3-13 予言者の姐と錦珠の野望
いよいよ物語の裏側が視えはじめます!
累神の宮はいつ訪れても、寂寞としている。
北側の日陰にあるためか、夏だというのに、殿舎のなかを吹き抜ける風は肌寒かった。
あの後、錦珠の乳母から詳しい話を聴くため、場所を移すことになった。雨は本降りになり、屋頂の瓦をたたき続けている。累神が淹れてきてくれた茶を啜って、錦珠の乳母は幾分か落ちついたのか、細く息をついた。
皇子の乳母は母方の外戚から選ばれる。彼女も例外ではなく、続柄としては錦珠の大叔母にあたるのだとか。
「まずは、この事を御伝えせねばなりませんね――」
意をけっしたのか、乳母が沈黙を破って語りだす。
「皇帝陛下に毒を盛り、暗殺したのは錦珠坊ちゃまです」
「ああ、そうだろうとおもっていた」
思い設けていた現実を、累神は静かに受けいれる。
「そう、ですか。……累神様には敏腕の占い師様がついておられますから、すべてを看破されているのも得心がいきます」
乳母が頭を垂れる。
妙はため息をつきそうになった。
(いや、どんだけ占い師万能だとおもってんだよ。神かよ、あ、そうか、占い師って神が懸かってるんだっけ……)
占い師にたいする幻想というか、妄信めいたものを感じて、妙は辟易する。特に第一皇子御抱えの、とか、宮廷の、といった後ろ盾にあれば、誰もがそれを疑わない。これだから、累神も占星師の言葉ひとつで廃嫡になったのだ。
「錦珠坊ちゃまも占い師……正確には、予言者だといっておられましたが、神妙なる御力を持つ姑娘をかこっていました」
姐のことに違いないと妙が息をのむ。
「その姑娘について、詳しく教えていただけますか」
「はい。確か、五年程前だったでしょうか。錦珠坊っちゃまが都から突如、ひとりの姑娘を連れてきました。彼女は特別だといって」
「それは、易 月華という姑娘ではありませんでしたか」
妙がたまらず尋ねれば、乳母は「仰るとおりです」と首肯した。
積年の想いがこみあげて、妙は瞳を潤ませる。
ずっと捜し続けていた。
辛い時も嬉しい時も、姐のことを想わなかった時はなかった。やっと、姐に逢えるのだ。あるいはいまが幸せならば、遠くから姿をみるだけでも構わないと。
もう一度だけ、あの微笑に逢えるのならば。
「姐なんです。彼女はげんきですか、お腹とか減らしていませんか」
「……それ、が」
乳母が不意に言葉を詰まらせ、瞳をふせた。
強烈にいやな予感がして、妙が頬を強張らせる。
「なにか、あったんですか」
聴きたくない――碌でもない現実が待ち受けているとわかっていながら、妙は確かめずにはいられなかった。
「月華様は一年前、命を落とされました――」
鈍い衝撃があった。
後ろから頭を殴られたような。或いは底のない穴に落とされるような。
「う、そ……ですよね」
声の端々が震えていた。
視界が昏くなって、強い眩暈に見舞われた。身を乗りだそうとして、よろめいたのを累神が後ろから支えてくれた。
「姐さんが、……死んだなんて、そんな……な、なんで」
「……順を追って、語らせてください」
乳母は涙をこぼして額をこすりつけた。
錦珠は月華を都から連れてきてから、宮の扎敷に監禁していた。監禁といっても、待遇は妃妾と同等か、あるいはそれよりも恵まれていた。乳母は食事を含めて月華の身のまわりのことをまかされ、また月華が望む物があればなんでも与えるよう、錦珠からは命令されていたという。
「そうはいっても、月華様は屋頂のあるところに暮らせれば充分に幸せだと微笑まれて、なにも望まれませんでしたが……ああ、でも都にいる妹さんのことは終始、気に掛けておられました」
月華は時々予言をしては、錦珠に報告していた。月華は字が書けなかったので、毎度口頭で視えたものを事細かに語っていたそうだ。
敵の軍が北部から侵攻してくる、南部で地震がある――錦珠はそれを享けて、先んじて軍を動かしては被害を抑え、民を救助した。
月華のことは秘匿されており、すべては錦珠の功績となっていたが、月華はいっさいの不満を懐くことなく、むしろ無辜の人々を助けられたことを純粋に喜んでいた。
「それだけで終わっていれば、どれほどよかったでしょうか」
だが、昨年の春、月華がある予言をしたのだ。
皇帝陛下が毒殺される――と。
満月の晩、食後に茶を飲んだ皇帝が血を喀き、命を落とすところを視たのだと。
皇帝陛下は百種の茶杯からその時々、違った杯を選び、茶をそそがせる。毒殺を避けるためだ。
錦珠は皇帝陛下がどんな茶杯を選んで毒を飲まされたのかを事細かに聴きだした。月華は錦珠が皇帝陛下を助けてくれるものだと疑わなかった。
「だが、錦珠の真意はそうではなかった、ということか」
累神が低くつぶやいた。
ほんとうは、錦珠こそが皇帝暗殺を策していたのだ。