3‐33彼はみずからの星を選んだ
「妙!」
聴きなれた声がした。
房室に飛びこんできた累神が錦珠に斬りかかる。不意をつかれ、剣を弾きとばされた錦珠は舌打ちをして、後退した。
「累神、様」
「だいじょうぶだったか、怖かっただろう」
累神が妙を緊縛していた縄を絶ち、抱き寄せた。
「へいき、です……でも、なんでここが」
廊に視線をむけると、錦珠の乳母が震えながらこちらをみていた。彼女が累神に妙が拉致されたことを報せてくれたのか。錦珠は乳母が錦珠を裏切っていたことを理解して、乾いた嗤い声をあげる。
「はっ、結局、誰も彼もが僕を裏切るんだな――累神、禍の星のくせして、よくも僕から皇帝の倚子を奪ってくれたね」
「辞めたんだよ。碌でなしの神とやらに縛られるのは」
累神はすらりと剣を掲げ、錦珠にむけた。
「星辰を殺して、妙まで傷つけたおまえを、俺は許すことはできない。ここで、俺たちの因縁を終わらせよう」
「僕を殺すのか? できるものならばやってみなよ」
だが、錦珠は嘲笑しただけだった。
「僕らは双連星だ。僕を殺せば、おまえも息絶えるよ。産まれた時にそうさだめられた」
妙はかねてから、疑念を懐いていた。なぜ、星辰まで暗殺した錦珠が累神のことは狙わなかったのかと。
廃嫡である累神を侮っているためかとも考えたが、錦珠は神経質できわめて慎重だ。皇帝になるため、障害となる危険をはらむものは細やかな芽であろうと許せないはず。だが、この時になって、錦珠が累神を害さなかったわけが理解できた。
「僕は殺せないよ、累神」
僅かでも占星を信じているかぎりは。
累神は瞼を塞ぎ、胸のうちに縺れていたあらゆる想いを絶ちきる。息をつき、再びに見張られた星の眸は燃えていた。
累神はためらいなく踏みこむ。
彼を縛り、がんじがらめにしてきた運命の糸をひきちぎって。
「いっただろう。俺は、星には操られない」
累神が錦珠の胸を貫いた。
錦珠が信じられないとばかりに眼を剥く。銀の髪に挿された歩揺が微か、音を奏でた。視線を彷徨わせてから、彼は強い怒りに双眸をひずませる。
最後の力を振りしぼるように錦珠は、後ろ手で短剣を抜きはなった。
「累神様!」
妙が悲鳴をあげる。
双連星の予言とは哥弟が刺し違えることを表していたのか――いやだと、妙は強く想った。姐を喪い、星辰を奪われ、累神まで殺されるなんて、ぜったいにいやだ。妙は壊れた茶杯の破片に視線をとめる。
こんな物を投げつけても、あたるとは想わなかった。まして、短剣を弾きとばすなど無理だ。だが、考えている暇はない。
「一緒に死のうよ、累神! 僕らは同じじゃないか」
錦珠の短剣が累神にむかって振りおろされる。累神は錦珠に腕をつかまれていて、身動きがとれない。
妙が破片を投げつけた。
かつんと、星の砕けるような響きがあがる。
放物線をかたどって投擲された破片が、短剣にあたったのだ。だが、小さな破片ひとつでは明確な殺意をもって振るわれた剣を阻むには到らない――はずだった。
「なっ」
短剣がぼろりと、崩れた。
奇蹟か。あるいは。
「なん、で、僕だけ……」
錦珠は悔しげに呻いて、血潮を喀いた。
累神がつぶやく。
「星は、人が動かす――運命は選び取るものだ」
禍の星と捉えるのも、福の星と読むのも、結局は人の心ひとつだ。
なにを選び、どう進むか。
「俺は、俺の星を選んだ」
累神が剣をひき抜いた。錦珠は声もなく頽れる。累神は一度だけ視線をさげて錦珠をみたが、哀れみを捨て妙のほうを振りかえった。
妙は累神にかけ寄り、抱きつく。
張りつめていた緊張がいっきにほどけ、涙があふれだしてきた。
「累神様……よかった、ほんとうに」
「終わった。いや、終わらせたよ。……あんたのおかげだ」
妙を力強く抱きとめて、累神は双眸を綻ばせた。
穏やかに燈る明星の眸だ。
妙は累神の胸にもたれながら、ありがとうございますと涙に濡れた声を洩らす。これで星辰も月華も心穏やかに眠れるはずだと。
「星、選んだんですね、累神様」
禍でも福でもない、彼だけの星を。
「ああ」
つかんだら、離さないといわんばかりに強く抱き締めて。
「……俺の星はあんただよ、易妙」
累神は笑った。