貴族向け婚活マッチングサービスで出会ったスパダリを全力で潰します
【婚活始めます】
「ニコラ、あんたまだ婚約者いないの?」
ニコラの友人の1人、レティシアが紅茶のカップを持ちながら大げさに目を見開いた。
この日、ニコラ・グランヴィル伯爵令嬢は、友人レティシア宅のお茶会に招待され、伯爵令嬢仲間たちとの雑談に興じていた。その中での一幕だった。
「え、別にいないけど? 婚活もしてないわ」
ニコラは肩をすくめて答える。すると周囲の友人たちが一斉に食いつく。
「別にじゃないわよ! 17歳で婚活すらしていないなんて遅すぎるわ!」
「いくら婚約晩期化の時代でも、女子なら16歳くらいから探し始めるのが普通よ!」
令嬢たちの質問攻めに、ニコラは眉をひそめた。
「だけど、うちの両親も、私の婚約のことなんて全然気にしてないわよ」
「え、どうして?」
「私のやる気がなさ過ぎて匙を投げたわ。1回だけお見合いの話が出たけど、やる気なさ過ぎて素っぴんで参加しようとしたら、親が慌てて止めてそれっきりよ」
ニコラはもう一度肩をすくめて言った。
「さすがにご両親が気の毒だわ!」
友人たちはもはや悲鳴に近い声でニコラを責める。
「まあまあ。別に焦らなくたって大丈夫よ、何とかなるわよ」
「何とかって、もしかして誰か特別な相手がいるの?」
「いないけど、今読んでる恋愛小説のほうが面白くて!」
「本の中の恋愛!? 嘘でしょ!?」
レティシアは額に手を当て、劇的な動作でため息をついた。
「ニコラ、あんた、現実に目を向けなさいよ。小説じゃなくて現実の相手を探すべきよ!」
「でも、現実に「理想」は求められないじゃない!」
ニコラは不満の声を上げる。
「そうでもないわよ、今流行りの『ペアリッチ』ならね!」
レティシアがそう言うと、周囲の令嬢たちも口々に賛同の声を上げた。
「ペアリッチって、あの貴族向けの婚活マッチングサービス?」
ニコラが興味なさげに尋ねると、レティシアは勢いよく頷いた。
「そう! 登録すれば家格や趣味、価値観に基づいて相手をマッチングしてくれるのよ。家の付き合いにとらわれず相性の良い人と出会えるなんて、画期的じゃない?」
ニコラは少し眉を上げた。
「親の紹介も社交参加もいらないっていうアレね……確かに王都のどこでも広告を見かけるけど……なんか怪しくない?」
「まあまあ、試してみなさいよ! 今、登録してる令嬢たちの間ではかなり評判いいのよ!」
「それに、あの広告に出てくるイメージ……やんごとなきお2人を彷彿とさせるのがまた良いわよね」
「そうね、あの色使いは露骨よね」
最近の王都で話題になっている、王弟殿下と女公爵閣下の恋の噂。2人とも35歳・27歳という年齢でありながら未婚という珍しい組み合わせだ。そこに目をつけたペアリッチは、2人を象徴する色を使った広告を打ち出し、『時間をかけてもいい。運命の相手を見つけましょう』というキャッチフレーズをつけていた。妙な説得力がある。
ニコラは茶を一口飲みながら少し冷めた声で言った。
「そんなロマンチックな出会いなんて、現実にあるとは思えないわ」
「だからって本の中に求めるんじゃないわよ!」
レティシアのツッコミが響き渡った。
数日後、ニコラは半ば無理やり、王都のペアリッチ本部を訪れていた。
「ようこそ、『ペアリッチ』へ。登録をお手伝いさせていただきますね」
受付の女性は、にこやかにそう言った。
ニコラは渋々といった様子で、目の前の登録用紙に向かう。名前や年齢、家格、外見、趣味など、細かい項目が並んでいる。中でも「理想の相手」という欄に差し掛かると、ニコラはしばらくペンを止めて考え込んだ。
「誠実で、知的で、有能で……あと、謙虚なこと。これ、絶対条件! そうでないと、あの作品の夫人のような悲劇が起きるわ」
彼女はペンを止めて考え込む。
「でも、王国紳士で、将来有望で、お互いに信頼し合える関係を築けること……え、これって欲張りなのかしら?」
彼女はそう呟きながら、スラスラと書き込んだ。家格や年齢、外見は「並以上」と雑であるにも関わらず、人格面だけはやたら具体的で詳細だった。
「まあ、こんなところかしら?」
数分後、用紙を確認した担当者の顔が固まった。
「……あの、ニコラ・グランヴィル様。この理想の相手像ですが、かなり……高望みというか、全ての条件を満たす方は、少し難しいかもしれません」
「はぁ!? これでも妥協してるんだけど!?」
ニコラは目を丸くして抗議した。
「そうおっしゃる方は多いんですが……『すべてが平均以上の人間』というのは、なかなかいないものなんです」
担当者は苦笑しながら、婚活の現実を淡々と説明する。
「例えば伯爵家以上となるだけで、登録者の内の約6割は脱落します。そこに年齢、外見と合わさってくると、最終的に1%未満の超上位層になってしまいます」
「嘘でしょ……これでも恋愛小説なら脇役程度のスペックなのに……?」
すっかり小説世界の住人となっていたニコラは、いきなり現実に打ちのめされていた。
「とにかく、登録は完了しましたので。最初のマッチング結果はすぐに届きますよ」
「なんだか、本当に期待していいのかしらね」
ニコラは不満げに席を立ったが、心のどこかでは少しだけ楽しみな気持ちも芽生えていた。
【ペアリッチ初挑戦! 個性豊かな男性陣との出会い】
1. ナルシスト男アラン・シュトラウス
王都の公園で待つニコラの前に現れたのは、メガネをかけた若い男性。アラン・シュトラウス。侯爵家の次男という触れ込みだ。彼は爽やかな笑みを浮かべて礼儀正しく挨拶してきた。
「お会いできて光栄です、ニコラ嬢」
「こちらこそ」と、ニコラも微笑み返した。
しかし、紅茶が運ばれるや否や、彼は勢いよく自分語りを始めた。
「先日の舞踏会で最も注目されたのは私だそうで……母も『完璧な息子』と絶賛してくれます。それに、父の事業も私が助言したら収益が倍増したとか……」
途切れることのない自慢話に、ニコラは徐々に顔をしかめ始める。そして、ようやく彼が満足げに問いかけた。
「どうです? 私、素晴らしいでしょう?」
ニコラは軽くため息をつき、穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ、とても素晴らしいお話でした。ただ……貴方自身が何を成し遂げたのか、もっと詳しく聞かせていただけます?」
アランが一瞬固まり、慌てて言い訳を始めるが、ニコラはさらに一言。
「貴方のお話が私の人生にどう役立つのか、ちょっと分からなくて」
ニコラの冷静な皮肉に、アランは口をつぐんだ。
2. 既婚者ハロルド・コーヴァン
次の相手、ハロルド・コーヴァン男爵は、落ち着いた雰囲気と優雅な物腰を持つ、いかにも「王国紳士」然とした男性だった。上品な笑みで挨拶され、ニコラは思わず「今回は当たりかも」と期待を抱く。
「いやぁ、ニコラ嬢とお話しするのを楽しみにしておりました」
柔らかい口調と王子様のようにスマートな会話に、ニコラもつい警戒心を解き始める。
しかし、公園を散歩しながら話していると、次第に違和感が募ってきた。
「ところで、次にお会いするなら水曜日が都合が良いのですが……休日は少し家の用事がありまして」
休日NG? 家の用事? その発言に首を傾げた瞬間、ふと彼の左手が目に入った。薬指にうっすらと残る指輪跡。
ニコラはわざと穏やかな声で尋ねた。
「あの、ハロルド様。その指輪跡……奥様の趣味では?」
にっこりと微笑む彼女に、ハロルドの動きが一瞬固まる。そして、咳払いしながら慌てて弁明を試みた。
「い、いや、これはその……古い跡でして……」
ニコラは席を立ち、彼をじっと見つめた。
「奥様によろしくお伝えください。それと、独身詐称しての登録は規約違反ですわ」
その冷静な一言に、ハロルドはぐうの音も出なかった。
3. 無言男マルコム・エインズリー
3人目の相手、マルコム・エインズリーは、待ち合わせ時間よりも早くニコラを待っていてくれたものの、無言だった。
「ニコラ嬢……その……」
初めの一言だけはなんとか搾り出したが、それ以降、彼は視線を落としたまま、全く話さない。ニコラは少しイライラしつつも、「まあ、最初は緊張するわよね」と自分に言い聞かせた。
「エインズリー様、えっと……最近読んだ本で面白いものとかありますか?」
ニコラが話題を振るが、返事はかすかな声での「探偵ものなど……」のみ。王都の公園の公共テーブルにて、爽やかな風が吹く中、1時間、気まずい沈黙が続いた。
「もう、解散でいいんじゃないかしら……」
ニコラがそう思った時、突然マルコムが顔を上げた。
「あ、あの、もし……その……迷惑でなければ、手紙を出しても……構いませんか?」
不器用ながらも真摯な黒い瞳に、ニコラは一瞬戸惑う。だが、頼られると断れない性格の彼女は、仕方なく連絡先を伝えた。
「まあ、手紙なんて数通で終わるわよね……」
なかなか上がらない成果に、ニコラは心が折れそうになっていた。
【月額登録】
ニコラはペアリッチの登録所に足を運んでいた。3人の相手と出会ったら、一度担当者と状況確認する予定となっていた。待合室の椅子に腰掛ける彼女の顔には、隠しきれない疲労感が漂っている。初めての期待と好奇心に満ちていた数週間前が、まるで遠い昔のことのように思えた。
「ニコラ・グランヴィル様、お待たせいたしました」
担当者が書類を手に現れると、ニコラは無理やり笑顔を作って応じた。
「ええ、よろしくお願いします」
担当者はにこやかにうなずき、ペアリッチの契約内容を確認し始めた。
「さて、現時点で3名の方とお会いいただきましたが、いかがでしたか?」
「……そうですね。正直、成果と言えるものは、今のところ特に……」
ニコラは肩をすくめながら、初対面でナルシスト男に辟易し、既婚者の虚言癖男に怒りを覚え、そして緊張しすぎて沈黙を貫いたマルコムとの気まずい時間を思い返す。
「なるほど。初期段階では、なかなか理想の相手に巡り合うのは難しいこともございます。ただ、3名までの無料お試し期間を経て、ここからが本番と言えるんです」
「ここから?」
ニコラは顔をしかめた。
担当者は、これ以上ない完璧な営業スマイルを浮かべながら言葉を続ける。
「ええ。これまでにマッチングされた方々を参考に、さらに精度の高い相性分析を行い、より理想に近いお相手をご紹介できます。ただし、これには月額登録が必要となります」
「月額登録……」
ニコラの眉がピクリと動く。
「それで、月額料金っていくらなの?」
「1金貨となります。特別プランですので、この料金で最大月5名までご紹介できます」
担当者は慣れた手つきで新しい契約書を取り出した。
「1金貨……」
ニコラは呟き、指で軽く額を押さえた。1金貨あれば、気になっていた高級ジュエリーが買える値段だ。お試し3名で十分に疲れた彼女には、正直かなりの出費に感じられる。
「本当に、それでいい人に出会えるのかしら?」
彼女が疑念を口にすると、担当者はプロらしく滑らかに返答する。
「もちろんです。実際、平均的には4〜5人目で理想のお相手に巡り合う方が多いですね」
「……平均的に?」
担当者の言葉にニコラは思わず小さく苦笑した。自分が「平均的」とは程遠いことは、彼女自身が一番よく知っている。
しかし、この時の彼女は、どこか諦めにも似た感覚を抱いていた。
「……わかったわ。それで登録するわよ」
渋々ながらも契約書にサインをする彼女を見て、担当者はにこやかに頭を下げる。
「素晴らしい決断です、グランヴィル様。次回のマッチング結果は数日以内にお届けしますので、どうぞ楽しみにお待ちください」
「楽しみねぇ……」
ニコラは力なく微笑んだが、心の奥では、「この月額登録が本当に価値あるものなのか」と疑念を抱かずにはいられなかった。
【文通友達】
ニコラは、自分の部屋で届いたばかりの手紙を眺めていた。封筒の端は真っ直ぐに切り揃えられており、シンプルだが丁寧な書きぶりから、書き手の慎重さが伝わってくる。差出人は――マルコム・エインズリー。
「……本当に送ってきたのね」
最初のデートでの無言時間を思い出し、ニコラは肩をすくめた。正直、あれっきりだと思っていたのに。半ば好奇心で封を開け、中の便箋を取り出す。彼の小さく整った文字が、彼自身の不器用さと真面目さを物語っていた。
ニコラ・グランヴィル様
拝啓 先日は、お時間をいただきありがとうございました。あのような形で貴重な時間を無駄にしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。
私は極度の人見知りで、初対面の方と上手く話すことができず……とても申し訳なく思っています。
本当は、読書がお好きな貴女と、本の話などをしたいと思っていました。しかし、予想以上に貴女が明るく、そして眩しい方だったので、すっかり尻込みしてしまいました。それでも、貴女が会話を続けようとしてくださったことが、本当に嬉しかったのです。
もしご迷惑でなければ、文通という形で、少しずつ交流をさせていただけないでしょうか?
これ以上、貴女の大切な時間を無駄にしないよう努力します。
どうぞよろしくお願いいたします。
敬具
マルコム・エインズリー
「……何この、妙に誠実な感じ」
ニコラは手紙を読んで思わず小さく笑った。無言だった彼が、こんなに言葉を尽くせるなんて。文章の端々に現れる誠実さに、少し胸が温かくなる。
とはいえ、次に会ってもまた無言で気まずくなるのは困る。手紙の方が気楽なら――そう考えたニコラは、机に向かい、ペンを取り出した。
マルコム・エインズリー様
手紙をいただき、驚きました。そして正直なところ、少し嬉しかったです。
先日のことは気にしていませんよ。むしろ、初対面で緊張してしまうのは自然なことですし、私ももっと上手く話題を振れば良かったのかもしれません。
文通という提案、素敵だと思います。お互い、無理のない形で交流を始められるのは良いことですよね。
ちなみに、私は今『王国の舞踏会』という恋愛小説に夢中になっています。この話は赤い髪飾りをした主人公が――(以下、数行にわたる熱烈な恋愛小説語り)
もし読書がお好きなら、エインズリー様のおすすめの本も教えていただけますか? それでは、お返事を楽しみにしています。
ニコラ・グランヴィル
こうして文通が始まった。
最初は丁寧なやり取りが続いたが、次第にニコラは調子に乗り始めた。マルコムから送られてきた「推理小説」の感想に影響され、初めてそのジャンルを手に取った彼女は、完全にハマってしまった。次に送る手紙には、推理小説に登場するキャラクターの心理分析や、犯人の動機に関する長文のオタク語りがぎっしりと書き込まれていた。
マルコム・エインズリー様
『亡国の密室』、とても面白かったです! 推理が進むたびに新しい手がかりが出てきて、ページをめくる手が止まりませんでした。特に第十章でのあの会話、犯人の動機を示唆しているんですけど、分かりましたか? 私は――(以下、推理と感想の長文)
こんな素晴らしい本を教えてくださってありがとうございます! 他にもおすすめがあれば、ぜひ教えてくださいね。
ニコラ・グランヴィル
ニコラは気づいていなかったが、彼女が手紙で見せる情熱は、少しずつマルコムの心を溶かしていった。
そして何より、文通という形式にして正解だった。互いに少しずつ言葉を重ねていくうち、2人は友人として自然に友好を深めていった。
【スパダリとの出会い】
ニコラは公園の噴水前に立っていた。4人目の相手との待ち合わせ場所だ。今回の相手は「ジェームズ・ベリントン」。プロフィールには「伯爵家令息」「読書と音楽が趣味」「社交界でも話題の若手紳士」とあったが、彼女はそれ以上の期待はしていなかった。これまでの経験が、期待と現実の間に深い溝があることを教えてくれたからだ。
「お待たせしました、グランヴィル様」
背後から聞こえた声に振り向くと、そこにはまるで絵画から抜け出したような青年が立っていた。金茶色の艶やかな髪に、目元のほくろが特徴的な端正な顔立ち、仕立ての良い深緑色のジャケットが優雅に映える。ニコラは一瞬、言葉を失った。
「……ええ、お待ちしておりました」
自分でも驚くほど上ずった声で答えると、彼は軽く会釈した。
「ベリントンです。本日お会いできて光栄です」
最初の数分で、ニコラはジェームズにすっかり引き込まれていた。彼の言葉遣いは上品で、会話も落ち着いている。これまでの相手と違い、ジェームズは彼女の話を丁寧に聞き、さらに興味深い質問を返してくるのだ。
「ニコラ嬢は読書がお好きだとか?」
「ええ、そうなんです。最近は推理小説にハマっていて……」
「それは素晴らしいですね。私も実は、『王宮の影』というシリーズが好きでして」
「えっ、私も読んだことがあります! あの展開、驚きましたよね!」
2人の会話は弾み、ニコラは心の中で「ついに出会えたかも」と思った。だが、彼女の鋭い観察眼は一抹の違和感を見逃さなかった。
(……でも、なんでこんなに完璧なの?)
彼の仕草や言葉には、一切の隙がない。まるで、事前にニコラのことを全て調べ上げて準備してきたかのような自然さ。だが、具体的な証拠があるわけではない。
「勘ぐり過ぎかしら……こんな理想的な人を前に、私、どうかしてるの?」
心の中で自問自答しつつも、ニコラはジェームズとの時間を楽しむことにした。
数回のデートを重ねても、ジェームズの完璧さは崩れなかった。彼は常に穏やかで、ニコラの話に興味を示し、彼女を気遣う。だが、いざ深い話題に踏み込もうとすると、彼はさりげなく話題を変える。
「ニコラ嬢、次回はどこでお会いしましょうか?」
「それより、ジェームズ様は普段、どんなことをされているんですか?」
そう聞くと、ジェームズは目線を外して右上の宙を見つめ、しばしの間を置いてから答えた。
「まだ秘密です。貴女とのデートを重ねる理由にしたいので」
彼の巧妙なかわし方に、ニコラはときめきの中に少しずつ苛立ちを覚えるようになっていた。それでも彼への興味は薄れなかった。
そんな折、ペアリッチから連絡が届いた。
「グランヴィル様、月額登録の継続についてご確認させていただきます。なお、マッチング相手との連絡はペアリッチを通じておりますので、解約された場合は直接のやり取りが難しくなります」
個人情報を守るため、サービスの連絡を経由する仕組みだと説明された。解約すればジェームズとのデートも途切れる可能性が高い。
(ここでやめたら、彼との可能性も消えちゃうかもしれない……)
ニコラは即答した。
「もちろん、継続します。この1ヶ月で決着をつけてみせるわ!」
それからも、ジェームズとの関係は微妙なまま続いた。幾度かのデートを重ねたが、彼は「もう少し交流を深めたい」と繰り返し、はっきりとした進展はなかった。
(……さすがに、どこかおかしい)
そう感じ始めたニコラは、ある日、1人で街を歩いているときに衝撃的な光景を目にする。ジェームズが、別の女性と手を繋ぎ、親しげに話しながら散歩している姿だった。
彼女は一瞬で全身が冷たくなるのを感じた。
ペアリッチでは、特定の相手と継続デートを希望した場合、他の相手とのデートが組まれることはない。また、貴族社会の常識で言っても、複数の相手と同時に手を繋ぐような関係になるなど、眉を顰められる行為だ。
胸に広がる怒りと失望を抑えながら、冷静に観察を続ける。
(あの女性の顔……確か、同じ伯爵家のご令嬢だわ)
相手の女性をしっかり確認した後、2人には気づかれることなく立ち去り、速やかに帰宅したニコラ。頭を冷やしながら、ジェームズに対する疑念が確信へと変わっていくのを感じていた。
(これで終わりだとは思わないでよ。真相は絶対に暴いてやるわ)
【マルコムとの再会】
ニコラは机に向かい、勢いよくペンを走らせていた。相手は文通友達マルコム・エインズリー。彼との手紙のやり取りはすっかり日課になっていた。マルコムの手紙から伺える語彙力の高さから、ニコラはマルコムを「知的な人」とみなしていた。
親愛なるマルコム様へ
本日は少し違う話題を書きます。なんと、ペアリッチで出会った4人目の男性、ジェームズが、他の女性とデートをしているところを目撃しました! 本当に信じられません。浮気……というよりも詐欺に近い気がします。何か裏があるような気がしてなりません。
まるで探偵小説の序章のようでしょ? マルコム様なら、この事件の謎を解明する方法を思いつくのではないかと思い、こうして筆を取った次第です。
ニコラ・グランヴィル
手紙を書き終えると、ニコラはすぐに使いの者を呼び、届けるよう命じた。いつも丁寧に返事をくれる彼が、今回も何か面白い意見をくれるだろうと期待していた。
数日後、返事は驚くほど早く届いた。封を開けると、予想通りのマルコムらしい冷静で的確な分析が書かれていた。
ニコラ様へ
まず、ジェームズ様が他の女性とデートをしていた件ですが、個人的な推測として、その背景にペアリッチのサービス自体が絡んでいる可能性が考えられます。そもそも、4人目からは有料でのサービスとなることに加え、条件の良すぎる相手が4人目で現れるのは不自然です。
考えられるのは、彼が「ペアリッチ側の意向」で、貴女にとって魅力的な人物として派遣された可能性です。この仮説が正しければ、ペアリッチの運営にはかなりきな臭い部分があると思います。
お力になれそうであれば、ぜひともお手伝いさせていただきます。
マルコム・エインズリー
その一文を読んだニコラは、椅子から跳ね上がる勢いで立ち上がった。
「有能すぎる……!」
浮気による胸の痛みはどこかへ吹き飛び、彼女の目は輝いていた。ジェームズへの怒りを押しのけ、心はすでに「この巨悪を打倒する」という使命感に燃えていた。すぐに返事を書く。
親愛なるマルコム様へ
あなたの推理に感動しました! さすがマルコム様、まるで探偵小説の主人公のようです。ぜひ、この巨悪を打倒するために、私と一緒に推理しませんか?
ご迷惑でなければ、私の家にお越しいただけませんか? 直接お話ししたほうが効率的ですし、いろいろと作戦を練りたいと思います。
ニコラ・グランヴィル
数日後、マルコムはニコラの邸宅を訪れた。案内された応接室には、アネモネの花が飾られている。真実を象徴するその花は、ニコラの意気込みそのものだった。ニコラは薬草茶を用意しながら、自信満々に言った。
「この場面、まるで『亡国の密室』の第七章の再現みたいじゃない?」
マルコムはそんな彼女の様子に思わず吹き出した。
「確かに、あのシーンですね。ただ、私はあの主人公ほど有能ではありませんよ」
「そんなことないわ。貴方なら真実に辿り着けるわ!」
彼女の全力の信頼に、マルコムの頬が赤く染まる。そして、彼は小説中の名セリフを口にした。
「『真実は常にただ一つ』、ですかね?」
2人は顔を見合わせ、声をあげて笑った。冒険の始まりを告げるような笑い声だった。
ニコラとマルコムは、アネモネが飾られたテーブルを囲みながら、資料の山に目を向けていた。その資料は、ニコラがこれまで友人たちから聞き出したペアリッチ利用者の話をまとめたものだった。
「これ、すごいですね……」
マルコムが感嘆の声を漏らした。彼の手元には、数枚の丁寧にまとめられたメモがあり、それぞれに令嬢たちの名前と彼女たちの体験が記されている。
「これでも私、頑張ったのよ!」
ニコラは胸を張ったが、表情はどこか沈んでいる。
「確かに『運命の出会い』で2人揃って解約できた人もいるけど……」
そう言って、ニコラはある令嬢の名前が書かれた紙を指差した。
「でも、ほとんどの人が『気になっている人はいるんだけど……』って感じで、継続してるのよね。そして、その相手の話を聞いてると……」
彼女は紙をめくり、目を伏せた。
「……私の状況にそっくりなのよ! どれも理想的すぎて、現実味がない。ああ、もう、自分がどれだけ愚かだったか思い知らされるなんて!」
マルコムはその言葉に苦笑しつつも、資料に視線を戻した。
「ふむ……興味深いですね。まず、皆さんに共通しているのは……」
彼は指を使いながら要点をまとめていく。
「資産家であること、月額登録を継続していること、4〜5人目で理想の相手に出会っていること、その割に関係の進展が止まっていること、そして……登録時に高すぎる理想を申請していることですかね」
ニコラは表情を曇らせながら、思わず声を上げた。
「それって、つまり……最初からターゲットにされてたってこと?」
マルコムは静かに頷いた。
「恐らくそうでしょうね。最初の3人は無料ですし、サービスを継続させるために、4人目以降で理想的すぎる相手を用意する……これは、彼らの収益構造にかなり適っているように思えます」
マルコムは薬草茶に口をつけ、更に推理を進める。
「そして極め付けは、相手側の煮え切らない態度。月額契約を延長させるのに都合がいい。むしろそれが目的だったのでは……つまりオトリ役だったのではないでしょうか」
ニコラはテーブルを叩き、大きく息をついた。
「許せないわ! 乙女心を金儲けに利用するなんて!」
ふと、ニコラはマルコムに目を向けて問う。
「マルコム様も4人目で理想の相手を紹介されたの?」
マルコムは一瞬たじろぎながらも、穏やかな口調で続けた。
「実は、僕はペアリッチを解約していました。有料登録はしなかったのです」
「え、どうして? きな臭いと思ってたの?」
「ま、まあ、その、そんなところです……」
そのマルコムの曖昧な態度をよそに、ニコラは手を握り締めて叫んだ。
「こんなの、黙っていられないわ! 絶対にやり返してやる!」
ニコラの勢いに、マルコムは少し笑いを漏らしながらも真剣な表情で頷いた。
「なら、計画を立てましょう。やるからには、徹底的に」
その一言に、ニコラの目が輝いた。
「そうよ、やり返すなら、徹底的にね! 具体的にはどうするの?」
マルコムは目を閉じ、一瞬考えを巡らせた後、冷静な口調で言った。
「まず、彼らのやり方を詳しく知る必要があります。そのためには……彼らの内情にさらに近づく必要がある」
「わかったわ! どんなことでも協力する!」
その言葉に、マルコムは再び微笑んだ。
「ニコラさん、まずは今わかっている情報から更なる事実を突き止めていきましょう」
2人はテーブルを挟んで向かい合い、計画の詳細を練り始めた。アネモネの花が風に揺れ、部屋は静かだが、どこか燃え上がるような空気が漂っていた。
【2人の探偵】
ニコラ・グランヴィル伯爵令嬢の邸宅は、この日、華やかな笑い声と軽やかな談笑に包まれていた。彼女が主催するサロンには、王都の伯爵令嬢たちが招かれ、豪華なティーテーブルを囲んでいた。
「まあ、ニコラ。このケーキ、 驚くほど美味しいわ!」
1人の令嬢が嬉々として言うと、ニコラは微笑みながら答えた。
「ありがとう、レティシア。シェフに伝えておくわ。南部産の果実を使っているのよ」
優雅な会話の中、ニコラの目はさりげなく、今日の客の1人、キャサリン・オールトン伯爵令嬢の様子を追っていた。彼女こそ、ニコラが目をつけていた浮気相手だった。控えめながらも上品な物腰で笑みを浮かべるキャサリン。その華やかな雰囲気は、明らかに今誰かに恋をしている女性のそれだった。
(間違いない。あの時の女性……彼女が相手ね)
ニコラは、表情に気づかれないように小さく息を吐くと、優雅に紅茶を口にした。そして、自然なタイミングで会話を切り出す。
「ところで皆さん、最近素敵な方とお知り合いになったりしているのかしら?」
「まあ、ニコラったら唐突ね!」と1人が笑うと、ほかの令嬢たちも興味津々とばかりに口々に恋バナを始めた。
「実は……まだお父様には秘密だけど、とても素敵な方とお茶をご一緒してるの」
「私なんて舞踏会でお話ししただけよ。でも、あの方の瞳は忘れられないわ!」
令嬢たちの声が次第に高まる中、ニコラはさりげなくキャサリンの方を向いた。
「キャサリン様はどう? あなたはお美しいから、きっと素敵な方が寄ってきているのでは?」
キャサリンは驚いたように目を丸くし、少し頬を赤らめた。
「ええと……まあ、その……まだ両親には秘密なのですが、最近お会いしている方がいますの」
「まあ、素敵!」
他の令嬢たちが一斉に興味を示す中、ニコラは微笑みを浮かべて一歩引きながら、彼女の言葉を待った。
「彼は……金茶色の髪で、王国紳士らしい優しい眼差しで……それに、目元に小さなほくろがあるの。とても知的な方で、考え事をするときはいつも右上を見つめる癖があって……なんだか微笑ましいんですの」
キャサリンの声が少しずつ熱を帯びるにつれ、ニコラの中で確信が形作られていった。その特徴――目元のほくろ、金茶髪、考え事をするときに右上を見る癖――間違いなくジェームズその人だった。
サロンが盛り上がる中、ニコラはひそかにキャサリンに近づき、小声で声をかけた。
「キャサリン様、少しお散歩でもいかがです? 中庭が静かで気持ちいいんですよ」
キャサリンは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑み返した。
「まあ、ぜひご一緒させていただきますわ」
2人はサロンを抜け出し、ニコラの屋敷の中庭へと向かった。冬の日差しが柔らかく降り注ぎ、木々や花壇が穏やかな雰囲気を醸し出している。
「ここ、素敵ですね……都会の喧騒を忘れられそうです」
キャサリンがそう呟くと、ニコラは軽く頷いた。
「ありがとうございます。こういう静かな場所、私も好きなんです」
しばらく雑談を交わしながら歩いていると、ニコラは自然な流れで話題を変えた。
「キャサリン様、先ほどのお話、とても素敵でしたわ。お相手の方、本当に魅力的な方なんですね」
キャサリンは少し照れたように笑みを浮かべた。
「ええ……私なんかにはもったいないくらいの方ですの」
「どんな方なのか、もっと知りたいわ。どちらのお家の殿方なのでしょう?」
ニコラはさらりと尋ねた。キャサリンは一瞬迷ったように視線を落としたが、やがて口を開いた。
「……ヘンリー伯爵家の、オスカー様とおっしゃいます」
(やっぱり偽名ね)
ニコラは心の中でそう思いながらも、表情には出さず、穏やかに頷いた。
「お話を聞かせてくださってありがとうございます、キャサリン様。こんな素敵なお相手に巡り会えたなんて、とても幸運ですわね」
ニコラは最後にそう告げ、微笑みかけた。
後日。マルコムは、王都中央図書館閲覧室の机に広げられた分厚い本をじっと見つめていた。重厚な革装丁に、金の箔押しで「アヴェレート王国貴族名鑑」と記された一冊だ。名鑑には王国中の貴族の名前、家格、領地が事細かに記されている。機密性の高い資料のため、貴族家の当主か、その当主の許可証を持つ子息しか、閲覧できない仕組みとなっている。ページをめくるたびに、紙の擦れる音だけが静かな部屋に響いた。
「……やはりない」
彼が指でなぞっていたのは、「ベリントン」と「ヘンリー」の名。ジェームズが名乗っていたという二つの家名だ。しかし、貴族位ではどちらも王国内には存在しない。マルコムは一度深呼吸をして、確認のためもう一度名鑑を読み返した。それでも、該当する名前は見当たらない。
「偽名だな……間違いない」
彼は静かに呟くと、名鑑を閉じた。次にするべきことは、ジェームズが名乗った身分そのものが嘘であることを、さらなる証言で裏付けることだった。
王城の中庭には噴水の音が静かに響き、貴族の若者たちが談笑を楽しんでいた。華やかな衣装に身を包んだ伯爵家の令息たちが、噴水の周囲に集まるのは日常の風景だった。マルコム・エインズリーも、伯爵令息の1人としてこの場に馴染んでいた。彼は顔なじみの一団に近づき、穏やかに声をかけた。
「少しお時間をいただけるかな? ちょっと気になることがあってね」
「マルコム、珍しいじゃないか。何だ、何の話だ?」
伯爵令息仲間の1人、アンドリューが軽い口調で応じた。周囲の令息たちも興味深げにマルコムに視線を向ける。
「ベリントンとか、ヘンリーという家名に心当たりはないか? それと、金茶髪で目元にほくろがあり、右上を見る癖がある伯爵令息を見かけたことは?」
その場が少し静まり返った。全員が顔を見合わせ、首をかしげる。
「ベリントン? ヘンリー? 悪いが、聞いたことがない名前だな」
アンドリューが眉を上げて答える。
「金茶髪で目元にほくろがある? そんな目立つ見た目なら記憶に残るはずだよなぁ」
隣の青年も同意するように頷いた。
「同じく。伯爵令息なら、どこかで顔を合わせていそうなものだが……全然思い当たらないな」
別の青年も首を横に振り、噴水の縁に座り直す。
「ありがとう、十分参考になったよ」
彼は礼を述べてその場を離れた。背後では、アンドリューが冗談混じりに言葉を投げかけていた。
「ところで、そんな男を探してどうするんだ? お前にしては珍しいな!」
マルコムは振り返らず、軽く手を挙げて応じた。
(間違いない……ジェームズは偽名を使い、伯爵家の令息を装っている)
中庭を抜ける彼の足取りは、次の手がかりを探す決意に満ちていた。
【張り込み調査】
王都の賑やかな一角にある公共サロンは、比較的地位の低い貴族たちが気軽に集う場として知られていた。豪華ではないが清潔で、若い男爵令息や令嬢たちが自由に交流できるその場所は、庶民的な雰囲気を感じさせた。
ニコラとマルコムは、数日前からここに通い詰めていた。2人の仮説が正しければ、ジェームズ――あるいは別の名を名乗る彼が、ここを訪れる可能性が高いと踏んでの行動だ。
「そろそろ現れてくれないかしらね……」
窓際の席に座ったニコラは、熱いハーブティーにそっと息を吹きかけながら言った。彼女の視線は、サロンの入口から目を離さない。
「辛抱強く待つんだ。重要な証拠を掴むためには、時間がかかるものだ」
隣に座るマルコムは落ち着いた声で言いながら、視線だけで周囲を警戒している。
「伯爵令息ではないのなら、男爵家の可能性が高い――この仮説、本当に合ってるといいけど」
仮説の根拠はこうだ。オトリ役を演じる上で、侯爵位ならわざわざ下の身分を偽って婚活市場価値を落とす必要はない。本当の身分を隠すにしても、偽名だけで良い。伯爵を詐称するメリットがあるのは男爵家だからだ。相手の条件として「伯爵家以上」と希望を出す女性貴族が多いことからも明らかだ。
ちなみに公爵位の可能性については検討するまでもなかった。王国に5家しかない公爵位であれば、そのご子息も国内中に顔が割れている。
「もし男爵家ですらないなら庶民ということになるけど、さすがに庶民が王国紳士として振る舞えるとは考えにくい」
マルコムの仮説は論理的であり説得力はあったが、こうも不発の毎日を過ごしていると、ニコラも焦燥が浮かんでくるのであった。
その時、サロンの扉が音を立てて開いた。ニコラが小さく息を呑む。
「……あれ、ジェームズじゃない?」
彼女の指差す方向には、金茶色の髪と品の良い服装をまとった青年がいた。落ち着いた態度でサロンに入り、数人の若い男女に笑顔を向けている。確かに、ジェームズだ。
「やっと現れたな……」
マルコムは冷静に呟いた。
「ここからは僕が行動する。少し様子を見ていてくれ」
マルコムは立ち上がり、さりげなくその集団に近づいた。彼が耳を立てて会話に注意を向けると、すぐに彼らの笑い声と親しげな会話が聞こえてきた。
「オーウェン、本当に君は気さくだね。さすがエルドリッジ男爵家の令息だ」
「いやいや、大げさだよ。でも、皆とこうして話すのが好きなんだ」
「オーウェン・エルドリッジ男爵令息」という名が、ジェームズ――いや、この場では「オーウェン」と呼ばれる彼を指していることが明白だった。
マルコムは内心で冷笑を浮かべる。彼がニコラやキャサリンに名乗った「ベリントン伯爵令息、ヘンリー伯爵令息」という肩書きが完全な偽りであることが、これではっきりした。
マルコムはそのまま気配を殺し、静かに席に戻った。
「どうだった?」
ニコラは小声で尋ねた。マルコムは椅子に腰を下ろしながら答えた。
「間違いない。彼はここで『オーウェン・エルドリッジ男爵令息』を名乗っている」
「……やっぱり」
ニコラの目が細められる。怒りと驚きの入り混じった表情だった。
「これで彼が伯爵令息でないことは確定した。そして、持っていない爵位を名乗る行為は、身分偽証罪に該当する。これは貴族社会に対する重大な侮辱だ」
マルコムの声には冷静ながらも、厳しく断じた。
「じゃあ、次はどうする?」
ニコラは真剣な表情で問いかける。マルコムは少し考え込んだ後、静かに頷いた。
「彼と直接話をする時が来たな。これを使えば、必ず動揺するはずだ」
2人の視線が交わり、次の行動を決める決意が固まった。
【王国紳士】
王都の公園はいつものように穏やかな空気に包まれていた。ジェームズは噴水の前でニコラを待っていたが、彼の表情にはどこか落ち着かない影が見えた。待ち合わせの時間になると、現れたのはニコラだけではなかった。彼女の隣には見知らぬ男性、マルコム・エインズリーの姿があった。
「遅れてごめんなさい、ジェームズ……いえ、オーウェン・エルドリッジ男爵令息様?」
ニコラの柔らかな笑顔と言葉に、ジェームズの顔色が一瞬で変わった。動揺を隠しきれない様子で、彼は口を開いた。
「何のことか、さっぱり分からないね……」
「そう? あなたが王国内のどこにも存在しない『ベリントン伯爵家』の令息ではなく、エルドリッジ男爵家の次男であることを確認したのだけど?」
ニコラは微笑みながら、一歩彼に近づいた。
「爵位詐称は重罪よ、オーウェン。ペアリッチの紹介状が証拠だわ。さぁ、どうするのかしら?」
ジェームズはしばらく黙り込んでいたが、やがてその顔が赤く染まり、怒りに駆られたように叫んだ。
「ふざけるな! こんな小娘が……!」
彼は手を振り上げた。その瞬間、マルコムが冷静かつ素早く間に割り込んだ。
「おっと、それ以上はやめておくべきだ」
彼はジェームズの手をしっかりと掴み、その動きを封じた。そして、冷ややかな笑みを浮かべながら皮肉を口にする。
「君が爵位だけでなく品位も持ち合わせていないことは、今の行動で十分に証明されたよ」
ジェームズは反論しようとしたが、マルコムの力強い手に抑え込まれ、身動きが取れない。その光景を見たニコラは、思わず胸が高鳴った。
(王国紳士……!)
マルコムは視線を逸らさず、淡々と続けた。
「今ここで終わらせるか、それとも法廷で君の物語を語るつもりか、選ぶのは君次第だ」
ジェームズはしばらく黙り込んでいたが、やがて観念したように肩を落とした。
「……分かった。何でも話す。だが、頼む、家族を巻き込むのはやめてくれ」
マルコムはジェームズの手を放しながら、「それは君の態度次第だ」と冷たく言い放った。
マルコムに捕捉されたまま、ジェームズは重い口を開いた。
「全部……家のためだったんだ。エルドリッジ家は借金で首が回らない状態なんだよ。どうしても金が必要で、あのサービスに……」
「ペアリッチね?」
ニコラが冷静に言葉を引き取る。
「そこで高位貴族のフリをして、複数の女性を騙していたと。あなたとペアリッチの間で交わされた契約書か、金銭受取証。あるわよね? 見せてもらえるかしら?」
「そんなもの、ここには――」
「なら、あなたの家まで行きましょうか?」
ニコラが微笑んだ。
「伯爵家の力を使って家宅捜査をするのは簡単よ。でも、素直に協力してくれたら、嘆願くらいは出してあげてもいい」
ジェームズは怯えた様子で頷き、「分かった。家まで案内する……」と力なく答えた。
【勝利のお茶会】
ニコラとマルコムはジェームズから回収した契約書をもとに、ペアリッチの詐欺行為を正式に王都治安局へ告発した。王都治安局は迅速に動き、ペアリッチを摘発、幹部を軒並み逮捕した。ペアリッチが広告にやんごとない2人を想起させるものを使っていたこともあり、摘発・逮捕の動きが早かったようだ。
ペアリッチはやはり、理想が高い資産家の令息・令嬢をターゲットに、複数のオトリを使って有料サービスへ誘導していた。それが詐欺罪に当たった。
ニコラは一応、治安局に対して、ジェームズが捜査協力してくれたことも言い添えたが、あとは当局に判断を委ねた。
澄み渡る秋空のもと、ニコラの邸宅のサロンには、陽光が差し込み、柔らかな空気が漂っていた。テーブルには丁寧に準備された紅茶とともに、月桂樹の模様をあしらったパイ生地のお菓子が並べられている。月桂樹の花言葉は「勝利」。そして、それは「亡国の密室」の最終話で描かれた解決後の茶会の情景そのものだった。
「……またこれかい?」
マルコムはお菓子を見て吹き出した。ニコラの張り切りぶりが目に浮かんで仕方がない。
「やっぱり気づいたのね。ほら、あのシーンを再現したかったのよ!」
ニコラは誇らしげに胸を張りながらも、少し頬を赤らめた。
「相変わらず徹底してるね。僕には到底敵わないよ」
マルコムが苦笑すると、ニコラは嬉しそうに笑った。
「そういえば、この前王都治安局で事情聴取を受けたんだけどさ……」
紅茶と菓子で雑談に興じていた最中、マルコムはふと真面目な顔つきになった。
「調査の内容を説明したら、局長室の人たちがやけに感心してね。成人になったら、治安局で働かないかってスカウトされちゃったよ」
「王都治安局の局長室って、あのエリートコースの!?」
ニコラは思わず声を上げた。目を輝かせる。
「すごいじゃない! 将来有望……!!」
マルコムは照れくさそうに肩をすくめた。
「とは言え、上手くいったのは君のおかげなんだけどね」
「あくまで謙虚なんだから!」
ニコラは呆れつつも嬉しそうに微笑んだ。
少しの間、静かな時間が流れた。マルコムは手元のお茶を眺めながら、小さな声で呟いた。
「不謹慎かもしれないけど……君と探偵活動するの、楽しかったよ」
その一言に、ニコラは一瞬胸が高鳴った。意味深な雰囲気を感じ取りながら、彼女は微笑みを浮かべつつ言った。
「私も楽しかったわ。……貴方と一緒だから、戦えたんだと思う」
言葉を口にした瞬間、ニコラはハッとした。頭の中に、ペアリッチ登録時の出来事が蘇る。
――誠実で、知的で、有能で……あと、謙虚なこと。これ、絶対条件!
――でも、王国紳士で、将来有望で、お互いに信頼し合える関係を築けること……
(あれ、これ全部マルコムに当てはまってるじゃない……!?)
気づいた瞬間、顔が真っ赤になるのを抑えられなかった。マルコムはニコラの変化に気づいた様子だったが、あえて触れず、穏やかな声で切り出した。
「……次は僕の家でのお茶会に誘っても良いかな? 百合の花は庭にはないけど、飾っておくので」
それはニコラの大好きな恋愛小説『王国の舞踏会』の作中の名シーンのことだった。百合が咲く庭で主人公と貴公子の恋が始まるのだ。
ニコラはその言葉にさらに頬を赤く染めながら、照れた笑みを浮かべた。
「喜んで……! あ、赤い髪飾りつけてお伺いするわ!」
2人の間に漂う柔らかな空気の中で、ニコラは確信した。これは新しい物語の始まりだ、と。それもとびきりのラブストーリーだ、と。
ご覧いただきありがとうござきました。
この短編は連載中の作品のスピンオフ作品です。お気に召したらそちらも覗いてくれると嬉しいです。
拗らせ女公爵と策略王弟の愛と希望の日々 〜政略と社交の狭間で愛し合ってみせます〜
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