3‐29「神の託宣が降りました」
「神の託宣が降りました」
舞台にあがった妙が声高に宣告した。
錦珠は意表をつかれ、眼を見張っている。女官如きがどうやって天壇にあがったのかと、星の瞳は糾弾していた。
種を明かせば、易い。礼服を借りて士族に紛れ、全員が日蝕に意識を取られているうちに奇芸の要領で華やかな服に着替えた。
神聖なる趣を漂わせた占い師の登場に、誰もが一瞬だけ、魂を抜かれたように動きがとれなくなる。錦珠、衛官も同様だった。
「禍も福も解きて、神は真実だけを宣う――皇帝とは天の意によってさだめられるもです。されども、真に天意を享けているのは命錦珠ではありません」
「……不敬な」
錦珠は我にかえり、激しい怒りに頬をゆがめた。
「なにをしている! 侵入者を捕えろ!」
衛官が弾かれたように剣を抜き、妙にせまる。その時だ。何処からともなく、外套を被り、素顔を隠した男が飛びだしてきた。
妙が声を落として、すれ違いざまに男に囁きかける。
「頼りにしていますよ、累神様」
「ああ、時間稼ぎはまかせてくれ」
男――ならぬ、累神が嗤った。
早朝のうちに累神は天壇に侵入し、宮殿の梁にあがって身を隠していた。
累神は風が舞うように剣を振るい、衛官を退ける。衛官たちは妙を捕えるどころか、彼女に近寄ることもできなかった。
「宮廷巫官でもないものが神の意を騙ることは大罪だ。わかっているのか」
錦珠がいまいましげに唾棄する。
「神は虚偽を享給ず。天の意を享け、黙り続けることは、私にはできません」
ゆえに聴いてください、と妙は民にむかって、声を張りあげた。
「命錦珠は天意を享けぬ身でありながら、皇帝の星を頭上に戴こうとしています。月を飲み、星をかみ砕いて、日輪までも喰らおうと貪欲なる爪をたてている――許されることではありません」
敢えて、嘆くように妙は語る。
「青ざめた鳥が空から落ちたのをみたものはいますか。水鏡を濁して魚の群が浮いたのをみたものは? それらは、天からの警告にほかなりません」
民の様子はここからでは窺えない。だが民衆が互いに顔を見あわせ、震えあがっているのが妙にはわかる。
鳥が落ちたのも、魚が死に絶えたのも、誰もが噂に聴いているはずだ。現実にみたものはおらずとも、噂には次第に知人の親族が、職場の家族が、と尾びれがつき、嘘が異様な現実味を帯びていく――心理においてそれを流言という。噂とは流れ、流れて、拡散するものだ。それは時に、証拠のある真実よりもはるかに強くなる。
「愚かな戯れ言だよ」
錦珠が声を荒げる。
「鳥が落ちたからなんだ。政とはいっさい、関係のないことだ」
錦珠が指摘したとおりだ。
鳥が落ちたことは、彼が新たな皇帝にふさわしくないという話とは結びつかない。妙は確かにそれを理解している。
「果たしてそうでしょうか」
だから話をすり替えて、わざとこのふたつを絡めていく。
「鳥の死骸が人を侵す疫病をもっていたら? 魚の死骸が水を濁らせ、作物を枯らして実りが絶えたら? 地の異変は民の暮らしに直結します。それとも、民が飢えてもなお、政には関係がないと仰せになられるのですか」
「そんなことはいっていないだろう、論点がずれている」
錦珠もまた、妙が意識して趣意をずらしていることを理解しているはずだ。だから、不快げに睨みつけてくる。
錦珠は日頃、穏やかそうにみせかけているが、実のところは感情の波が激しい男だ。だから彼の冷静さを崩すのは難しくなかった。
皆既日蝕は進む。
縁にわずか残っていた日の環が、ぷつとちぎれた。
奈落の底に吸いこまれるように地は、暗闇に閉ざされる。恐怖のあまり、民があちらこちらで叫喚していた。
民の緊張は限界にまで達している。
誰でもいいから、この不条理な暗闇から助けてくれと彼らは必死に訴えていた。
(よし、この調子だ――)
妙が微かに笑む。
抑圧感。緊張感。混沌たる恐慌の坩堝。だが、まだまだ足りない。すぐに解放されては、喉もと過ぎればなんとやらで終わりかねない。最後の一線のぎりぎりまで、民の心を追い詰めなければ。
累神は衛官たちと剣戟を続けている。
隙をみて、妙は累神にだけ聴こえるように声をかけた。
「あと、三百八十秒です」
「わかった」
いうまでもなく、日蝕が終わる正確な時刻は錦珠も把握している。
だが、妙の登場、さらに口論を経て、錦珠の頭のなかにある時計は正確な時を刻めなくなっているはずだ。
胸を膨らませ、妙はさらに声を張った。
「星にとって必要な皇帝とは日を屈服させ、跪かせるものですか? その腕で日を掲げ、民を等しく導くものではないのでしょうか!」
錦珠が腹だたしげに言った。
「理解できないのか? 日を隠す事ができるならば、昇らせる事もできるんだよ! 僕こそが新たな皇帝だ、異論は認めない」
袖を振りあげて、錦珠は命ずる。
「日輪よ、新たなる皇帝の命に随え!」
縋るように民が静まりかえった。
錦珠に望みを賭けて、人々は昏い日輪を仰視する。だが、いくら待ち続けても、光を取りもどすことはなかった。
百秒の誤差だ。
だが、民にはその百秒が重かった。
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