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「私来月で辞めるんですよ〜。寿退社ってやつで!」


 その言葉は、浮かれていた心を途端に覚束なくさせた。

 あ、そうなの。おめでとう。なんてありふれたお祝いを、生返事で返した。

 返すことができているのだろうか。


「ありがとうございます! それで〜〜」


 そこから先の言葉は、耳から入って、そのまま垂れ流される。

 カチコチに固まった口角をなんとか動かして、浅い呼吸みたいな相槌を打つ。

 彼女が話している姿がセピアに色褪せていくのを幻視しながら、俺は自分の宿命を呪った。



 ──茂田俊丞。それが俺の名前だ。

 今年で43歳。都内の中学校で教鞭を執っていて、担当教科は魔法学基礎。

 魔法学部のある大学を院まで通っていたから、生体魔法学の博士号を持っている。

 それ関連で趣味は魔法学の論文漁り。休日は専ら家に篭っているインドア派。


 そんな人生の影響で、それなりの学歴と貯金額、後は安定した職についているという強みがあるのだが、恋人いない歴=年齢で、かつ童貞という恥ずべき弱点を持っている。

 要するに、不細工、低身長、コミュニケーション能力不足。ファッションセンスなし。そういった非モテ要素を兼ね備えている。

 

 まあそんな。旧暦の古い言葉で言えば、『弱者男性』という言葉に頭から爪先までピッタリと当て嵌まった情けない人間が俺なのだ。


 そしてそんな俺にとって、笑顔で話しかけてくれる女性というのはそれだけで大変貴重な存在だった訳で。



「やってらんねぇー………」



 いつもと同じ帰り道。

 別に普段が軽い足取りということはないが、今日はとりわけ、家に向かう足の進みが遅かった。

 

 理由は明白。

 片想い──と呼ぶのも烏滸がましいか。心の中で、一人勝手に頑張る理由にしてた人が、喜ばしいことに寿退社することだ。

 あれか。公務員は会社員じゃないから、退社ってよりは退職か。

 なんて。


 ぐびり。

 手慰みに買った缶ビールを仰ぐ。

 失恋の後ってやっぱりセンチな気分になるなぁ。



 振り返ってみれば、俺の人生はずっとこんなことの繰り返しだったように思う。

 思春期に恋愛でいくつかの失敗をして、己ってものを思い知る。

 それからは頑張ったり頑張らなかったり。普通の範疇を出ないような日々を重ねて、いくつかの転機を経験した。

 環境が変わる度に、何かしらのきっかけがあって、誰かを好きになって。

 そして思春期のトラウマに手をこまねいているうちに、いつの間にかその人は、他の誰かと幸せになっているのだ。



「はぁ………げぇっぷ」



 誰に憚ることもなくゲップを撒き散らす。

 悲しいなぁ。


 何が悲しいって、好きな人の幸せ一つ、心から喜べないことが、だ。

 いい年こいてさ。童貞で、チビデブで、頭も薄くなってきてて、それで性格まで悪かったら最悪だろ。

 こんななりでも、人のために頑張れる性根があったから、なんとか社会の一部として生きてこれたのに。



「って、こういう卑屈なとこが無理って言われたっけなぁ」



 あれは確か、高二の夏だったかな。

 見た目のことじゃなくて、内面を理由に拒否られんのが一番キツかったりすんだよなぁ。


「懐かしいなぁ………」



 あの子は今何してるんだろうな。


 もう子供とかいんのかな、いるんだろうな。

 医療系が志望とか言ってたような気がするから、そういう方面で活躍してたりするのかもしれない。

 で、きっと子供はそろそろ手がかからなくなってきて、時間に余裕ができたら、やりたくてもできなかったことを、大切な人と一緒にやったりすんだろうな。



「はは……」



 そんな妄想を自分の今と比べたら、一周回ってなんか笑えてきた。


 人生詰んだなぁ、俺。

 幸せってどうすれば手に入るんだろう。幸せだった瞬間って、俺の今までの人生であったんだろうか。


 あったんだろうなぁ。

 でもそれは果たしてどれのことを言うんだろう。嫌だなぁ、こんなふうに自分の人生を振り返りたくない。

 だけど、じゃあ俺は幸せだと、幸せだったと胸を張って死ねるのか?このままで。



「─────無理だー………」



 きっとこのまま老けて、孤独のままでいたら。

 いつかきっと俺は、世界の全てを逆恨みするだろう。

 誰かの幸せを許せなくなる。というかきっともうそのレベルに片足を突っ込んでいる。

 だから好きな人の幸せを、心から祝福できなくなってきているのだ。



「ダメだ。幸せにならないとダメだ」



 ゆったりと体を回っていた酔いが冷めた気がした。

 呟いた言葉は、意識して放ったわけではないのに、何故かとても腑に落ち、強い存在感を放っていた。

 俺は今から幸せになる。そして、好きな人の幸せを祝える、優しい自分に戻るんだ。


 


 ────地獄の始まりとなった決意は、そんななんてことはない、帰り道に生まれたのだった。



 ☆☆☆



 幸せになるためにまず俺がしなければならないこと。

 それは幸せとは何か、どういう状態であるか、ということを明確にすることだった。



「………んー………」



 A4サイズの紙をを前に、鉛筆を握って悩むこと暫く。

 その手の動きはとても鈍かった。


 たくさんのお金があること? 女性にモテモテになること? 何も考えず趣味に没頭できること?

 そうやって、とりあえず思いついたものを書こうとしては、しかし思い留まってしまう。

 本当にそれが幸せなんだろうか、と考え始めると、なんかもっとしっくりくる言葉があるような気がしてきてしまうのだ。

 だいぶ哲学的な問いだ。


 哲学。哲学かぁ。大学のときに楽単だって聞いて授業をとったことがあったなぁ。

 つまらなそうだと思ってたけど、意外と面白かったなぁ。

 確か教授が、旧暦のミステリー小説を読み漁るのが好きっていう、ちょっとマニアックな趣味をしていたんだ。

 それで話が脱線することがよくあって………あー。



「消去法ってありか?」



 なんか思い出した。

 ミステリー小説で良くあるパターンとして、容疑者が複数で、かつ限定されることがあるんだと。

 でその場合、トリックを直接的に暴くというよりは、犯人以外のアリバイを確立することで逆説的に犯人を特定するみたいな、そういう手法が取られる?んだとか。

 仮説を潰しきった先に残る最後の真実、そこにどれだけのリアリティがあるかで作者の構成力も見えてくる、みたいなこと言ってたなぁ。

 もう授業の内容なんて憶えてないけど、こういう記憶って忘れないもんだよな。



「やってみるか」



 でも、ありだ。

 ようは自分が幸せじゃない状態っていうのを出しまくれば、その影として自分が幸せである状態ってのが浮かび上がって来るんじゃないか、というわけだ。

 そう考えたら────。



 ───『好きな人の幸せを祝えないこと』

 『誰かの幸せを想像して落ち込んでしまうこと』



 なんて。今日の出来事を皮切りに、スラスラと鉛筆が白紙の上を走り出した。




 ………




 『朝ごはんを一緒に食べる人がいないこと』

 『いってきますとただいまが独り言なこと』

 『今日あった面白いことを誰にも言えずに忘れちゃうこと』

 エトセトラエトセトラ。気づけば紙は、びっしりと「幸せじゃないこと」で埋め尽くされていた。

 

 まだ書こうとして、書けるスペースがなくなっていることに気づいて、ふと集中が途切れる。

 時計を見ると、書き始めてから一時間が経過していた。


「………はは」


 真っ黒になった紙。まだ書き出しただけなのに、なんだか達成感さえある。

 書いてると、そういえばこんなこともあったな、あんなこともあったなって、途中からは人生を振り返ってるような感覚だった。


 でも。


「………なんか、分かってきたなぁ」



 眺めていると、浮かんでくる感情がある。



 それは寂しさ。俺は、ずっと寂しかったのかもしれない。

 誰かにそばにいて欲しい。誰かと日常を分かち合いたい。

 なんてことはない。俺を大切にしてくれて、その上で色んな感情を分かち合ってくれる誰か。それが欲しかったのだ。

 って。


「つまり恋人ってことじゃん」


 がくっとなる。

 なんだろ、なんというか。なんか普通だなぁ。

 まあそりゃそうだよな。いたことないし、やっぱ欲しいか。

 好きな人の幸せを祝えないってのはつまり、自分が隣りに居たかったのにってことだもんな。そりゃそうか。



「でも………」



 恋人作り。

 想像して怖気づく。

 なんせこちとら根っからの弱者男性だ。恋愛ってものに碌な思い出がない。

 今回の、好きな人の結婚報告を聞くなんてのは正直思い出と比較したらだいぶマシな方だ。


 好きになったことを陰で迷惑がられてたり、告白したことを広められて別の人に馬鹿にされたり。そういうのを経験してきた身としては──自分の見る目がなかったとも、恋愛が下手くそだったとも言えるが───今から恋愛をして上手く行くビジョンが見えない。

 女の人が怖い。お前は劣っているのだと、態度で、言葉で、結果で突きつけられるのが怖い。怖くて仕方ないのだ。



「……………………」



 ちょっと無理だなぁ。

 今から大学に入り直して医者になるくらい無理。

 具体的に言うと、めちゃくちゃ頑張ればできなくはないかもしれない。でも人生の全てをかけるくらいの熱量と根気が必要で、そしてきっと、結果に辿り着くまでに何回も苦しい思いをする。

 それに耐えられる気がしない。


 なんか、継続ができる範囲で目指せる形はないだろうか。例えば趣味の延長であるとか、貯金を積み重ねて購入するだとか。



「趣味。趣味ねぇ……」



 俺の趣味は? 論文漁り。

 最近見た論文にとっかかりはないか。それっぽいのってあったっけ。

 あったようななかったような。


 ゴソゴソと、机の上で山になっていた雑誌を引っ張って寄せる。

 月刊魔法学論文、と銘打たれたそれは、長年定期購読している俺の愛読誌である。

 ページを捲れば、そこにはびっしりと最新の研究の題名と、その主旨が簡単に要約されて載っている。


 『循環魔法による農作業の最適化』

 『大気中の魔素の人体への影響』

 『アホウドリを阿呆でなくす魔法的アプローチ』

 『未来視の可能性』


 どれもこれも興味を唆られる題名だ。しかし今はちょっと求めてるものとは違う。

 恋人、恋人だ。というか愛してくれる人? 愛という感情? もっというと、寂しくない日常ってやつ?


 なんかないかなぁ。



 『ガン細胞の活動と魔力活性度』

 『地層学における魔力集積回路の有用性』

 『魔力の流動から見る天気予測』



 ないな。ないか?



 『創造魔法による生命創造理論』

 『魔法的ギミックを搭載した虫相撲スタジアム』

 『変成魔法による遺伝子組み換え』



 ───ん?



「生命、創造………」


 

 ページを捲る手がふと止まった。

 タイトルは『創造魔法による生命創造理論』。著者は……小博色香教授だけ。単独研究だ。



 

 ───小博色香教授といえば、良くも悪くも魔法学学会を騒がせている人物だ。

 良く言えば新進気鋭。悪く言えば荒唐無稽の尖った論文を定期的に発表することで有名である。

 が、確かまだ30にもなっていない筈なのに、『影の立体化』に成功したり、『星占魔法』という魔法の新体系を築きあげたりと、えげつない程の功績を上げている天才だ。

 最近名前を見ないなと思っていたら、こんな研究を行っていたのか。



 言わずもがな。生命創造は死者蘇生と並んで、魔法学では触れてはいけないタブーである。

 旧暦でいうところのクローン技術と系譜は同じ。いないはずの人間を生み出せてしまうということは、それだけで既存の社会秩序を容易く破壊してしまいかねないからだ。


 そんなこと、小博教授も承知の上だろう。

 だがその上で論文として理論を提唱してみせたのだ。

 ………イカれている。少なくとも俺には真似出来ない暴挙だ。



「………………」



 分かってる。

 こんなこと良くないし、理論を万が一理解できたとて絶対に実行に移しちゃいけないものだ。


 だというのに、俺はもう目を離せなくなっていた。



 悪魔の囁きが聞こえる。



 ────どうせ無理なら、俺を愛してくれる人間をそもそも作り上げてしまえばいいのでは?


 ────どうせやったって出来っこないさ。お前の人生を思い出してみろ。


 ────どうせ恋人を探したって無理なのは分かってるだろ。ならいいじゃないか。得意分野で勝負したって。



 どうせ。どうせ。どうせ。

 3つのどうせが重なった時には、もう手は携帯に触れていて、論文閲覧用のアプリに検索をかけていた。



 小博色香で調べる。あった。



「………なるほど」



 目次から流し読みしてみた。

 良かった。読める。


 そして俺は、学生の頃生体魔法学を専攻していた。から、分かる。

 分かってしまった。



「はは………」



 いやでも無理だろ。

 無理か? なんか、出来なくはない、かも。

 こういうのでネックなのは、生命を生み出せたとて『意思を持っていることを証明できないこと』だけど、それはそれ。

 俺が欲しいのは決して、意思を持って俺を否定する存在じゃない。寂しさを埋められるような反応をくれる存在だ。



「………やってみるか」



 だん、どんと。何故か少し焦りながら押入れに体を突っ込む。

 その奥には、仕舞っていた魔法研究用の道具一式が、ホコリを被って置いてあった。


 手で一度表面を払い、そこで止まる。



 「………」



 ゴクリ、と息を呑んで。


 意を決して、俺はその蓋をこじ開けた。

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