3‐22禍福は糾える縄の如し
妙は走っていた。
累神と星辰の身が心配で、胸が潰れそうになる。
堀に落ちて横転した馬車をみつけ、妙は悲鳴をあげそうになった。だが、なんとか声をのむ。
堀の側に累神がいた。
累神は星辰を背にかばいながら、刺客と争っている。累神は勢いよく剣を振るい、刺客のひとりを斬りふせた。だが、背後から別の刺客がせまっている。累神は星辰を護るため、身を挺して肩を斬られた。星辰が絶叫する。だが、累神は敢えて踏みこみ、刺客を刺し貫いた。
それが最後の刺客だった。
息も絶え絶えに累神が振りかえる。
「累神様、ご無事でよかった……」
妙はひとつ、安堵の息をついて、累神のもとにかけ寄る。
「いったい、なにがあったんですか」
「刺客だ。錦珠は星辰まで殺すつもりらしい」
物音がした。
累神は剣を構えなおす。民家の裏から新たな刺客が襲いかかってきた。今度は九人だ。累神は刺客を睨みつけながら、妙に言った。
「妙、星辰を頼む」
「累神様はどうなさるんですか」
「そうです、哥様は」
「あれは錦珠からの刺客だ。だったら、俺のことは――殺せない」
いったい、どういうことかと妙が言葉の真意を尋ねるまもなく、刺客が斬りかかってきた。ここにいては巻きこまれる。それどころか、累神の足手まといだ。妙は唇をひき結び、星辰の腕をつかんで逃げだした。
「哥様っ」
「累神様を信じて、逃げましょう」
剣を扱うことはおろか、喧嘩もできない妙には、ほかにできることがない。
累神は刺客をひき受けて、退路をひらいてくれた。
だが、その時、民家の屋頂に弓隊が現れた。刺客たちは星辰と妙めがけて、いっせいに矢を放つ。
(やばい)
妙は星辰を抱き寄せ、咄嗟に堀へと身を投げた。
盛大な水しぶきがあがる。
堀は想像していたよりは浅かった。妙の腰程の水嵩である。
「星辰様、御無事ですか!」
抱き締めていた星辰に声を掛ける。
「っ……」
星辰が苦しげに呻く。
星辰のわき腹には、矢が刺さっていた。
妙は絶句する。星辰様と叫んで矢を抜きかけて、いや、だめだと頭を振る。何かが刺さった時は、無理に引っ張って動脈を傷つけたら命にかかわると、誰かに教えてもらったことがある。
「逃げないと! 星辰様、歩けますか」
「大姐こそ……血が」
いわれてから確かめれば、袖がちぎれて、腕からぼたぼたと血潮があふれていた。矢がかすめたのか、落ちたときに負傷したのか。
「私はへっちゃらです。いざとなれば、星辰様のことだって担げますから」
意識してから、傷がずきずきと痛みはじめた。だが、妙は強がって星辰の肩を抱き、水を掻きわけながら進む。しばらく進んだところに階段があった。刺客がひそんでいないか、慎重に確かめながら堀からあがる。
いつのまにか、日が落ちてあたり一帯は暗くなっていた。今晩は月がない。星ばかりが瞬く暗がりに身を隠して、妙は側に建っていた民家の戸をたたいた。
「助けてください! お願いします、どうか」
懸命に助けをもとめる。
だが、面倒な争いに巻きこまれまいと息を殺しているのか、家の者は顔を覗かせるどころか、声ひとつかえしてはくれなかった。
誰も助けてくれない――
星辰が咳きこみ、喉から血潮をあふれさせる。
「すみま、せ……げほっ……」
ひどい血潮の量だ。
妙は絶望に唇をきつくかみ締める。
(大通までいけば、衛官がいるはず。でも、これいじょう歩き続けるのは無理だ。どこか、隠れられるところを捜さないと)
妙は星辰を連れて、民家の倉に身をひそめた。
物陰に星辰を横たわらせる。星辰はぜひゅうぜひゅうと異常な呼吸を繰りかえしていた。咳をするごとに血潮を喀き、眼からは光が損なわれていく。
「なんで、こんなことに……」
先ほどまで、あんなにも幸せだったのに。
「ごめんなさい。狙われて……いたのは、ぼくなのに……御二人を、巻きこんでしまって……ほんとうにごめんなさい」
星辰が声をしぼりだす。
「そんなの、違います。なんで、星辰様が狙われないといけないんですか。星辰様がなにをしたっていうんですか」
悔しさに声がつまる。
「ひどすぎます、こんなの」
姐も、星辰も、こんなふうに殺されていいひとではないのに。やさしいひとばかりが、なんで傷つけられなければならないのか。
だが、嘆いてばかりはいられなかった。
「哥様……は、だいじょうぶ、でしょうか……哥様が、死んでしまったら……ぼくの、せいで……どう、したら」
なんとしてでも、星辰をちからづけないと。
「累神様は御強いですから! ぜったいにだいじょうぶです」
「でも」
「約束してくださったんです。どこにいても、迎えにいくって。累神様が約束を破るはずがないじゃないですか」
「そう、ですよね」
星辰が微かに微笑んだのが、息遣いでわかる。
だが、望みもむなしく、次第に星辰の呼吸は細くなってきた。すでに意識が遠ざかってきているのか、彼は心細げに尋ねる。
「妙大姐……側におられます、か」
「いますよ。ずっと一緒です、離れませんから」
星辰の手を握りながら、妙は懸命に声をかけ続ける。
星辰はあの時も死を乗り越えた。だから今度だって、死なない。死ぬはずがないのだと妙は胸のなかで繰りかえす。
突如として、倉の戸が蹴破られた。
「累神様……」
胸に過ぎった希望は果敢なく、打ち砕かれた。
刺客だ。
いよいよ事態が緊迫してきました。ここからはクライマックスにむけて、勢いよく「急」が続いていくので、引き続きお楽しみいただければ幸いです!