第四話 攻略本
その夜、明日の準備も済ませたマチルダは、あの男からもらった攻略本なるものを取り出すため、自室にいた侍女達を下がらせた。
「ストレージ」
そう口にすると、マチルダの手の中に攻略本が収まった。あの男が手を加えたおかげで、本を持つ腕も痛くない。
「本当に本が出てきましたわ。さてさて、攻略本とはこれ如何に……」
あの男が、リタの恋を盛り上げる為に渡した本だが、一体どんなことが書かれているのだろうか。マチルダはさっそくページをめくった。
「ん? んん? んんんっ⁉」
一ページ、二ページとめくり、とうとう驚きを隠せなくなったマチルダは、思わず声を上げた。
「なっ、なんなんですの、この本は⁉」
中にはなんと、文字だけでなくイラストまで描かれており、それも全て色付きだった。重要な部分は字体を変え、色を変え、波線や注釈までついている。これほど豪華な本は、国中を探しても見つからないだろう。
さらに驚くべきことは、ケテルマルクス学園だけでなく王宮や他家の屋敷の見取り図まで掲載されていた。さらに警備の配置から王宮の隠し通路まで詳細に書かれている。
「こ、これは禁書の部類に入るものでは……? 恐るべし、攻略本……ん?」
戦々恐々とページをめくっていくと、今度は『入学式から卒業式までの三年間の流れ~ルート別徹底解説~』と書かれたものがあった。
「ルート別?」
試しにめくってみると、神を名乗る悪漢を可愛らしくしたイラストが描いてあり、悪漢が攻略対象と呼ばれる人物の説明をしていた。
『第一近衛騎士団、団長の一番弟子、ブライアン。愛嬌のある笑みが魅力のワンコ系男子である。腕っぷしが強く、剣の腕は学園一! 普段は無邪気に愛嬌を振り撒いているが、剣を握ると一変。君だけのカッコいいナイト様に様変わり! 普段とのギャップがたまらないのだ~!』
「ぶっ……ふふっ……このギャップがたまらないのだ~って……ふふふふっ!」
この本はあの男が用意したものだが、もしかして、この文章を考えたのも彼だろうか。そう思うと笑いが込み上げてきて、目から涙が出てきた。
他にもブライアンの身長や体重、誕生日、それから好きなものまで記載されている。イメージカラーは赤らしい。
「こ、これはちょっと個人情報が過ぎないかしら……あの男が喋っているところを見るだけでも読んで笑ってましょ」
もはや本来の目的を忘れ、マチルダは次のページをめくった。
今度は入学式から一か月のスケジュールが書かれており、ブライアンがいつどこで何をしているかや休日のデートの誘い方までもが書かれている。
「え……なにこれ?」
なぜ、ブライアンの一か月の予定が書かれているのだろうか。これが学校の行事予定表なら分かる。しかし、このスケジュールには『看病イベント発生! お見舞いに行くのだ!』と、風邪を引く予定まで書かれていた。
「え? ええっ⁉」
そして、その風邪を引いた日の枠にはページ数が振られている。恐る恐るマチルダがそのページを開くと、リタとブライアンの会話の全文が書かれていた。
(な、なにこれ⁉ なんで未来の会話まで載っていますの⁉)
彼らの会話文はかなり詳細だ。おまけにリタのセリフはいくつか話題が選べるらしく、数字が振られていた。
どうやら会話の内容によって、ブライアンはリタに好感を持つようになるらしく、数字はブライアンの好感度を示すものだった。
(リタへの好感が一気に高まると…………っ⁉)
ばんっ!
マチルダは勢いよく本を閉じた。
自室には自分以外誰もいないと分かっているが、思わず人の気配を探ってしまう。
(だ、抱きしめていたわ。薄着ではだけているブライアンが、あの子を!)
会話文の最後に二人が抱きしめ合う絵が描かれていた。見てはいけないものを見てしまったような気がするが、なぜそうなるのか確認するため、マチルダは二人の絵を見ないように絵の部分を手で隠して読む。
見舞いに来てくれたリタを応対するため、ブライアンは身体を起こしていた。しかし、熱で頭が朦朧としてしまい、自分で身体を支えられなくなる。リタが慌てて彼を支えようとして、そのまま抱きしめられる形になっていたようだ。
後日、あの時のことを話すと、ブライアンは熱のせいで覚えていないと書かれていた。
「『自分だけの秘密の思い出なのだ!』って……こ、こんなの……っ!」
マチルダの頬が急激に熱くなっていく。
「ただのプライバシーの侵害ですわ~~~~~~~~っ!」
◇
(最悪ですわ……)
昨夜読んだブライアンの看病イベントなるページが頭から離れず、マチルダは寝不足になっていた。
目の隈や顔色は化粧で誤魔化したが、身体が怠い。
(やはり、あの男は悪漢でしたわ……あんな物を淑女に寄越すなんて信じられない)
人の個人情報からプライベートなことまで記載した本を平気な顔して渡してきたのだ。
一度呼び出して叱りつけてやろうかと思ったが、淑女の部屋に男を入れることは憚れ、マチルダは思いとどまった。
「マチルダ、今日は元気がないね。大丈夫?」
セオドアにそう声をかけられ、マチルダは笑みを浮かべる。
「いえ、そんなことはございませんわ」
今日もセオドアと共に登校しており、向かい側に座る彼は心配そうな顔をしてマチルダを見ていた。
「そう? 気分が悪くなったら言ってね? すぐにリデル家に送るから」
「その心配は無用です。殿下のお顔を見たら、疲れも病も全部吹っ飛ぶのですから。それに……殿下と一緒に登校できることがずっと楽しみだったのです」
彼の学力なら飛び級入学も夢ではなかった。それを彼が断ったのは、幼い王子を外に出す周囲の不安だけでなく、マチルダの我儘だった。
『わたくし、殿下と一緒に学園に通いたいです』
王宮で一緒に教科書を並べて学ぶこともあったマチルダは、つい我儘を言ってしまったのだ。
週に四回ほど会う仲だったが、学園に入学してしまえば、ほとんど会えなくなってしまう。それに加え、彼に自分以上に仲が良くなる友達ができてしまうことが嫌だった。
セオドア自身は学園へ飛び級入学できると聞いて興味があったようだが、マチルダの我儘を聞いて、薦められていた入学を見送ったのである。
当時は彼が入学しなかったことを喜んだが、大きくなってから少し後ろめたい気持ちが胸に残っていた。
しかし、マチルダの想いとは裏腹に、彼は嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「オレもだよ、マチルダ」