4‐7側近の噂と御寵愛
(累神様は慎重を期するひとだ。経済恐慌については誰にも洩らしていないはず。知っているとすれば、日誌をみつけた銀様と廊にいた側近か。でも、彼らがいた廊と房室まではかなり距離があった。そんなに聴こえるものか?)
洗濯物をざぷざぷと桶のなかで揉みながら、妙は考えこんでいた。
(それにあのふたりに嘘はなかった。玄嵐様が裏切ったのだとしたら、互市貿易が民を飢えさせたりすると考えたから、だろうけど。まだそこまで結果がでてるわけじゃないし。それにあのひとだったら占星をつかって失脚させるとか遠まわりなことは考えず、斬るとおもうんだよな)
だとすれば、雲か。
(でも、星辰様につかえていたひとが累神様を裏切るかな)
雲は星辰の想いを成就させたいと語っていた。その言葉に嘘はなかった、はずだ。
「ああ、つめたい。冬の洗濯ってさいあくよね」
黄黄の声に妙はいったん思考をやめる。
「ですよねぇ、つきあわせちゃってごめんなさい」
いっきにまわりから避けられるようになった妙は、洗濯を押しつけられてしまった。冬の洗濯はきつい。指はかじかむし、厚物ばかりなのでなかなか終わらないし、しもやけになることもある。
それなのに、黄黄は「一緒に終わらせちゃお」と声をかけてくれた。時々ふらっといなくなっては骨折したりぼろぼろになって帰ってくる妙のことを、事情は知らないなりに案じてくれている。
「噂とかに惑わされて、態度を変えるやつってきらいだから。別にあんたに気遣ってるわけじゃないわよ?」
「あはは、私も一緒です。ああいうのって、馬鹿みたいですよね。ところで、先輩。諸葛雲様と張玄嵐様って知っていますか?」
黄黄は「もちろんよ」と眼を輝かせた。
「累神様の側近でしょ? おふたりとも超絶美男子って有名よ。私は雲様にしかお逢いしたことがないけど」
「へ、へえ」
雲はともかく、玄嵐は……まあ、筋骨隆々な男らしい男も需要はあるのだろう。
「雲様ってほんとに素敵よね。浄身ではなくとも後宮に渡ることを許されていて、星辰様が幼いころから家庭教師として御側におられたとか。やんごとなき家の四男でね、いつかは諸葛家を継がれるのよ」
「四男なのに?」
「複雑な経緯を持っておられるのよ。四男って基本は家督を継承することはないでしょ? でも、長男二男三男が夭逝なさった結果、雲様が後継者になったってわけ」
「なんかそれ、ちょっと陰謀のにおいがするんですけど」
「そんなわけないわよ。だって、御兄弟が死逝されたのって、雲様が五歳とか八歳とかそのくらいのころよ?」
なるほど、さすがにそんな幼さで暗殺なんかしないか。
帯を洗い終わり、ちからいっぱいに絞る。すっかりと手がまっかっかだ。
「玄嵐様は孤児院育ちなんですって。それで皇帝の側近まで昇進なさるんだからすごいわよね」
「錦珠様を支持されていたとか」
「そうみたいね。なんでも、民を支援していた錦珠様の活動で、傾きかけていた孤児院が再建できたそうよ。それから錦珠様に心酔していたとか。今となっては複雑なかんじでしょうけど」
そういう先輩だって一時期、錦珠推しだったはずだ。
「それより、累紳様とはどうなのよ」
黄黄がにやにやして、わき腹をつんつんしてきた。妙はいまいち、黄黄に尋ねられたことが理解できず瞬きする。
「どうといわれましても? お逢いしたときに高級な月餅をいただいたり」
「そうじゃないわよ」
彼女はぐいと身を乗りだしてきた。
「ご寵愛のことよ」
妙はぽかんとなる。
「へ? 私、女官ですよ。それって妃妾様とかの話じゃないですか」
「ばかね、あんたは累神様つきの占い師でしょ? 特別な想いを抱かれてもぜんぜん変じゃないわ」
「変ですってば、そもそも身分が違いすぎますし」
苦笑して「ないない」と袖を振る。一緒に神サマを殴りにいった、という意味では特別な関係だが、恋愛とかそういうものではなかったはずだ。
「あ、でも、かんざしはいただきましたけど」
「な、な、なっ、かんざしですって!」
黄黄がとんでもない大声をあげた。洗濯板がひっくりかえって、桶の水が跳ねる。妙は頭から水をかぶりかけた。
「んっもう、ばかっ、ほんとばかっ、それって――――」
そこまで言いかけて、黄黄は妙の背後にある庭のほうに視線をむけて、眼をまんまるにした。妙がつられて振りかえる。
「累神様っ」
「よかった、逢えた」
真紅の髪をなびかせて塀を越えてきた累神が笑いかけてきた。
日輪のような眼が妙を映す。黄黄は噂の皇帝の登場に慌てる。
「どうぞどうぞ、連れていってくださいな! 朝まで帰ってこなくてもだいじょうぶですから! ふふっ、お邪魔ムシは退散しますね!」
洗濯物を抱えて、やたらとにやけながら遠ざかっていく黄黄を眺めて、累神があっけにとられたようにつぶやく。
「ず、ずいぶんと賑やかな女官だな」
「ええ、まあ、……いいひとなんですけどね」
今の時期に累神が逢いにきたということは宮廷でもかなりやばいことになっているということだ。
「さてと、いきなりだが、ついてきてくれるか。豪商と逢う約束をしている。御礼に異境の料理をたらふく食わせてやるから」
累神は都に繰りだすための変装服を渡してきた。相変わらず、給金何ヶ月分かというほどに高級な絹の服だ。累神と逢わなければ、こんな服に袖を通すことはまずなかった。
「了解です。……ご飯はもちろん楽しみですけど」
服を預かって、妙は笑いかける。
「ちょうど、私も神サマを殴りたいとおもっていたところなんで」
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怒涛の毎日投稿ですが、お読みくださっている御方がおられるというだけで嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。