4‐3新たな側近と動きだす運命の星
「あともうひとつ頼まれてくれるか。皇帝になって側近がついた。彼らが嘘をついていないか、確かめてくれ」
いつだったか、妙は錦珠の嘘を見破り、皇帝暗殺の罪をあばいたことがある。累神は妙を連れて廊にむかい、房室の外に控えていた側近ふたりに声をかけた。
「待たせたな。託宣の結果がでた。貿易の律令を改正する。三公、丞相を集めて議会の場を設けてくれ」
「御意に」
「承知いたしました」
側近ふたりは累神にむかって頭をさげ、続けて妙のほうをみた。
妙も袖を掲げ、低頭する。占い師とはいえ、女官如きが皇帝の相談役になっているなんて良いきもちがしないはずだ。だが、ふたりとも妙を邪険にはせず、同時に拱手して挨拶する。
「易妙様、お噂はかねてより聴きおよんでおります。僕は諸葛雲と申します。命星辰皇子の家につかえておりました」
先に名乗ったのは青い官服に眼鏡をかけた物腰穏やかな男だった。遊びのあるくるくるとした茶髪のせいか、二重のあまやかな顔だちのせいか、高貴な血統の犬を想わせる。妃妾たちならば、頬を染めてきゃあきゃあと声をあげそうだ。
「星辰様の、ですか?」
「左様です。星辰皇子は累神陛下を敬愛しておいででした。累神様の御役にたつのが夢だと日頃から語っておられて。せめて僕は星辰皇子の想いを成就させるために力をつくしたいとおもっています」
彼は控えめに微笑んだ。頬にえくぼができる。遠慮がちな笑いかたは星辰に似ている。彼の言葉に嘘はない。
続けて、もうひとりの側近が進みでる。
(さっきから思ってたけど、でかっ)
睨むような眼つきをしているのもあって、妙は熊を連想した。もちろん、可愛くてふわふわではないほうの熊だ。
「私は玄嵐だ。張玄嵐。武官だ」
よかった。これだけ筋骨隆々な男が文官ですとか言いだしたら、転職を勧める。
「玄嵐は錦珠を支持していた」
「え」
累神の言葉に妙は眼を見張る。
「ああ、違いない」
玄嵐は肯定した。
「錦珠ほどに民のためにつくしてくれた御方はこれまでいなかった。どのような思惑があったにしても、彼の寄贈した金銭で飢えずに済んだ子等や救われたものたちがいた。それは事実だ」
彼の言葉は一理ある。偽善でも慈善でも金銭は金銭だ。貧しい暮らしをしてきた妙としては納得せざるを得なかった。
「それなのに、なんで累神様の側近になったんですか?」
「累神皇帝がいかなる政を執りおこなうのか、監視するためだ。民を軽視し、踏みにじるようならば――――斬る」
ぞわっとした。
嘘いつわりがないとかいう段階ではない。混じりけのない本物の殺意だ。
(しょうじき、こっちは嘘であってほしかったんですけど)
妙は咄嗟に(こんなひと、側においていいんですか)と累神をみるが、彼は微かに笑っただけで落ちついていた。
「彼らがいれば、俺が今後、選択を誤ることはないだろう?」
累神の眼が昏く、燃えたつ。
燃えがらの底にある残火のような燃えかただ。
妙は瞬時に理解する。死んだ弟たちと縁のあるものを側近に選んだのはわざとだ。
累神こそが皇帝にふさわしいと祝福しながら死んで逝った星辰。皇帝にさせるものかと呪詛して息絶えた錦珠。ふたりのことをわすれないため、なんていう穏やかな感傷ではなかった。
弟たちを死に追いやった――そんな罪の意識から逃げだせないよう、喉もとに絶えず縄をかけておくような。
「累神様」
「ん、なんだ」
あなたはまだ、許せないんですか――――
言葉にはできなかった。妙がなにを尋ねようとしたのか、累神は察しているだろうに静かに微笑むだけで視線をそらした。
累神は先程から頻繁に瞬きをしている。これは心理、というよりは疲れていて睡眠が足りていない証だ。罪を滅ぼすように、彼は皇帝としての役割に身を捧げ、命を燃やしている。
「妙小姐様」
不意に後ろから声をかけられた。
廊を進んできたのは老いた命婦だった。彼女は錦珠の乳母だったが、錦珠の暴虐にたえかねて累神に陰謀を密告した。妙が錦珠に拉致されたとき、累神に知らせてくれたのも彼女だ。妙からすれば、命の恩人である。
「あのときは助けていただき、ありがとうございました。えっと」
「銀でございます。救っていただいたのはこちらです。ほんとうにありがとうございました」
銀はしわのある眼もとを緩め、低く腰をまげる。
彼女はきっと、最後まで錦珠のことを想っていたのだとおもう。だから、彼の陰謀を阻止した。錦珠は銀の暖かい愛を理解することはなかっただろうが、彼女は錦珠が息をひきとるまで手を握り続けていたのだ。
「あの、妙小姐様、宜しければ御茶でもいかがでしょうか」
妙は累神をみる。累神はふっと表情を緩めた。
「ちょうど、大月餅もあるんだ。ゆっくりしていくといい。話は通しておくから、後宮に帰る時は東宮にいる宦官にでも声をかけてくれ」
「ありがとうございます」
銀はいそいそと御茶を淹れてきてくれた。
「月餅、切りわけましょうか」
「えっ」
かぶりつこうとおもっていた妙は慌てて「すみません、お願いします」と頼む。きれいに六等分された月餅をまえにして「ご一緒にどうぞ」と常識を発揮すると、銀は「それではひとつだけ」と遠慮がちに取り皿に乗せた。
「いただきます、もぐっ、うっみゃあぁあ……」
頬張るなり、至福の声があふれる。
月餅のあんは舌がとろけるほどにあまいのがいい。それでこそ、卵黄の塩味が際だつというものだ。続けて胡桃や蓮の実がまろびだし、口の中がお祭りになる。
「幸せすぎる……」
多幸感で、どうにかなってしまいそうだったので、落ちつくために茶をいただく。妙は茶の知識がないが、銀は「月餅にいちばんあう烏龍茶なのですよ」と教えてくれた。確かに香ばしさが他の茶とは段違いで、月餅のこってりとした味わいと相性が抜群だ。
「ところで、銀様はこちらで暮らしておられるんですか?」
「左様でございます。累神様のお取りはからいで、この宮を維持する御役をたまわりました。私はもう、この齢でございましょう? 後宮に御勤めするには身体がもうあまり動かないのです。かといって、退職しても故郷もありませんもので」
累神はきっとこの宮を、錦珠がいた時のままで残しておきたいのだ。棚の花瓶には紫苑が飾られていた。錦珠に誘拐されたときは銀木犀が活けられていたはずだ。
「あれは銀様が?」
「いえ、累神様が毎日のように花を持ってくださるのです。錦珠坊ちゃまは花を飾るのがお好きでしたから」
花を飾る、か。妙の姐である月華もたいそう花を好んだ。ふらりといなくなったとおもったら、花を摘んでいたり蝶を追いかけていたりして、ぼろぼろの長屋に身を寄せている時にも花を絶やすことはなかった。
(まさかね)
監禁していた月華のために錦珠が花を飾るようになった、なんて都合のいい想像は捨てる。そんなふうに他人を思いやれる男だったら、月華を斬るはずもなかったのだから。
「累神陛下は仁徳あふれる御方です。あのようなことになったにもかかわらず、錦珠坊ちゃまのことをまだ、弟だと想ってくださっているのですから」
銀は涙を拭った。妙は苦笑して、ため息をこぼす。
「……重荷ばかりを背負いたがるひとなんですよね」
錦珠や星辰が死んだのは累紳のせいではない。それなのに、彼はふたりの死を、みずからの罪として抱え続けている。
それでもその荷を降ろせとはいえなかった。
荷を担ぐことで立ち続けていられるひともいる。それもまた、心理というものなのだから。
飾り格子のついた窓から風が吹きこむ。微かに冬のにおいをはらんだ北風だ。まもなくやってくるであろうきびしい季節に想いを馳せ、妙は僅かに瞳をとがらせる。
このたびの革新が禍となるか、福と転ずるか。
確かなことはひとつ、運命の星はすでに動きだしているということだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたでしょうか? 新たなキャラも迎え、1期で散っていったキャラたちを偲びつつ、ここから2期が幕をあげます。
続きは7月を目途に連載再開させていただきます。ブクマをつけてお待ちいただければ嬉しいです。