4‐4亡きひとを偲ぶ
こぽこぽと馥郁たる香の茶がそそがれた。
豪奢に飾りたてられた後宮のなかでも落ちついたふんいきのこの宮は、第三皇子たる星辰の宮だ。星辰の死後は彼の母親である彗妃がひとり、静かに暮らしていた。賓室に通された妙は茶杯を受け、低頭する。
「毎度のことながら、こんなにもてなしていただいて」
茶だけではなく、食卓には蒸したての餃子、小籠包、蝦餃、桃包、胡麻だんごの蒸篭がずらりとならんでいた。いわゆる、飲茶というものだ。
「ご遠慮なく。お客様がお越しになっているのに、茶も満足に振る舞えないような妃だとは思われたくありませんので」
頑なに他人を拒絶するような鉄壁の無表情とは違って、椅子に腰かけた彗妃のつまさきは妙のほうをむいている。あれはこちらに好意を持っている証だ。ほんとうにいやだったり帰ってほしいとおもっていたら、無意識につまさきはそっぽをむく。
「それに」
彗妃は微かに唇の端を綻ばせる。
「星辰がいたら歓迎したでしょう。星辰はあなたのことを、ほんとうに姐のように慕っていましたから」
妙大姐、という星辰の声を想いだすだけで、胸がぎゅっと締めつけられる。
「不敬なので、お伝えできなかったのですが、私も星辰様のことを弟のようにおもっていたんです。失礼すぎますけど」
「そう、ですか。……確かに公ではそうした発言は慎むべきでしょう。ですが、星辰が聴いたら、どれほどに喜んだか」
彗妃は睫をふせた。暖かな母親の眼差しだ。
「さあ、さめてしまいますよ、どうぞ」
「ありがとうございます」
妙は箸を持ち、蝦餃からいただく。
これは俗に海老餃子といわれるものだ。透きとおって、もちもちとしている皮から弾けでてくる海老。すり身になっているものと、ごろっとまるごと練りこまれているもの。その比重が絶妙だ。舌のうえを踊る海老、海老、海老。
うっみゃあと叫びかけて、さすがに遠慮する。
「これ、最高です」
「それはよかった」
彗妃はにこりともせずに眺めている。落ちつかないが、これが彗妃なりの親愛なのだろう。
食事を進めながら、妙は「ところで」と尋ねかける。
「累神様は革政を進めておられるみたいですが、士族とか幇はどうですか? 偉いひとって、環境が変わるのがおきらいなんじゃないかとおもいまして」
貿易制度の改変があってから、二十日ほど経った。政界でなにかしらか、動きがあってもいいころだ。
彗妃は後宮に身をおきながら表の士族たちを統制しており、昔ながらの幇ともつながりがある。妙は彗妃の仕事については詳しくないが、銭舗――つまりは両替商のようなものをやっており、幇に融資したり為替などをおこなっているという噂を聴いた。
「士族たちは特に表だって累神陛下の施政に反感を持っているようなものはいません。ひとまずは落ちついています。貿易についても大陸外の様々な品物が渡ってくることを歓迎するものがほとんどです。都の商幇は新たな貿易制度に戸惑っていますが、民間貿易が始まったとしても彼らの利権をおびやかすことはないだろうと考え、ひとまずは静観しているといったところでしょうか」
ただ、と彗妃は露骨に眉根を寄せた。
「いまだに累神陛下が星辰を暗殺したという根も葉もない噂を鵜呑みにしているものがいます」
「ええっ、まだそんなひとがいるんですか」
妙はびっくりして、餃子を喉につめそうになった。
累神は一度、星辰暗殺の容疑で逮捕された。その後すぐに無実が証明され、誤認逮捕ということで終わったはずだ。
「まあ、お偉いひとの噂というのは火のないところにも煙がたつものですからね」
「愚かしい。星辰を暗殺したのが錦珠であることは明白だというのに」
彗妃はため息をついた。
「……皇帝となられたあと、累神陛下がこの宮に参られました。祭りの時に星辰に贈った雪沓を預からせてくれないか、臥室に飾って朝晩「星辰」と声をかけたいと」
星辰を哀悼する累神の姿を想いうかべて、妙は胸が締めつけられた。どんな噂より、みずからを責め続けているのは累神自身だ。
「そう、でしたか」
「累神皇子――彼が皇帝になられてほんとうによかったとおもいます。これで星辰も思い残すことなく、やすらかに眠れるでしょう」
彗妃も愛する御子をなくした悲嘆を抱え続けている。
妙だって最愛の姐に続いて星辰まで奪われ、心がずたずたに傷ついた。日々をふつうに過ごしているようでいて、時々言葉にできない悲しみに溺れそうになるときがある。死の悲しみとは拒絶して忘れようとするのではなく、反復して受けいれることで、緩やかに癒すものだ。
「そういえば、累神様の側近に諸葛雲という文官がおられるのですが、星辰様とご縁のある御方なんですね」
「雲ですか。良家の四男で、非常に聡明で有能な文官です。星辰にもよくつかえてくれました。星辰が幼いころは雲が家庭教師をつとめていたのですよ」
「それで、星辰様がすぐに追い抜いてしまったと」
「ええ、そうです。ですが雲は変わらず、星辰の良き相談役となってくれました。雲が累神陛下の側近となったことを、星辰は心から祝福しているはずですよ」
どうだろうか。累神にたいする星辰の想いは想像いじょうに強いものだ。意外と自分のほうが累神の役にたちたかったと悔しがるのではないだろうかと想像して、妙はちょっと笑った。
あとは飲茶を食べ進めながら、他愛のない星辰の想い出話を語る。彗妃は特に夷祭での星辰の様子を聴きたがった。星辰はあの時、たこやきなるものを食べたり舞獅にかまれたりして、余命わずかだとは思えないくらいにはしゃぎまわっていた。展覧会では玉軸受に興味津々だったと妙が教えると、彗妃は「くすっ、あの子らしいですね」と笑い声をこぼした。
(彗妃が笑うなんてめずらしいな。今晩あたり、雪になったりして)
冗談のつもりだったが、占い師の勘は意外と侮れないものなのか、夕がたからいっきに寒くなり強い風に乗って後宮に雪が舞った。星のように瞬くあわ雪は夏のほたるとよく似ていて、妙は星辰へと想いを馳せた。
累神様も今ごろ、雪を眺めているに違いないと想いながら。
お読みいただき、ありがとうございます。
皆様の応援のお陰様で分野別週間ランキングに載りました。とても嬉しかったので、早めに連載を再開させていただきます。
妙の姐の予言はあたるのか、星はどうなるのか、累神と妙は結ばれるのか。これから毎日投稿されていただきますので、引き続きお楽しみいただければ幸甚でございます。