第九話 当て馬の成果
「はっはっはっはっは!」
中庭の一角でセオドアの笑い声が大きく響いた。
「オレがいない間にそんな面白いことになってたの? はぁ~、お腹が痛い……ふふふっ!」
セオドアと共にテーブルに着くのは、恥ずかしそうに顔を歪めるマチルダと身を縮こませて震えるブライアンだ。
セオドアがひとしきり笑うと、目に浮かべた涙を拭いながら、カップを手に取った。
よほど笑いのツボに入ったのか、今も口から笑い声が漏れている。
「そうかそうか、マチルダにこんな大きな子どもがいたなんて驚きだ。ブライアン、オレの事をお父様と呼んでもかまわないよ?」
「か、勘弁してください、殿下ぁ……」
情けない声を出して許しを請うブライアンに、セオドアは満足気に頷く。
「冗談だ。話はもう十分聞けたから、退席していいよ」
「ご、御前を失礼させていただきますぅ……!」
半泣きになりながら席を立ち、ブライアンは逃げるように去っていった。
「ふふっ……お母さん。お母さんかぁ……あははっ」
思い出したのか、再び笑い出したセオドアに、マチルダは羞恥心に襲われ、彼を睨みつけた。
(そんなに笑わなくてもいいではありませんか!)
醜聞とは言わずとも他の男子生徒と噂になりセオドアの機嫌を損ねる、もしくは信頼を失わせないか不安だったが、彼が笑い飛ばしくれて安心した半面、こうも笑われると複雑だ。
マチルダの視線に気付いたセオドアが、「ごめんごめん」と軽く謝ると、紅茶を一口含んで落ち着く。
「でも、珍しいね。マチルダが人の不摂生に口を出して叱り飛ばすなんて。ブライアンとはあまり関わりがなかったと思うけど?」
「それは……」
自分が当て馬なる役目を全うすべく会話に割り込んだり、ブライアンが未来で辺境に飛ばされたり、死んだりしたのを見たからだなんてさすがに言えない。
「彼が殿下の近衛騎士候補だからですわ。新生活に浮かれているのかもしれませんが、いつまでもそうしていられると困ります」
「そう。ちゃんと目下の者にまで気にかけてあげるなんて優しいね、マチルダ。でも……君に叱られた彼がちょっと羨ましいな」
セオドアは寂しそうな笑みを浮かべて言い、マチルダはきょとんとしてしまう。
「う、羨ましい……ですか?」
「うん。だって、マチルダはオレを褒めたり、優しくしてくれたり、励ましてくれたりするけど、オレを叱ったり、怒ったりはしないだろう?」
「そ、それはわたくしが怒るまでもなく、殿下が完璧だからですわ」
彼はマチルダを茶化すことはあっても、困らせたり、怒らせたりするような人ではない。品行方正の紳士である彼にマチルダが敢えて指摘するようなことはなかった。
「オレはマチルダが思っているほど、完璧な男じゃないよ。今だって、オレはマチルダに叱られたことがないのに、ブライアンが叱られたって聞いて、羨ましいって……いや、ブライアンにちょっと嫉妬してる。まるでオレの知らない君を知られたみたいで」
(し、嫉妬……? あの殿下が?)
セオドアの口から似合わない言葉が飛び出し、マチルダは瞠目して彼を見つめる。
「それにオレだって、一度くらいは君に叱られてみたいって思うよ」
セオドアがマチルダの手を取り、自分の口元へと引き寄せた。
「だからオレを叱って、マチルダ」
「~~~~~~~~~~っ!」
あざとい。あざとすぎる。そして、なんていうお願いをしてくるのだろうか。
王族のお願いは命令である。断ることなんてできない。とはいえ、言葉通りに叱るわけにはいかない。
「で、殿下……」
「なぁに、マチルダ?」
「そ、そのお願いは……ふ、不謹慎ですわっ」
呻くようにマチルダがそう叱ると、セオドアは満足気に頷いたのだった。
◇
「おい、娘。おぬしは一体、何をしている」
午後の授業が終了し、まだ教室に生徒達が残っている中、マチルダは職員室に呼ばれたセオドアを待っていると、ダンタリオンが時を止めて現れた。
そして、第一声がこれである。
「な、なんですか、急に。わたくしは当て馬なる役目を果たすべく、二人の会話に水を差したのですわ。ちゃんとお邪魔虫を演じていたでしょう! 看病イベントも阻止いたしましたし!」
「方向性は間違っていないが、イベントを潰してどうする! イベントとは男女の絆や愛を深めるためにあるのだぞ!」
ダンタリオンはそう叱責すると、深いため息をつくなり、やれやれと首を横に振った。
「はぁぁああ~……まったくこれだから、恋心の分からぬ生娘は。攻略本を与えてもこの程度か……」
「何よ、これ見よがしにため息ついて。わたくしにだって、恋心なり乙女心なりあるのですよ!」
そう自分はちゃんと恋を経験しているし、乙女としての恥じらいだってある。化粧室だろうとなんだろうとどこにでも現れ、プライバシーもへったくれもない本を作るこの男より、だいぶマシである。
しかし、ダンタリオンはそんなマチルダを鼻で笑った。
「ならば、おぬしは共感性が足りぬのだな。だから、こうも暴力的で情緒に欠けるのだ」
「なんですって!」
散々な物言いに、さすがのマチルダも声を荒げた。
「そもそも、当て馬の説明もやり方も指導せずに攻略本だけ渡して放り出したのは、貴方でしょう! これは立派な指導放棄ではなくて⁉」
マチルダがそうまくしたてると、彼も少し思うところがあったのか、自分の顎を撫でて考えた。
「なるほど、一理あるな……」
「え……」
まさかダンタリオンがあっさりと納得するとは思わず、マチルダは面食らった。
プライドが高いとまでは言わないが、彼は自分なりの理論を持って、マチルダに当て馬をやらせている。マチルダを動かすべく、攻略本を作ったり、未来を見せたり、やっていることはだいぶハチャメチャな男だが、傍若無人というわけではなさそうだ。
(ケチとつけられたと憤慨するかと思ったのだけれど……意外と素直?)
彼はマチルダに聞こえない程度にぼそぼそと独り言を呟くと、自分の中で結論がついたのか、小さく頷いた。
「まあ、よい! まだ一週間ほどしか経っていない上に、運命の相手もまだまだいる。我が直々に当て馬をレクチャーしてやる!」
「当て馬のレクチャー⁉」
「そうだ! 資料をかき集めてやるから、明日首を洗って待っているがいい!」
資料。それを聞いてマチルダの頭に浮かんだのは、攻略本のような分厚い冊子だった。あんな鈍器のようなものを渡されて読まされるのはごめんだ。
「え、ちょ⁉ ダンタリオン⁉ 適当に教えてくれるだけで十分なのですが⁉ ダンタリオン! ねぇ!」
ダンタリオンは足早に姿を消し、翌日鈍器のような資料の束を渡されるのだった。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
小説一冊分くらいの量が書けたらまた掲載したいと思います。(書き終わるといいな!)
それではありがとうございました!