転移した軍人は草原を歩く。
二階堂邦明は軍人である。
彼は将来の軍幹部となるべく、六歳の頃から士官養成所で教育を受けてきた存在であり、若干十八歳という若さで大尉という肩書を持っていた。
つまり生まれながらに軍人となるべく作られた存在と言える。
彼自身の性質はとても大人しく、とても従順であった。
また周囲からの期待にも十二分に応えられる優秀さも兼ね備えており、国からは将来の〝駒〟として、ある意味大切に育てられてきた。
そんな彼であったが、視界に広がる草原を前にして、人生で初めて困惑していた。
「訓練中だったはずだけど……ここ、どこ……?」
彼は気が付いたら草原の中で一人立ち尽くしていた。
特殊任務の実地訓練として航空機から降下したシーンが、直前の記憶から蘇った。
「もしかして恐怖で気を失った……とか?」
だとすれば非常にまずかった。
今まさに空の上を気を失いながら堕ちているのだから。
とはいえ、彼の頭は気を失った状態では無いだろうと状況から結論していた。
理由はなかった。だが夢にしてもここは妙にリアルだった。
風がそよいで二階堂の前髪を揺らす。
また同じように草原も波のように揺れていく。
見渡す限りに平原が広がる景色は、まるで見覚えがなく、別の世界のように感じた。
しばらく景色に見惚れるように呆然としていたが、不意にあることに気が付いた。
「動物どころか虫すらいない」
彼は訓練でサバイバルを経験したことがあるが、こういった自然の中には様々な動物の生息地があり、時折遠くから野生の鳥の鳴き声や虫の音が聞こえたものだった。
しかし、この場所はそのような気配がまるでなく、ただ風の音だけが聞こえるのみであり、静かに揺れる草の動きに不気味さを感じた。
「見晴らしがいいことだけが救いかな。何か来てもすぐに察知は出来る、か」
思ったことを口にしてみたが、どこに向かえばいいのか、目印になるものすらない。
また先程からコールサインを使用して無線通信を試みているが反応はなかった。
それどころかGPSといったナビゲーション装置一式が情報取得できない状態だった。
彼は仕方ないとコンパスを取り出した。
ここがどこだが不明だが、陽の位置からして真昼だと考えられた。
降下した際は夜間だったため、その時点で既に異常事態がおこっている。
現在地不明の今、とりあえず北を目指すべく、取り出したコンパスを覗き込む。
「嘘でしょ?」
コンパスの針は通常であれば北極を指す。つまり指し示された方向にこの場合は進めばいいのだが、針はその向き先を常に変えていた。
「壊れたのか、磁場に干渉が起こっているのか、どちらにしてもこれだとあてにならないな」
古来、星や月の位置などから北を特定することが出来るが、今は真昼ということもあり星なんて見えなかった。また夜になる前に人里を発見したかった。
何もない平原とはいえ夜間の移動は避けたい。
必然だがそうなると野宿も想定される。
彼は野宿の経験はあるが、その時は十分な装備や物資があらかじめ用意された状態で経験したため、まったくの準備無しではかなり不安がある。
「この気温なら凍え死ぬことはないだろうけど、寝袋もなしでは厳しいな」
それが嘘偽らざる心境である。
彼以外の生物は見当たらないが、大型の肉食動物が存在しない保証はない。
「少なくとも僕が知っている国ではなさそうだけど」
絶望的な状況に軽くため息を吐く。
不幸中の幸いというべきか、降下時に携帯した小火器にマガジンポーチ、弾薬ポーチ、水筒、緊急用品やサバイバルキットなど入ったバックパック、サバイバルキットなどは身に着けたままのため当然装備していた。
数日活動できるくらいの量ではあったが、当面は人里を探すにも支障はないだろう。
敢えて楽観的に物事を捉えると、二階堂は草原の広がる地平線に向けて歩き出した。
※なぜ北なのか
昔、迷ったら北に向かえってえらいひとに教わったから