4‐8「なんたって、私はあなたの占い師ですからね」
一カ月後には元宵祭だというのに、都は例年のように賑わってはいなかった。
店舗はところせましと品物等をならべているが、客は疎らで、軒に提げられた招福の布飾りばかりがむなしく風に揺れている。
露天商いわく、昨日までは桶をかえしたように賑わっていたというので、今朝の神託を聴いた民が不景気に備えていっきに財布の紐を締めたのだろう。
「神託ひとつでここまでいっせいに動くとはな」
変装しているのは妙だけではなく、累神も皇帝だとバレないように髪をひとつに結わえて眼鏡をかけている。だが、変装としてはいまいちだ。そもそも、累神の風貌そのものがまわりの視線を惹きつけすぎるのだ。
「群集心理ですね。ほら、よく「地震がある」とか「ある物を食べるだけで痩せる」とかいう噂がたつと、いっきに店舗から特定の品物がなくなる《買占め現象》っていうのがあるじゃないですか」
「貿易でもあるな。なにかの値が高騰するとかいう噂を聴いて、商人たちが大口購入するとか」
「早い者勝ち心理というか、競争みたいになるんですよね。結果なにも起きないとか、よくある話です。群集心理による買いだめが起きるということはその逆に、購入を辞める動きが連動することもあります」
累神は頭を振る。
「今は経済が一時停滞する時期にきている。間が悪かった。今ならば互市貿易のせいで景気が傾いたと非難されても否定できない。まあ、敵もこの時期を待っていたんだろうな。ほんとうならばここから持ちなおせるはずだったが、この様子ではどうなることか」
今、民が経済を停滞させたら、それこそ取りかえしがつかない。
「地方諸侯のほうはどうなりましたか?」
「思っていたより酷かった。汚職だらけだ。牽制しつつ取り締まっているが、いっきに検挙できるようなものでもないからな。いつになれば収拾がつくのかわからない」
地方のことでも頭を抱えていたところでこの神託だ。
暗い話ばかりでも累神は微笑を絶やさなかった。知らないひとからすれば、穏やかで余裕のある振る舞いだ。だが、妙からみれば、累神が酷く疲弊しているのがわかる。
(でも、累神様自身、疲れているとはおもっていないんだろうな。欺くのがうまいひとだから。他人も、自分も)
いまだって隈があるわけでもないし、痩せたというわけでもない。彼のことだ。味を感じないので食欲なんて端からなく、食事は日に三度、飯を食卓から口へと箸で動かすだけの作業だとおもっているに違いない。
非常に器用だが、それゆえに不器用な男でもある。
「ちょっとだけ、広場に寄っていってもいいですか」
妙はあることを考え、累神に頼む。累神はやわらかく微笑んだ。
「もちろんだ、あんたにとっても都は久し振りだろうからな」
都の広場は民の憩いの場だ。元宵祭にむけて早くも星のかたちをした提燈が飾られ、屋台がでてお祭り感が漂っていた。あとは人で賑わっていたら完璧なのだが、子連れの母親たちが談笑しているくらいで静まりかえっている。縁起物を扱う屋台では商人の男が客を待ちくたびれて大欠伸をしていた。
「ここの華表に《誹謗木》という板がつるされているのは知っておられますよね」
「民が皇帝の誤りを板に書き、訴える。という風習だな。一部の嘆願は皇帝のもとに伝達されるが」
「実際に、こういうのを読むことってめったにないですよね。覗いてみます?」
累神がわずかに緊張したのか、無意識に顎に触れた。顎に触れるのは本来は緊張が緩和しているとき、胸を張りたい時にでる心理行動だが、累神は時々こうして心理行動が裏にでる。皇帝として、自身の政策が民にとって不満のないものか、絶えず不安感を持っている、ということだ。
「ええっと、どれどれ――賭博で借金地獄に落ちた、この期に及んで賭博で儲からないのは皇帝のせいだ、そうです」
「それ、賭博を辞めたほうがいいんじゃないか」
「ほかにも、皇帝のせいで鶏がいっきに死んだそうですよ」
「確か、秋ごろに鶏に感染する感冒みたいなものがはやっていたな」
眉を寄せる累神の顔を妙が「ねっ、ばかみたいでしょ」と横から覗きこむ。
「よくないことがあれば、なんでも皇帝のせいになるんですから、いちいち神経をつかっていたらきりがないですよ」
皇帝はこの国でいちばん偉い、雲のうえのひとだ。だから、誰もが皇帝を畏れながら、いくらでも誹謗して構わないものとおもっている。
「民心なんてすぐに変わるものです。その時々、良いことがあれば皇帝陛下万歳って唱えるし、よくないことがあると皇帝のせいでと嘆きます。それでいて意外とたくましいので、すぐにどうこうなるものではありません」
妙はにっこりと笑いかける。
「間が悪かったと言ってましたが、捜せばいつだって不安の種はあるものです。ここから逆転するんですから、ささっ、胸を張ってください」
「は……」
累神は張りつめていた息を抜き、苦笑する。
「ほんとにかなわないな」
髪を掻きあげ、彼は道標の星を仰ぎみるように妙を見つめる。
「暗いほうに進みかけた俺を、あんたはいつだって明るいところに連れだしてくれる。感謝している」
こんなふうに褒められると照れくさくなって、妙はわざと冗談めかして「まっかせてください」と胸をたたいた。
「なんたって、私はあなたの占い師ですからね」
「頼りにしてる、これからも側にいてくれよ」
累神は微笑をこぼして、妙の頭をぽんぽんとなでる。どう考えても寵愛とかそういうものではなく、妹とかにたいする接しかただよなとは想いつつ、特別扱いされていることに違いはなくて。
「もちろんです。私がいなくなったら、累神様はだめになっちゃいそうですからね。ほっておけません」
「はは、……そうだよ、俺はやっかいな男だからな」
するりと髪を梳いて離れていく累神の手が何故だか心地よくて、妙はちょっとだけそれを名残り惜しいと感じた。
お読みいただきまして、御礼申しあげます。
お楽しみいただけているでしょうか? 引き続き、後宮の女官占い師をよろしくお願いいたします。