3‐34予言とは外れるためにある
今際にあって、錦珠は月華という姑娘のことを想っていた。
奇妙な姑娘だった。
誘拐されても、取り乱すことなく、終始微笑を絶やさなかった。欲しいものはなんでもあげるといっても物を欲しがることはなく、いつでも幸せそうにふわふわ笑っていた。頭が弱いのかとも想ったが、時々敏いことを語っては錦珠の意表をつく。
いつだったか、月華はふと、こんなことを言った。
「予言というものはきっと、はずれるためにあるのね」
横たわり、月華に膝枕をされていた錦珠は、眉の端をはねあげた。
「どういうこと? 君の予言はいつだって、あたるじゃないか。地震だって、敵の侵攻だって、予知は総て現実になった」
「でも、わたしが視た時は大勢の人が命を落としていたわ。あなたが動いてくれたおかげで、現実には死者がほとんどでなかった。ほんとうにありがとう」
嬉しそうに微笑んで、月華は錦珠の髪を梳いた。
「神様というものがほんとうにいるのなら、人の行い次第で運命は変えられると教えるために予言を託してくれているのね、きっと」
月華は錦珠にやさしかった。錦珠の母親は、錦珠がどれだけ頑張っても、微笑みかけてなどくれなかった。ありがとうなんて声をかけられたこともなかった。望むのはただ、皇帝になれということだけ。
だから、毒をのませた。彼が造りだした最も強い毒だ。褒められてしかるべきだと錦珠はおもっていた。だが、母親は最後まで、錦珠を認めなかった。
ならば、月華はどうだろうか。
彼が皇帝になれば、きっと、喜ぶはずだとおもった。
だから彼女に報せたのだ。皇帝を暗殺したことを。
なのに、月華は青ざめて、いやいやと頭を振った。
「これで僕が新たな皇帝になるんだよ」
月華は鈍い。理解できていないのかとおもい、教えてやったが、月華はさらに絶望するだけだった。
月華は錦珠に言い渡した。
「あなたは、皇帝にはなれないわ」
「……それは予言か?」
「予言ではないわ。もっと、確かなことよ。だって、あなたは」
激昂した錦珠は月華を斬りつけた。月華は事切れるまで哀れむような眼差しで錦珠のことをみていた。彼女はあの時、なんといったのか。あれきり、わすれていたのに、今頃になって想いだす。
「人の心が解らないひとだから」
理解できるものか。だって、誰もそんなものを教えてくれなかった。教えられたのは皇帝になるための術、政の敷きかた、民を操る手段――心なんか。
ああ、でも、それは星のかたわれもそうだったはずなのに。彼は、ほかの理を選び、進んでいった。その違いがなんだったのか、錦珠には理解できない。理解できなかったから、取りかえしのつかないところまできてしまった。
腕を伸ばす。
最後に誰かが、彼の手を握り締めた。
瞼をあげる。視界は滲んでいたが、人の姿が微かに映りこむ。
彼を裏切ったはずの乳母、だった。彼女は凍えていく錦珠の指を暖めようと懸命に包み続けている。やっぱり、人の心なんてものは、解らない。
ただ、なぜか。
ちょっとだけ、満たされたきもちになって。
錦珠は、息絶える。
星がこぼれるように銀木犀の花が落ちた。
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