋯⋯あー⋯⋯! 確かに!」
言われてみて振り返ると、確かにそんな感じだったような。
そうか。そうかぁ⋯⋯。
「茂田先生を見る目変わっちゃうなぁ⋯⋯」
「ねーだからあくまで噂なんだってばー!?」
そんなふうに、サトコとワイワイやっていたら、気づいたときには茂田先生の後ろ姿が見えなくなっていた。
時間は経ち、11時半にはHRを迎えた。始業式の日ってこれがいいよね。太陽が昇り切る前には家に帰れるっていうのがさ。
なんて、調子こいてた心に、突然鋭く水が刺される。
「はーいさよならー⋯⋯あ、それと小田原さんはちょっとこの後先生のとこまで来てください!」
帰りの挨拶に付け足すように。担任の山本先生から私の名前が呼ばれた。
途端に振り返る皆。席が主人公席(窓際一番後ろ)だから、クラス中から突き刺さる視線。
一気に心拍数が上がる。
「はっ⋯⋯はい!」
どもりつつ。返事をする。
それを一部の優しい人にクスリと笑われ、あんまり私に興味ない人はすぐに目を逸らし。などなど。
もう〜〜〜やめてよっ、こういう注目されるのとか本当に苦手なのに!
焦りつつ、怒りつつ。教卓まで向かうと。
ごめんね〜って顔全体で表現していた先生が、ファイルから、A4サイズの茶封筒を取りだした。
「ごめんね、今日忙しくて言い忘れてた。ちょーっとこれから職員室着いてきてもらってい? お説教とかじゃないよ」
「え〜〜〜っ! 私今日早く帰りたいんですけど」
「んーごめん、ちょっとこっち優先して。取り敢えず着いてきて!」
言われるがままに先生の後に続く。
昼の帰宅で浮足立つ生徒の隙間を縫うように進み、ある程度それが捌けてきたあたりで、先生は歩みを止めず、顔だけでこちらに振り返る。
「そろそろいいかな⋯⋯えっと、去年魔力属性の検査受けたのって憶えてる?」
「え? はい。覚えてますけど」
言われて思い出す。
あれは確か、去年の11月くらいのことだろうか。
夏休みにでた『特異属性』疑惑について、実際に国がやってるらしい検査を受けたんだった。
でも正直すっかり忘れていた。何せ『特異属性』疑惑が出たのが8月で、検査を受けたのが11月。それからなんの音沙汰もなかったんだもん。
だから思わず気のない返事をしてしまった。
「そうそう。その結果が出たっていう⋯⋯あれ? なんか反応薄くない?」
「えーだって、ちょっと遅すぎません? もうあのキラキラも色褪せました」
「あはは、そゆことか。まーそれだけ精密な検査が必要だったのよ、きっと」
「そうかもしれませんけどぉー」
職員室が近づいても、テンションはあまり上がらなかった。
大体あの検査も別に普通だったんだよなぁ。
なんか看護師さんが『おおっこれは!?』みたいな反応してることもなかったし。
平日しか検査が受けれなかったから、学校を休めたのだけはちょっと良かったけど。
と。そうこうしている間に、ようやっと職員室に辿り着いた。
山本先生ががらら、と扉を開け、それに続いて中に入った。
なんか職員室って、空気が重たくて苦手なんだよなぁ。
とか思いながらぐるりと見渡してみると、なんだか見慣れない、スーツを着た大人を見つけた。
「⋯⋯ん?」
そのスーツの人達は、どうやら茂田先生と話をしているようだった。
茂田先生。なんか私に、というか生徒に向けるのとは全然違う表情だなぁ。
なんてぽかんと見ていると、山本先生に肩を軽くとんとされ、そのまま別室に案内された。
「ほいっ。じゃあここでちょっと待ってて。先生は資料とってきたりするから」
「はーい」
促されるままに来たのは、なんていうんだろう。応接間?応接室?みたいなとこ。
そこに並んでるちょっと豪華な椅子に座ると、先生は部屋を出ていってしまった。
「⋯⋯⋯⋯おおー」
なんか。なんかそわそわする。
こういう入ったことない部屋って、ちょっと緊張するんだよなぁ。と室内を見渡す。
すると、フチがちょっと金色でキラキラしている時計。大きな葉っぱの観葉植物。昔の先輩が取ったトロフィーとか、後は芸術的っぽい絵まで。それはそれは色々なものが置いてある。
⋯⋯⋯こういうの、ドラマとかアニメと同じ感じなんだなぁ。
でも。なんか検査結果を教えるだけにしては大袈裟すぎるよね?
さっきのスーツの人たちも気になる。茂田先生とも話してたし。
うおお。なんかここに来てちょっと燃えて来たかも。
なんて考えていると、部屋の外から山本先生の声が聞こえてきた。
どうやら誰かと話しているようで、扉の前で人影が止まる。
そして。少し声が小さくなったかと思うと、すぐに扉がノックされた。
『失礼します』
響いたのは、山本先生ではない声だった。
がらら。と扉が開く。
現れたのは、さっき見かけた、スーツの人たちだった。




