第二話 入学式
マチルダ・リデル。マチルダの先祖は大昔、拳で大悪魔を退散させたことで、聖女の称号を得た町娘である。のちに爵位を得た後、代を重ね、今では王家の血も取り入れ、公爵位となっている。当然ながらマチルダもその聖女の血を引いていた。
(特異点、恋愛成就、悪役令嬢……当て馬ねぇ……)
今朝見た夢のことを頭の中で反芻しながら、マチルダはため息をついた。
夢の内容が頭にこびりついて離れない。もしかしたら、自分の婚約者が別の女性と結婚するかもしれないのだ。しかも、マチルダが国外追放されるような事態が起きてしまうのである。
(一体、何をすれば国外追放されるようなことが起きるのかしら。まあ、全部夢の話だし、気にするだけ無駄だわ。さっさと忘れてしまいましょう)
今日はマチルダにとって、記念すべき日。王都にあるケテルマルクス学園へ入学するのだ。
入学式の日にあんな夢を見るとは思わなかったが、きっと新生活に緊張をしていたのだと今のマチルダには分かる。
「お嬢様、殿下がお見えになりましたよ」
「今行きます」
侍女に呼ばれてエントランスへ向かうと、婚約者のセオドアが待っていた。
マチルダとは色みの違うプラチナブロンドの髪に海のような青い瞳と若葉の色のオッドアイの瞳をした彼は、顔を見慣れているマチルダすらもうっとりしてしまう程の美少年だった。式典などで正装を身に纏った姿も素敵だが、新品の制服に袖を通した彼の姿もまた趣があっていい。
(今日の殿下も素敵だわ……)
彼はマチルダの姿に気付くと、にっこりと笑みを浮かべる。
「やあ、マチルダ。普段のドレス姿も素敵だが、制服も似合っているね。君の制服姿を誰よりも早く見られるなんて、これも婚約者の役得かな?」
「もう、殿下ったらお上手なのですから。殿下の制服姿も素敵ですわ」
お世辞だと分かっていながら、マチルダは頬を朱に染めてしまう。
いや、彼にそのように褒められて喜ばない女など、この世にいるはずがないとマチルダは断言できる。
「さあ、行こうか」
「はい」
セオドアの手を取り、マチルダは馬車へと乗り込んだ。
しばらく雑談をしながら馬車に揺られていると、夢にも出てきた学園の校門が見えてきた。セオドアにエスコートされながら馬車を降りると、誰もがマチルダ達を注目する。
第一王子とその婚約者だ。特にセオドアは式典などでしかお目にかかれない者もいるだろう。特に気にすることもなく、二人は入学式が行われる会場へ向かった。
二人が案内されたのは、講堂の二階にあるボックス席である。
他の新入生達と違うのは、セオドアの護衛のしやすさを考えてのものだろう。しかし、この席に彼が通されたということは、入学式の新入生代表挨拶は彼ではないということだ。
「そういえば、新入生挨拶はマチルダではないんだね?」
「ええ、わたくしは殿下かと思いましたわ」
セオドアは幼い頃から英才教育を受けてきた。どうやら地頭も良いらしく王宮の家庭教師は飛び級してケテルマルクス学園への入学を勧めていたほどである。
そんな彼が新入生代表挨拶をしないと馬車で聞いた時は驚いたが、彼はマチルダがすると思っていたらしい。
(殿下を差し置いて新入生代表だなんて、一体どんな方なのかしら……?)
入学式が始まり、とうとうその新入生代表の名前が呼ばれる。
『新入生代表挨拶、リタ・ロバーツ』
聞き覚えのある名前がアナウンスされ、マチルダは目を見開いた。
壇上に上がったのは可愛らしいピンクブロンドに水色の瞳をした少女だった。
(あれは……夢に出てきた成り上がり女ですわーーーーーーーーーーっ!)
「ああ、あの子か。たしか平民の生まれで特待生となった子だね」
セオドアが感心したように頷いていたが、マチルダはそれどころではない。
「平民の……特待生?」
これは正夢か。いや、もしかしたら自分はまだ夢から覚めてなく、悪夢の続きを見ているのだろう。早く夢から覚めろと念じながら、座席の肘置きを握りしめていると、自分の手を包むように温かいものが添えられる。
はっと我に返ると、セオドアが心配そうにマチルダの顔を覗き込んでいた。
「どうしたの、マチルダ? 顔色が悪いよ?」
「あ……いえ、なんでもございませんわ…………はっ!」
突き刺すような視線がマチルダに突き刺さる。そう、それは人生で幾度となく感じてきた殺気が含んだ女の嫉妬である。
その視線の主を探すと、それは壇上の上にいた。
そう、件の成り上がり女、リタ・ロバーツである。
「マチルダ、何を見てるの?」
セオドアがマチルダの視線を追いかけ、壇上へ目を向けた時、マチルダは慌ててセオドアの顔を手で押さえた。
「いけませんわ、殿下!」
「わっ⁉」
所詮、夢は夢だと分かっている。しかし、セオドアは国の女性たちを虜にする魅惑の男性である。もし、彼女がセオドアと目が合ってしまえば、恋に落ちてしまうかもしれない。
リタが壇上を降りていったのを確認し、ほっと息をつくと近くからセオドアの戸惑った声が聞こえてきた。
「あ、あの……マチルダ?」
「はい?」
思いの他、セオドアの顔が近くにあり、その顔をマチルダが両手で包んでいた。他者からみれば、二人が見つめ合っているようにも見えるだろう。
「ど、どうしたの?」
「え、えーっと……」
マチルダは思わず目を泳がせてしまう。
さすがに夢の話をセオドアにするわけにもいかない。セオドアは自分の婚約者で、例え、本当に運命の人がさっきの少女だったのだとでも、信じたくなかった。
「その……殿下にはわたくしだけを見ていて欲しいですわ」
そうマチルダが口にすると、セオドアはわずかに目を見開く。
「驚いた……君って意外に嫉妬深かったんだね」
「し、嫉妬もしますわ。だって、殿下は素敵な殿方だもの」
嘘はついていない。セオドアは自分には勿体ないほどの男性だ。そんな彼の婚約者だからこそ、マチルダは彼に見合う努力もたくさんしてきたし、彼と仲を深めてきたつもりだ。そう易々ぽっと出の庶民に奪われるわけにはいかない。
しかし、セオドアはそんなマチルダの心配も知らずに、眉を下げて笑う。
「マチルダはオレを買い被り過ぎだよ。それにこんな可愛い婚約者がいるのに、他の女性に目移りなんてしないさ」
彼はそう言ってマチルダの手を取ると、手の平に優しく口づけを落とした。
「ね?」
あざとく片目を閉じたセオドアに、マチルダはくらりと眩暈に襲われる。
粗暴で口が悪い自分が、セオドアの婚約者でいること自体奇跡だというのに、甘い言葉を掛けられ、あざとい表情まで見られるなんて。
マチルダの心臓は早鐘を打ち、今にでも爆発しそうだった。
「わたくし、今なら死んでもいいですわ」
「今死なれたら困るよ。もっと生きて」
そんなやり取りをしつつ、マチルダは入学式を無事に終えた。