4‐2予言された経済崩壊
「ここは錦珠……様の宮ですよね」
累神に連れられて後宮から宮廷に渡り、妙は東宮にきていた。
東宮とは皇帝の嫡子が居処とする宮だ。日が昇る方角に建てられ、故に東宮と称される。錦珠の死後は廃宮となったはずだが、荒れてはいなかった。
ここならば宮廷の官吏等に聴かれることなく、密談することができる。
「様はつけなくていい。あいつは死後、一切の身分をはく奪された。皇帝を刺そうとしたんだ、しかるべき処遇だよ」
「そう、なんですね……」
錦珠のことを思いだすと妙は心が凍りついて、微かに震えがこみあげてくる。
彼には、愛するひとをふたりも殺された。どれだけ時が経っても、妙は錦珠を許すことはできないだろう。だが、累神のほうがずっとつらいはずだ。
「錦珠の乳母が彼の遺品を整理したときに本棚からある物が見つかった。これだ」
日誌を渡される。
錦珠のものと思われる細くて角のある筆致で綴られているのは事件や災害の日時、断片的な風景の描写だ。一昨年の北部からの敵の侵攻、昨年の地震、政治革新の後に勃発する宦官の乱――ここまできて、妙は理解する。
「これ、姐さんの予言じゃないですか」
妙の姐である月華は予知の能力を持っていた。妙が知るかぎり、ただひとりの本物の神通者だ。だがそんな能力を持っていたせいで、月華は錦珠に監禁され、命を奪われた。
「錦珠は易月華から聴きだした予言を書きとめていたんだ。本物かどうか、疑っていたが、ここに書かれている通りに宦官の乱が起きた。あんたも知っているだろう?」
「はい、確か先々週でしたよね」
「宦官の乱を事前に捕捉し、制することができたのはこの予言のお陰だ」
「そうだったんですね、おどろきました」
「あんたの姐は死してもなお、たくさんのひとたちを助けてくれている。ほんとうに心から感謝するよ」
「よかった。累神様のお役にたてたんだったら、姐さんも喜ぶとおもいます。予言というのは先んじて危険を報せることで禍を避け、犠牲を減らすためにあるというのが、姐さんの持論でしたから」
妙は穏やかな眼差しで日誌を眺めた。
「ここからが本題だ。……つぎの頁を読んでくれ」
累神にうながされ、妙は続きを読む。
「新たな皇帝、都に降り積もる雪、小麦を強奪する民、職のないものたちが通りにあふれる、氏族の邸は廃墟に――これは姐さんがみた風景ですね、えっらい大変なことになってますけど」
「ああ、続きにあるのが錦珠の訳だ」
月華は先の光景を視ることができるが、知識のない彼女ではなにが起きているのか、理解できないことがある。そのため、錦珠が話を聴き、要点から推理して導きだされた憶測を書き添えていた。
「新たな皇帝が竜椅についたその冬、経済恐慌が起きる――ですか」
妙が青ざめる。
「これが現実になれば、民は職をうしなって都が浮浪者であふれかえり、士族まで没落する。取りかえしのつかない大惨事だ。妙、あんたの考えを聴きたい。どうすれば、この禍を打破できる?」
妙は思考をめぐらせる。
「まずはぜったいに予言を公表しないでください」
累神は意外だったのか、眉の根を寄せた。
「すぐにでも議会をひらいて対策を練り、経済の活性化をはかるべきじゃないのか?」
「どれだけお偉い官僚様だろうと、人の口に戸は立てられません」
妙は指をたてる。
「地震、噴火などが予測されるのであれば、迅速に公表して民を避難させ、被害を最小限に抑えるべきですが、経済というのはちょっと訳が違います。経済は心理ですから」
「心理か」
妙は心理を看破することで易占をしてきた敏腕の詐欺師――いや、占い師だ。彼女が心理という言葉を取りだすからには確実な根拠がある。
「正確にはですね、経済というのは民の心理が動かすものなんですよ。経済恐慌がおきるなんて知ったら民はどうするとおもいますか」
累神はは顎に指をあて、考えこむ。
「節約して、貯蓄するだろうな」
「そうです、ためこんじゃうんですよ」
経済恐慌とは冬だ。これから寒くなって実りがなくなると知れば、リスはどんぐりを埋めることに執心する。どんぐりならば芽を吹くが、経済というのはそうはいかない。
「民が経済をまわさなければ、それこそ氷河期がくる、か。なるほど、あんたのいうとおりだな。経済恐慌についてはふせておく」
累神は納得して、妙から日誌を預かり、懐に収めた。
「それで、実際のところはどうなんですか? 星の経済ってそんなにひっ迫しているようには感じないんですけど」
「皇帝不在期が続いたせいで、経済そのものが滞っているのは事実だ」
累神は続ける。
「朋党が牽制していたことで地方の領地を治める諸侯たちが争うような事態にはなっていないが、諸侯経済化が進んでいる」
「ええっと、すみません、諸侯経済ってなんですか」
「諸侯が地方幇と結託することで、その地域で生産及び製造されたものを優遇したり、ほかの地方の商品を排他、もしくは違法に課税したりすることだ。賄賂や過剰融資をすることもある。そうすれば結果的に諸侯の税収が増えるからな。だが狭い地域で延々と金銭がまわり続けることで国全体の経済は停滞して腐敗する」
地域優先といえば聴こえはいいが、儲かるのは諸侯や一部の地方幇だけで、地方の民の経済は衰退する結果となる。
「経済恐慌の火種があるとすれば、そこだろうな」
結局のところは地方の経済まで宮廷が管理できていないということだ。ならば、管理できるようにすればいいのでは。妙が単純に、あることを提案した。
「地方に宮廷直属の監察官を派遣するのはどうですかね?」
だが、累神は苦い顔になる。
「現状ではかなり危険だな。都ならば皇帝の権限をつかって市場の独占、不平等な優遇といった政幇不分離を取り締まり、監視を強化すれば済むが、地方の領地の統治は経済を含めて諸侯に権利を預けている。皇帝になったばかりの俺が、無理に介入すれば地方諸侯の反感をあつめかねない」
「ああ、なるほど。宦官でも乱を起こしたくらいですもんね。どう考えても逆ギレですけど。でも、確かに締めつけられると反発するのは心理です」
「宮廷内での小規模な乱ならば制圧するのもたやすいが、諸侯を敵にまわすようなことは避けたい」
皇帝というとなにもかもを思いどおりに動かせるように感じるが、現実には権力があるからこそ、動きにくいものなのだ。
「だが、監察官を配備するというのは妙案だ。問題はどうすれば諸侯を刺激せずに穏便に派遣できるか、だな」
「なにか口実が欲しいところですよね」
ついでに諸侯と地方幇の結びつきを弛めることができればいいのだが。壁にもたれて熟考していた累神が唇を解く。
「互市貿易――貿易の拡大はどうだろうか」
「なんですか、それ」
累神が語る。
現在は貿易には細かな条件や規則がもうけられており、これが民間の自由な貿易を妨げる障壁となっている。特例として諸国から商人が集まる夷祭の時期だけはこれらの規則が緩和されるため、民間の商人が動き大規模な経済効果がある。
「律令を革新して終日規則を緩和状態にする。民間貿易の促進をはかれば、経済が活発化するほか、地方幇による寡占市場に一石投じることができるはずだ」
「締めつけるほどに経済が鈍化するなら、敢えて緩めちゃうってことですね。そうすれば、貿易拡大にともなってという口実で、信頼できる官吏を地方に派遣することもできますし、万事解決じゃないですか。さすがは累神様です」
累神にはやはり、皇帝としての才能がある。
「いや利害失得、互市貿易もいいことばかりじゃない。懸念するべきところはある」
そのひとつが輸入超過にたいする懸念だ。
「民間の需要が輸入品に傾きすぎれば、貿易赤字になるおそれがある」
「新しいものに惹かれるのが民衆心理ですもんね。特に士族とかの富裕層は輸入品を好みます」
事実、後宮では夷祭以降、大陸外の絹や指輪、髪飾り等が大流行を巻きおこしている。砂漠の更紗という織物は特に好評で妃妾たちが競うように身につけていた。さすがに後宮にまでは輸入品は入荷しないので、外部から取り寄せているのだろう。
「でも、星産のほうが品質は確かだとおもうので、熱がさめたらまた需要は落ちつくとおもいますよ。それにたいして、星産からの輸出品の需要は大陸外ではかなりあるとおもいます。特にこのあいだの夷祭で、星の技術を披露したばかりなので」
「あとは民間商人たちが大陸外との貿易に対応できるかどうかだな。まあ、可能なかぎり支援するさ。互市貿易の開始時は貿易収支がさがるから、経済がいったん停滞するかもしれないが、輸出を安定させることができれば軌道に乗るはずだ」
「停滞しかけているときは新しい風をいれるのがいちばんですからね」
水も風も動かなくなれば、よどむ。諸侯経済が腐敗するのも、結局はそのせいだ。
「ありがとう、助かった」
累神は晴れやかに微笑みかけてきた。頭にぽんぽんと触れてくる手は壊れ物でも扱うかのようにやさしい。特別扱いされているように感じて、むずがゆいというか、照れくさいというか、妙は変に落ちつかないきぶんになる。
「ま、まあ、頂いた月餅の分はしっかりと働きますよ」
「ほんとにあんたは月餅が好きなんだな」
ごまかせば、累神はからからと笑った。
「あともうひとつ頼まれてくれるか。皇帝になって側近がついた。彼らが嘘をついていないか、確かめてくれ」
お読みいただき、ありがとうございます。
続きは今晩に投稿させていただきます。経済の話はちょっとややこしいかもしれませんが、ある程度は史実を基にしています。ここからはそれほど面倒な説明はなくなりますので、今後ともご愛読いただければ幸いです。