3‐4「ぼくの自慢の兄なのです」
星辰は取りとめもなく窓を眺めながら、床榻に横たわっていた。
枕もとには難しそうな書物が積みあげられている。
「星辰、体調はどうだ」
房室を訪れた累神が声をかけると、星辰はぱあと顔を輝かせた。
「累神哥様! わざわざお越しくださったのですか」
「わざわざというほどのことはないさ。後宮のなかだからな。俺としては毎日だって見舞いにきてもいいんだが、まあ、度々きても迷惑をかけるからな」
「迷惑だなんて、そんな。哥様の御顔を拝見できるだけで、元気になります。ご遠慮なさらず、いつでもお越しください」
星辰はまだ而立を迎えていないので、後宮にある彗妃の宮で暮らしていた。宮には常時侍医がつき、ちょっとでも不調があれば、宮廷の医官たちがすぐに動ける体制になっているとか。
累神と星辰が喋っているのを眺めながら、妙は薬の事故で星辰が命を落とすようなことにならなくてよかったと胸をなでおろす。
「御越しくださったのですね、易 妙」
靴を硬く奏で、彗妃がやってきた。
石膏でできたような無表情なので、歓迎されているか、厚かましいとおもわれているのか、まったくわからない。
「あ、……彗様、その……お邪魔しています」
高貴な御方にどんな挨拶をすればいいのか、いまいち考えつかず、微妙なことをいってしまった。彗妃は自身の耳に触れながら、硬く沈黙している。あれは妙にたいして苦手意識を持っているという表れだ。あるいは照れているのを隠すために耳に触れる、ということもあるが、彗妃にかぎってそれはないだろう。
(そんなに苦手だったんなら、呼ばなくてもいいのに)
彗妃は続けて、累神に視線をむけた。
累神は星辰の読み終えた文献を捲った後、星辰の頭をなでて勉強熱心だなと褒めている。星辰は嬉しそうに頬をそめていた。
「……また」
「はい?」
「時々星辰に逢いにきてやってください。星辰はあなたがたに逢えるのを、とても楽しみにしていますから。累神皇子にもそのように伝えていただけますか」
「え、あ、はい」
「それでは、私は執務がありますので」
彗妃はそれだけいって背をむけた。いったい、なんだったのか。旋風みたいな女人だ。だが、なぜか、廻廊を遠ざかっていく足取りはこころなしか弾んでいた。
「妙、星辰と喋っててくれるか。俺はこれを運んでくるから」
星辰の読み終えた書物を抱えて、累神が房室からいなくなった。星辰は妙に微笑みかけ、「こちらにどうぞ」と側におかれた倚子をぽんぽんとたたいた。
「星辰様。お久し振りです。御体調はいかがですか? その……まだあまり、御元気になられたようには見受けられないのですが」
「胸にかなりの負担をかけてしまったみたいで……でも、御医者様の言いつけをまもって安静に努めているので、じきに落ちつくはずです」
星辰はふとめの眉を垂らして、苦笑する。
「恥ずかしながら、あの時のことはよくおぼえていないのですが、妙大姐に助けていただいたのだと母様に後から教えていただきました。大変なる御恩を賜り、なんと御礼を申しあげていいのか」
「そんなそんな! 私は特になにも」
「ですが、甘草だと解かったのは、毒である危険をかえりみずに妙大姐が確認してくださったからです。累神哥様にもまたご迷惑をおかけしてしまって」
「迷惑だなんて。累神様はこれっぽっちもおもっておられませんよ」
「哥様は御優しいですから。昔からそうでした。何度、哥様に助けていただいたことか。犬に追い掛けられた時も、哥様が助けてくださいました」
「そういえば、私も鶏につっつきまわされて橋から落ちた時、助けてもらいましたね」
累神は意外とかいがいしいところがある。
「わがままをいっても、哥様は怒らないできいてくださいます。ぼくが凧揚げをしたいといえば、こっそり連れだしてくださったり。馬に乗りたいといったら一緒に乗せてくださいました。でも、後から哥様のほうが母様に怒られてしまって」
「もしかして、彗様が累神にきつくあたるのって」
「全部、ぼくが頼んだことなので、哥様には責任はないのですが。……母様にはわかっていただけなくて」
妙は呆れた。彗妃は子を想っていないどころか、超過保護じゃないか。もっともあの彗妃のことだ。すなおに星辰の身を案じているとは言えずに「勉強の邪魔になる」とか「遊ぶ暇があったらもっと書物を読みなさい」とか、そういう叱りかたをしていたに違いない。
「累神哥様は、ぼくの自慢の哥なのです」
星辰の言葉のひとつひとつからは、累神にたいする敬慕の念があふれている。