3‐25「俺は、皇帝にはならない」
後宮の端にある刑部の牢屋は真昼でも光が差さない。
牢屋がならんでいるが、ここに収容されたものは七日と経たず、死刑になるか、後宮を追放されるかが決まるため、いまは埋まっているのはひとつだけだ。
累神は牢屋の壁にもたれて、項垂れていた。靴音が聴こえて、ふと視線をあげた累神が眼を見張る。
「あんた、どうやってここに……」
「官吏たちを説得して、特別に面会を許してもらったんです。……正確には、官吏たちの弱みを知っている振りをして揺さぶりをかけました。なんも知りませんけど」
「はは……さすがだな」
累神は乾いた笑い声を洩らした。
だが、その眼は落ちくぼみ、絶望に濁っている。さながら、底のない奈落だ。妙は一瞬だけ身が竦んだが、戸惑いを振りきり、発破をかける。
「次期皇帝は錦珠に決まったそうです。そりゃそうですよね。競いあっていた皇子が死んだんですから。こんなかび臭いところで項垂れている暇はありませんよ。無実だと証明するための策を練らないと」
「すまない」
累神がぽつりとこぼした。
「俺は、皇帝にはならない」
妙が息をつまらせる。
想像はしていた。絶望した累神は、なにもかもを諦めてしまうのではないかと。
それでも、妙は現実に累神から拒絶されて、酷く傷ついた。
「俺は禍の星のもとに産まれた。皇帝になれば、国を滅ぼす。そればかりか、側にいるものまで不幸にするらしい――だから俺の母親は心身を病んで死に、星辰も殺された。俺と一緒にいたら、あんただって」
「ばかなことをいわないでください!」
妙がたまらず、声をあげた。
「星辰様が死んだのは累神様のせいじゃない。錦珠に殺されたんですよ。禍の星なんかと結びつけないでください!」
関連のない不幸を結びつけるのは認知の歪みだ。まして、彼は身のまわりで起きた不幸の責を、勝手に抱えこもうとしている。
「だが、予言には時々本物がある。あんたもそう言っていたはずだ。俺が産まれたときの占星は、本物だったんだよ」
「ほんきで、いってるんですか」
妙は累神を睨みつけた。
絶望したといっても、これほどまでにたやすく全部を捨ててしまうなんて。あるいは、もとからそうだったのか。そこまで考えて、妙はぞっとした。
がらんどう、だ。
「あんたは、俺の嘘を見破ってくれたよな」
累神が虚ろな微笑を湛えて、木製の格子から腕を差しだしてきた。縛られたように動けない妙の頬をなで、唇をなぞった。
「皇帝になるつもりが、ほんとうにあるのかと」
はっと、累神は息をついた。
嗤いとも、ため息ともつかない呼吸の残骸だ。
「――なかったよ。あるわけがないだろう? 皇帝になるべきは星辰だった。俺は実権を握ったら、すぐに星辰の害になるものたちを処刑して、みずから命を絶つか、暗君として死刑にでもなって龍椅を退くつもりだった」
ああ、この男は、壊れている。
(呪いだ)
予言も、易占も、時として呪いになる。
呪いは人を縛りつけ、思考を絡めとる。累神はそうしたものに縛られることを是としない男だと想っていた。
それなのに。
「失望しましたよ」
累神の指を振りほどき、妙が叫んだ。
「禍の星がなんですか! 神の託宣がなんですか! そんなものは信じない、神に喧嘩を売るんだといっておきながら、貴方がいちばん、縛られてるんじゃ、ざまあないですよ!」
みずからの声で、胸が破れそうだった。
泣きたいわけではないのに、妙の瞳からはとめどなく涙があふれてきた。
「貴方はけっきょく、逃げてるだけだ」
累神の微笑が、剥がれた。
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失意の累神に妙がかける心理の言葉とは?