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第三話 おタイム


 あとは教室へ行き、ホームルームを受ければ今日は終了である。セオドアのエスコートを受けながら教室へ向かうと、女子生徒達の囁き声が聞こえてきた。


「平民の子が特待生で入学だなんて」

「きっと何かの間違いじゃない?」


 一応、試験に受かれば入学ができるが、貴族の子どもが通うような学校だ。学費もバカにならない。一応、支配階級にいない富裕層の子どもも生徒にいるが、学費を免除された特待生というのはそれだけで注目される。

 特待生受験はもちろん高得点を取らなければ合格できないが、学費が払えない生徒のための救済措置のようなもの。学園へ寄付金を出すのが当たり前だと思っている貴族達にとって貧乏人ですと張り紙をぶら下げているようなものである。


(あちこちで噂になっていますのね、あの子…………あら?)


 前方にあのリタの姿が見えた。何か急いでいるのか、小走りで階段の方へ向かって行く。すると、曲がり角で誰かにぶつかった。

 それはどこか大型犬のような愛嬌のある赤毛の少年。彼はぶつかったリタに軽く謝り、どこか照れたように笑っていた。


(あ、あれは! おぅぷにんぐむぅびぃにあった!)


 そう夢の中で見せられた映像とそっくりな光景が目の前にあったのだ。


(嘘でしょ? え? でも、あれは夢なのよね?)


 しかし、目の前で起こったことにマチルダは夢のことだと簡単に片付けるにはわけにはいかない。なぜなら自分にもセオドアにも深く関係していくことだからだ。

 ふと、マチルダは夢で男が言っていたことを思い出し、セオドアの腕を軽く引く。


「殿下、わたくし化粧室に行きたいと思いますので、先に教室へ行ってもらえないでしょうか?」

「ああ、分かった」


 セオドアがそう頷き、マチルダは化粧室へと早足で向かった。

 幸い、そこには誰もいない。マチルダは一度深呼吸をしてから、胸の前であの男が言っていたハンドサインを作る。


「おタイム!」

「『お』は付けんでよろしい……ぐはっ!」


 突如、男子禁制の化粧室に現れ、さらには背後を取ってきた悪漢に、マチルダは容赦なく裏拳を叩き込んだ。


「神聖なる女の園に、なぜ貴方がいらっしゃるの?」

「おぬしが呼んだんだろうが! 不可抗力だ!」


 赤く腫れあがった鼻を押さえ、男は涙目になりながら訴える。


「ごめんあそばせ。まさか場所もかまわず現れるとは思わず」

「そうだとしても少しは躊躇しろ! いくらなんでも理不尽すぎるわ! というか、おぬし! あの男の前と態度が違い過ぎるだろ!」

「眉目秀麗、文武両道、天が造り給うた奇跡の権化と呼ばれたわたくしの殿下と不審者を同列に扱うなんて不敬ですわよ!」

「どさくさ紛れに惚気てんじゃねぇーよ、バーカ!」


 男はそう叫ぶと肩で呼吸を繰り返し、咳払いする。


「とにかくだ。おぬしはずっと半信半疑だったようだが、これでようやく分かったであろう。我が見せた映像と同じことが起きるとな……」


 確かにこの男が言うように、夢で見た光景と同じことが起きた。それは認めよう。しかし、だからと言って、この男が言ったことが信用できるかは別問題である。


「同じことが起きましたが、私が当て馬とやらになる理由がありませんわ」

「何?」


 将来国の為になる有望な人材とはいえ、マチルダはセオドアの婚約者だ。マチルダの評判はセオドアの評判へと直結する。それに彼が言っていた『当て馬』というのもいまいち理解ができていなかった。


「恋愛成就なんて、特別なことをしなくても勝手に結ばれるわ。わたくしがわざわざその当て馬?になる必要がどこにあるのですか? 世にはゆっくり育む愛というのもあるのですよ」


 そうマチルダとセオドアはそうやって関係を築いている。政略結婚でまだマチルダの片思いであるが、いずれは告白し、誓いを立て、強い絆で結ばれた夫婦になるのだ。


 しかし、そんなマチルダを男は鼻で笑う。


「何を言うか。何か大きな出来事があってこそ、人の想いは強くなるのであろう」

「はあ……?」

「例えばだ。おぬしが敬愛するあの男。あれほど心酔しているのだ。何か思い出となる出来事や理由があったのではないか? まさか顔だけで惚れ込んだのではあるまい?」

「………………」


 そう言われてみて、マチルダは彼との思い出を振り返る。

 婚約は親同士が決めたものだったが、たしかマチルダは初体面で一目惚れしたのだ。そして家の為、セオドアの為にマチルダは邁進してきた。後は和やかにお茶をしたり、ダンスの練習をしたりといった思い出ばかりが思い起こされる。


(あれ……思い出ってこれだけ?)


 想像以上にのほほんとした思い出しかなかった。もっと何かがあるはずだと頭をひねってみても、思い出せるのは輝かんばかりのセオドアの笑顔。


 目の前では「どうだどうだ? 思い出があっただろう?」と得意げな顔をしている男がおり、マチルダは思わず顔をそらした。


「おぬし……っ! 嘘だろ⁉」

「まあ、わたくしのことなどいいではありませんか。おほほほほ」


 どこかがっかりした様子で男はマチルダを睨んだ後、頭を押さえて深いため息をつく。


「娘、良く聞くんだ。人間が大きな偉業を成し遂げようとする時、必ず必要なものが存在する」

「あら、それは何かしら?」

「まずは『きっかけ』だ。日常に浮かんだ小さな疑問、誰かとの出会いや別れ、経験から生まれた感情。これが行動の理由となる」


 言われてみれば、確かにそうだとマチルダは静かに頷いた。


「そして『逆境』と『志し』。向かった道が必ずしも平坦な道とは限らない。時には誰かと意見が対立するであろう。目標を前に挫折を味わうこともあるだろう。もしかしたら、不当な搾取を受け、己の誇りや大事な存在を傷つけられることもあるかもしれぬ。そうした出来事を乗り越えてこそ、固い絆で結ばれ、のちに多くの人の心を引き付ける。そしてその困難を乗り越えるには、強い意志が必要だ。その意志こそが人を助け、同士を呼び、己の力となるのだ」


 悪漢のくせになかなか良いことをいう。最後の方ではマチルダも思わず聞き入っていた。


「そして、最後に必要なもの。それは──……」

「それは……?」

「権力だ」

「急に俗っぽくなりましたわ」


 さっきまで真面目なことを言っていたのに、どうしてこうなるのか。

 真面目に聞いていた自分が馬鹿らしくなり、マチルダが冷ややかな目を向けると、男は舌を鳴らしながら首を横に振る。


「甘いな、娘。権力がなければ、人を動かすことなど出来ぬ。金も手に入らぬ。大それた計画を立てようと握り潰されるのがオチよ」

「妙に現実味があって腹立たしいですわね」

「それに、おぬしも気付いているだろう。あの娘の運命の人が、ほとんど権力者に近しい人物であることを」


 この男の言う通り、夢の中で見たリタの運命の人は貴族、それも王族に関わり合いのある者ばかりだった。

 騎士団長の一番弟子、宰相の息子、公爵家の長男、王宮の研究部の秘蔵っ子、そして国の第一王子である。

 夢の中では堂々たる顔ぶれに驚いたが、リタの未来に行う偉業、そして男が言ったことを考えれば納得いく人選だった。


「しかし、権力を持った男達に囲まれていれば、逆境は生まれにくい。そこで、お前の出番だ。由緒ある公爵家生まれ、王族の婚約者という肩書き、あの娘と真逆を行く優れた容姿こそ、逆境を生む強いファクターとなるのだ!」

「は……はぁ?」


 熱く語られるが、マチルダは気の抜けた返事しか出なかった。


「でも、わたくし、こう見えて善良な人間ですので、誰かを邪魔する方法なんて思いつきませんわ」

「我を蹴りと拳で痛めつけといて何をぬかすか。まあ良い。そんなこともあろうかと、これを用意しておいた」


 そう言って、男が何もない空間から取り出してきたのは、辞書ほどの厚さのある本だった。


「なんですの、これは?」

「攻略本だ」

「攻略本……というか、重っ⁉」


 一体何を攻略する本なのか、何一つ想像つかない。おまけに本の重みが両手にずっしりと伝わってきて、腕が痛くなりそうだ。


「これには便利な情報が多く載っている。常に持ち歩き、おぬしの役に立てるがよい」

「こ、こんなの重たくて読みづらいですし、持ち歩けませんわ……」

「うむ……人間とは軟弱だな」


 男は自分の顎を撫でながら考えると、何かを書くようにして本の表紙を指の腹を滑らせていく。すると、みるみる本が軽くなっていき、片手で持てるほどの重さになった。


「よし、これでいいだろう。娘、ストレージと言ってみよ」

「す、ストレージ。きゃっ」


 持っていた本が瞬く間に消えてなくなり、手が軽くなる。


「き、消えましたわ……」

「攻略本を出したい時は再び『ストレージ』と言うがよい。ただし、腐っても攻略本だからな。あれを見る時は人目のつかない場所がいいだろう。もしくは、『タイム』を使って時を止めろ。分かったな」

「そういえば、時を戻すにはどうすればよろしいの?」


 あの時は夢だと思って考えてもいなかったが、もしもの時の為に聞いた方がいいだろう。

 しかし、男も考えていなかったのか。自分の顎を撫でながら低く唸った。


「ああ、そうだな……我が時を戻してやるつもりだったが、任意で時を戻したい時は、右手を開いたまま右上へ持ち上げ、『プレイ』と言うと良い。今回は我が時を戻してやる」

「わかりましたわ」

「それじゃ、任せたぞ」


 男は姿を消すと、周囲のざわめきが戻って来た。ポケットに入っている懐中時計も確認すると、本当に時間が止まっていたようだ。


(攻略本はあとで確認するとして、まずは殿下の所へ戻りましょう)


 マチルダは化粧室を出ると、先ほどのピンクブロンドの少女、リタと赤毛の少年が目の前を並んで歩いていた。


 この一瞬でだいぶ仲良くなったのか、距離が近いようにも見える。


(たしか、彼は第一近衛騎士団、団長の一番弟子、ブライアンでしたわよね?)


 マチルダは彼と関わり合いが少ないが、セオドアと時折、剣術の稽古をしているところを見たことがある。確か騎士爵の父を持ち、彼の素質を見抜いた騎士団長が弟子にしたとか。将来はセオドアの近衛騎士に任命されるのではないかと専らの噂だ。


(身分も分け隔てなく接し、愛嬌もあって女性にも評判の方だと聞いたことがあるわ。彼と一緒だとどのような未来を辿るのかしら……)


 そんなことを思いながら歩いていると、彼らはマチルダと同じ教室へ入っていく。

 正直、あまりリタには関わり合いたくないというのが本音だが、こればかりは仕方あるまい。

 思い切って教室へ足を入れると、マチルダの姿に気付いたセオドアが手を振った。


「やあ、おかえり。マチルダ」


 セオドアが待ってましたと言わんばかりに、自分の隣の席を叩く。

 教室の机は階段状に並べられており、どうやら自由席のようだ。セオドアに誘われるままに席に着くと、マチルダ達の後ろに座ったリタとブライアンの楽し気な話し声が聞こえてくる。とりあえず、夢が夢ではないのは分かった。


 そして、あの男が見せた光景が現実に起こり、おそらく未来でも同じようになるのであろう。


(とにかく、状況を整理するのよ)


 マチルダはホームルーム終了後、屋敷に帰宅するのだった。

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