3‐35「これからも俺の占い師でいてくれるか?」
「食べてくれるか」
できたての天津飯が食卓におかれた。
ふわふわのたまごにくるまれたご飯にとろみのついたたれがたっぷりとかけられ、ぷりぷりの海老が乗っている。さながら黄金郷だ。
妙は想わず、ごくと喉をならす。
「こ、これ、累神様がつくったんですか」
「まあな、いちおうは得意料理だ」
「でも、累神様は味がわからないんじゃ」
「わからなくても、分量を量れば、料理くらいはできるさ」
錦珠の死は公表された。
だが、錦珠が占い師である妙を拉致し、殺害しようとしたという乳母の証言によって累神が罪に問われることはなかった。
累神はまもなく皇帝になる。明朝には離宮をひき払って宮廷に移るという。
「こんなふうにのんびりできるのも最後だろうからな、俺がつくったものをあんたに食べて欲しかったんだ」
「喜んでいただきますね!」
妙は匙を取って、やわらかなたまごを崩す。程よく熟したたまごが、塩だれのあんと絡みあった。微かに柚子のかおりが鼻をくすぐる。擦りおろした柚子が隠し味になっているのか。
「あむっ……にゃはあ、おいしい……」
頬が蕩けそうになる。
素朴でやわらかい味つけだ。頬張るほどに心が満たされて、幸せな心地になった。
「すっごい、おいしいですよ。累神様は皇帝どころか、庖人にもなれそうですね」
「それだと庖人のほうが、皇帝よりも身分が高そうだな」
累神が笑い、まあ、でも、と続けた。
「たいして変わらないか。……どちらも民の命に結びつく職だからな」
頬づえをつきながら、累神は妙の頭をぽんぽんとなでた。彼は妙が食べている姿を嬉しそうに眺めている。妙の幸福感をじっくりと味わっているかのように。想いかえせば、この時だけだ。彼がこんなに満ちたりた表情を覗かせるのは。
「……なあ、あんた」
累神の眼がふと、真剣になる。
「ん、な、なんですか?」
妙がぱちぱちと瞬きをした。髪に挿された紫のかんざしが微かに揺れる。
「俺と…………いや」
累神は言葉をのむように視線をそらす。
「なんなんです?」
「いや」
ごまかすように微苦笑してから、彼はあらたまって尋ねてきた。
「これからも俺の占い師でいてくれるか?」
「えっ、ええっと……どっ、どうしようかな……ちょっと懲りたといいますか」
後宮にきてから事件、事件、事件で、人の死も立て続けに経験した。彼女自身だって二度も殺されかけたのだ。
累神を皇帝にするという約束も果たした。
後は女官として、のんびりと暮らしていけたらいいなとおもっていた。もとから、妙は程々に働いて、お腹いっぱいになって眠れたら人生は大吉、という考えの持ちぬしだ。
ただ、ちょっとばかり食欲だけが旺盛なだけで。
「それは残念だ。皇帝になったからにはどんなものでも取り寄せてやれるのに。ハンバーグ、エビフライなんていう異国の料理でも、なんでもござれだ」
猫の耳を想わせる髪が、ぴょこぴょことはねた。
「な、なんでも、ですか?」
「あんたは、なにが食いたい?」
完全に負けた。
そもそも、妙が食欲というものに勝てるはずがなかったのだ。
身を乗りだして妙は声を張りあげる。
「東の幻と語られる鮨なる物を!」
累神がにんまりと笑った。
「わかった。約束しよう――実は今、宮廷で奇妙な事件が続いていてな」
「え、嘘、もう? もう、事件なんですか?」
「これから、いそがしくなるぞ。なにせ、あんたは皇帝つきの占い師になるんだからな」
ひええと妙が青ざめた。
「さすがにそこまでやばい事件は遠慮したいというか」
「はは、安心しろ。宮廷にも後宮にもやばい事件しかない」
命あるかぎり、福もあれば、禍もある。経緯の糸を織りなして、人の運命は糾われていく。
糸とは様々な想いから紡がれるものだ。
だから、事件の裏には心あり。
これからも続くであろう波乱万丈な毎日を想って、食いしん坊な後宮の女官占い師は頭をかかえた。
だが、妙の頭上では、星が瞬いている。
彼女の前途にあらんかぎりの福を振りまくように。
これにてひとまず、物語は幕を閉じます。
ですが、まだまだ妙の受難は終わりそうにもありません。これから、果たしていかなる謎が妙に振りかかるのか。
続きはまたの機会に。
今後もSSを投稿させていただきますので、ブクマを外さずにお待ちいただければ幸いです。