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幕間/茂田俊丞の手記(一部抜粋)(2)

【新暦67年7月16日(金)】side:町田佳奈子



 世田谷区立第三中学校は、東京は世田谷の中心部に位置している。

 一軒家が並ぶ閑静な住宅街の先。19時を回ろうという時間だが、今も職員室の光は消えていない。


 その日町田佳奈子は、退職が決まって以来久々の残業を熟していた。

 引継ぎ業務を今日で終わらせるためである。引継ぎ用の資料はもう完成しているのだが、真面目な彼女はそのブラッシュアップのために妊娠中の体をおしてパソコつンに向き合っている。


「あまり根を詰め過ぎちゃだめよ? 身重なんだから」


 そんな彼女に声をかける人物がいた。

 佳奈子が振り返ると、同じ数学科の教科主任である山本華がいた。

 先輩に話しかけられたのだ、佳奈子は振り返って体を向けようとしたが、そこを華はぐ、と抑え、隣の席に腰掛けた。

 

「まあまあ。コーヒー淹れたんだけど、休憩がてらどう?」


 お菓子も持って来ちゃった、と華はいたずらっぽく笑う。

 ほのかに湯気のたつ紙コップが佳奈子の机に置かれる。

 それに集中の糸がふ、と解けるのを感じ、佳奈子は紙コップに手を伸ばした。


 


「今何ヶ月目なの? もう服の上からでもちゃんと分かるくらい大きくなってるわよね」


「5ヶ月目です。なんでちょっと前から安定期に入ってて」


「そうなの? でも安定したからって残業はやっぱ負担よ? 私なんて一人目の時は、妊娠がわかった日から産休入るまで残業なんて一分もしなかったけど」


「あはは。安定するまでは私も控えてたんですけど、もう来週で終わりだって思うとちょっと寂しくて」


「わかる! なんか終わりが近くなると逆に仕事したくなる現象ね! あれ名前あるのかしら」



 他愛のない会話が続く。

 今日残業しているのは二人だけで、話し声は職員室に静かに響いた。

 

 ふと口元が寂しくなり、佳奈子は華が持ってきた焼菓子に手を伸ばす。

 すると華もそれに倣い菓子を摘む。

 一瞬の沈黙が広がった。



「………寂しくなるわね。特に茂田先生とか、貴女がいなくなったら心病んじゃうんじゃないかしら」


「あー茂田先生……」


「ええ。間違いなく貴女に恋してるでしょ、あれは」


「やー……あはは」



 

 先程とは違い、今度はニヤニヤと見てくる華に、佳奈子は曖昧に笑い返した。

 

 言われるまでもなく、佳奈子も分かっていた。

 茂田先生──俊丞は、見るからにその手の経験がなく、でも佳奈子が話しかけたときだけ、その表情がぱぁっと明るくなるのだ。

 佳奈子本人ではなくとも、好意を抱いているというのは少し見ていれば気付ける程に分かりやすい。


 だからこそ困る。

 そもそも佳奈子は俊丞と出会った頃には、今の夫と結婚を前提に付き合っていたし、歳は一回り離れていて、見た目や体型も理想とは程遠い。


 それでも、感情の純粋さや一途さといったものは、はっきりと感じ取れてしまうほどに明け透けで───それに全く気付かず、佳奈子と一言会話をすればすっかり気分良さげに仕事をしていた俊丞に、佳奈子自身嫌な気持ちは抱けないでいた。



「退職決まってから何か言われたりした? 僕と最後に食事でもー、とか」


「いや、何も………ただ………」


 ───泣きそうな顔で、おめでとうってだけ言われました。

 言おうとして、佳奈子は口篭った。

 どうしたの? と首を傾げる華に、佳奈子はなんでも、とぼかして返した。





 それから30分。会話をポツポツとしつつ、華と並んで仕事をして、良いところでそれを切り上げた。

 帰り支度をし、職員室の電気を消して、二人で学校を後にする。

 華は車で、佳奈子はバスで通勤しているため、お疲れ様ですと言い合って校門で別れた。



 最寄りのバス停まで、一人で夜道を歩く。

 仕事のこと。大好きな夫のこと。お腹の中の赤ちゃんのこと。

 考えるべきことは山程あるのに、佳奈子が今考えていたのは、俊丞のことだった。



 本当に優しい人なんだろうな、と思う。

 出会い方が違えば、タイミングが良ければ。もしかしたら、好きになってみようと思えたかもしれない人だった。

 見た目や体型については正直良いとは言い難い。があんなに優しそうだから、恋人のためにと垢抜ける努力はいくらでもするだろう。

 そんな姿が容易く想像できる。



 ふふ、と小さく笑って、佳奈子ははたと思い当たる。

 なんで私はさっき、おめでとうって言われたことを言わずにぼかしたのか。


 大切にしたかったんだ。

 表情を隠せないくらい傷ついて、それでも必死に取り繕って、おめでとうと言える茂田先生の健気さを。

 見ているこっちが切なくなってしまった、あの一瞬を。


 

 ごめんなさい。と佳奈子は心の中で小さく呟く。


 でもどうか、幸せになってくださいね。と最後に一度、俊丞のことを考えて祈った。


 夏の、街灯がボヤケて光る薄暗い夜道。

 気付けば佳奈子は、バス停に辿り着いていた。








 新暦67年7月31日(土)


 夏休みに入ったので、気分転換に色々とやってみることにした。

 いや違うな。正確には失恋したからだ。もう一々いいかそんなの。


 まず第一に、見た目をイメチェンしてみた。

 髪を思い切って短髪にして、眼鏡をやめてコンタクトをつけた。

 なんか変わったのかなぁ。わからん。ただお風呂は楽になった。

 

 次に服も全部買い替えた。

 勿論ファッションセンスなんてないので、恥を偲んで店員さんに話しかけ、選ぶのを手伝ってもらった。

 総額幾らだ?分かんないけど多分20万くらいは行ってると思う。

 

 そして最後に運動を始めた。

 一人だと長続きしないから、良いお値段がしたが、パーソナルジムに通うことにした。

 ジムでは久保田さんという方がトレーナーになってくれた。笑顔が素敵なマッチョの好青年で、こちらの気分を上手に盛り上げてくれる。

 ひいひい言いながらだが、なんとか続けられそうだ。


 後はちょっくら遠出して、魔法技術博物館にも行ってみた。

 展示されているのは、主に新暦元年以降、今は昔の魔法草創期の技術群たちだ。

 凄かった。かつての天才たちの思考に想いを馳せ、ひらめきの瞬間を想像するのはとても楽しい。

 残念ながら特に創造魔法に活かせそうものは無かったが、良い刺激になった。



 そして肝心の創造魔法については、現在非常に難航している。

 確認がてら一旦進捗を整理しておこうか。


【現状】

・創造魔法による生命創造をすることが最終目標。

・そのために、小博教授の提示したサンプル『レスポンサー』の再現を短期目標に置いている。

・この2ヶ月でレスポンサーの分析は一旦完了。

 水に、複数の魔力受容体(高分子、魔力を受けるとレスポンサー内で循環させながら魔力に込められた命令を繰り返す)が偏在していると仮定。

・現在この魔力受容体を創造魔法により作成しようとしている。



 こんな感じ。で、この魔力受容体の作成ってのがメチャクチャ難しいってわけ。

 一体何が難しいのか。問題点は二つあって、小ささと、反応の制御だ。


 まず前提として、創造魔法自体は既に成功している。

 試作品も出来上がっていて、それを端的に言うと『魔力を込めるとそれに反応して動くビー玉サイズの球体』だ。

 これは単一の物質で、

 こいつに、「座標の指定」が乗った魔力を込めると、それを消費して動き、指定された座標まで移動して静止する。

 込められた魔力が継続している内は重力を始めとした掛かる力に対して、魔力を消費する形でそれを打ち消し座標に静止し続け、消費しきるとその段階で反発をやめる。


 ここまではできる。そしてここからが無理。


 第一にこれ以上小さくすんのが無理だ。緻密すぎ。

 ビー玉サイズ以上に小さくしようとすると、呪文にイメージをのせきれず破綻する。

 そして反応の制御。魔力受容体に魔力の吸着と発散を行わせること自体は可能なんだけど、その調整に苦心している。


 というのも。魔力受容体は魔力を発散する必要があるが、決して全ての魔力を発散してはいけないのだ。

 なぜならこの受容体が、『魔力が込められている限り命令を繰り返す』ものだから。

 ようするに動作を維持する分の魔力は残して、適切な量を発散できないといけない。その割合の調整が難しいということだ。


 だが結果は少しずつ蓄積している。正直これはトライアンドエラーでやるしかないから、コツコツと時間をかけていくことにする。

 

 因みに。

 この受容体の創造について、魔法構築は呪文で行い、呪文言語はベーシックに『日本魔法構築言語』を使っている。


 あれ?そういえば呪文についてまとめたっけ。

 と思って日付を遡って振り返ったら、後でまとめとこうとだけ書いていてまとめられていなかった。

 いよいよ物忘れでも始まったのか? 流石にボケるにはまだ若いだろう。

 まぁ丁度いいのでここでまとめておく。



【魔法とは:構築】


 どっかで書いたかも。でも一応改めて。

 まず魔法は、魔力の反応と、それに対応する思考法・呪文・印(動作)のことを言う。

 考えるか、言うか、動くか。の3パターンの方法でしか現状は魔力を反応させる方法は見つかっておらず、魔法を使うならこのいずれかを必ず用いることになる。

 それぞれの概要は↓


『思考法』⋯無詠唱とも。3つの方法の内で一番難しいが、その分魔法のイメージをダイレクトに魔力に伝えられ、魔力→魔法の変換効率が良い。変化段階の魔法のプロが好んで使う。

『呪文』⋯詠唱とも。3つの方法の内一番オーソドックス。言語に込められた意味を組み合わせて魔法を構築する方法。言語毎に体系が存在しており、『日本魔法構築言語』は日本の高校レベルの魔法学でも使われる汎用性の高い呪文言語になる。

『印』⋯手で印を結んだり、ジェスチャーをしたり、杖や剣等の道具を用いて動作として魔法を構築する。

 3つの方法の中では一番古い。現代だとあんまり使われていない。



 こんな感じかな。


 でこっからは余談。

 小博教授によるレスポンサー創造の呪文は『赤い目の兎、青い目の狼。昏い夜に空を駆ける』になるんだけど、これは小博教授完全オリジナルだ。

 これ天才あるあるなんだけど、一周回ってる人らって魔法構築を独自の呪文で行うことが多い。

 それは構築の秘匿だったり効率化だったりと、色んな理由に依るんだけど。

 でそのオリジナル呪文って、『オシャレさ』で比較されたりする。

 どんなに効率が良くて秘匿性が高くても、元となる言語のネイティブっぽさがないとオシャレじゃない。

 そういうのは天才をやっかむ人から影で馬鹿にされることもしばしばあって、魔法学界隈の悪しき文化なんだよね。


 が、そのオシャレさの観点から見ても、小博教授のそれは洗練されている。

 なんか『赤い目の兎、青い目の狼。昏い夜に空を駆ける』ってめっちゃ詩的じゃない?

 センスの塊というかセンス爆発というか、これは魔法学に身を置いていた人にしか分からない感覚かもしれないけど、ちょっともう脱帽って感じ。

 因みに俺の受容体作成の呪文は『変質せよ。定義、圧縮、受容、発散。発露、座標へ移動』となる。

 オーソドックスな言語を使うとね。こういう無機質な感じになっちゃうんだ。

 

 

 俺もなー。オリジナル言語を作ってみようとした時期あったんだけどなー。

 普通に難しすぎて挫折した。

 センスが無かった、というよりはオシャレなものに触れてこなかった人生が出たという。

 感性ってのは若いうちに培っとくべきだったよ。ほんと。




新暦67年8月10日(火)


 今日は嫌なことがあった。凄い萎えている。

 魔法学基礎の教科別研修があったんだけど、そこで久々に苦手な同期と再会した。

 あいつまじ凄い俺を見下してんだよな。で今日も開口一番にイメチェンですか〜?とか半笑いで煽ってきてさ、なんか、なんだろ。それからもちょくちょくイメチェンイメチェンってイジって来てて。周りにもくすくす笑われた。

 決して悪口は言わないんだよ。あっちもいい年した大人だから。でもなんかもう態度に、視線に滲み出てんだよ馬鹿にしてんのが。


 なんなんだろう。でもあいつの方がさ、悔しいけど俺より顔が良くて背も高くて、家族がいて周りからの評価も高いんだ。

 なんなんだろうな。幸せなんだろ、なら放っといてくれりゃいいのにさ。

 俺があいつに何をしたっていうんだろう。なんでこんなに自分を惨めだって思わなきゃいけないんだろう。


 今日は萎えたからさ、研究開始以来、初めて全部サボってしまった。

 進まない研究にヤキモキしていたのもある。魔力操作の鍛錬もしないで、安酒を飲んで、泣いた。

 悔しい。ムカつく。うざい。舐めやがって。

 俺だって生きてんだぞ、馬鹿にすんじゃねぇよ、クソったれ!




新暦67年8月17日(火)

 

 この一週間、研究に身が入らなかった。

 なんかこの前の研修で、自分をどこか客観視してしまったというか、心のどこかで冷静になってしまったというか。

 ふと我に返って、なにをしているんだろう、と。失敗作の魔力受容体に囲まれながら思ってしまった。


 

 幸せってなんだ。なんなんだ。

 俺は果たして、これが成功したら幸せになれるのか?

 始まりは失恋だった。それで人の幸せを喜べない自分に気づいて、それが嫌だった。

 ノートに書き出してみた。そしたら俺は寂しいんだってことが分かったから、それを満たせばいいと思った。

 人の幸せを喜ぶには、自分が幸せでいなきゃいけないと思ってたんだ。



 そもそも俺は人の幸せを喜ぶ必要なんてあるのか?

 そうできない自分が嫌だと思ってた。そんな自分にはなりたくないと思ったさ。

 でもさ、俺から見たら本当に幸せそうなアイツだって、俺を簡単に馬鹿にしてきたじゃないか。

 ちょっと見た目が変わったくらいで。


 今までにもそんなことはいっぱいあった。

 どんなに幸せだってさ、そういう奴は他人の努力とか勇気を想像もせず笑ってしまえるんだろう。

 


 もしこの世全ての人間があいつみたいだったらさ。

 俺も人の幸せなんて喜ばなくていいのかもしれないよ。

 でも現実はそんなことないんだ。

 現実には優しい人や祝福されるべき幸せが山ほどあって、それが普通なんだ。普通のはずだ。

 俺はそういう優しい世界の中にいたい。だから。


 でもじゃあ俺は? 俺はなんでこうなんだ? そんな素敵なはずの世界で、そこに生きているはずなのに、なんでそれを外側から見ているんだろう。



 何だこれ。よくわからなくなってきた。

 


 俺にとっての幸せとは? この寂しさが満たされた先の俺は幸せなのか?

 そこにもし、また違った形の「幸せじゃない」があったとき、俺はどうするんだ?

 


 ⋯⋯まいったな。こんがらがってきた。


 最近ようやく気づいたんだけど、考えすぎるってのは俺の悪い癖みたいだ。

 考えすぎると答えがわからなくなる。頭だけがでっかくなって、気付けばその重みで首から下を動かせなくなってるみたいな。今まさにそんな感じだ。


 そしてそんな感じがしたから、今日は魔力操作の鍛錬だけして、魔力受容体には触れないことにした。

 集中できなくてさ。これも言い訳だ。

 誰に対しての?


 あーもうだめだ。今はやめだやめ。

 ねまーすおやすみ頑張れ明日の自分。


 って、明日部活あるじゃん。やばい何も準備してない!!!!


 もう少し頑張れ今日の自分!!


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