3‐2「あんたを選んで、よかった」
「嵐、やみそうもないですね」
「まさか、ここまで崩れるとはな」
酷い嵐に遭ってしまった妙は累神とともに倉で身を寄せあっていた。傾きかけたぼろぼろの倉だが、雨宿りくらいはできる。窓の外を覗っているが、嵐がやむどころか風が強くなってきていた。
「寒くはないか」
「へいきです、累神様はだいじょうぶですか」
「ああ、夏でよかったよ。春だったら、風邪をひいてたな」
木箱にならんで腰かけて濡れた袖をしぼりながら、しばらくは他愛のない話をしていたが、それも次第につきて、妙がぽつと尋ねかけた。
「禍の星、というのはなんですか」
さきほど第二皇子である錦珠が語っていた言葉だ。彼は累神のことを「禍の星に産まれついた」と言った。これまでならば、黙っていただろう。だが、妙は累神を皇帝にすると約束した。ならば、知っておくべきことだ。
「累神様が廃嫡されていることにも関係があるんじゃないですか」
「あいかわらず、あんたは察しがいいな」
累神が降参だとばかりに腕をあげた。暗すぎて細かな表情までは見て取れないが、声の感じからして、苦笑いしているらしい。
「占星というのは知っているか」
「ええ、まあ。詳しくはないですけど。政にも取りいれられている高尚なやつですよね。周易とか風水とか、数ある占いのなかで、最も重要視されているのが占星だとか。確か、宮廷に占星の官署がありませんでしたっけ」
「欽天監のことだな。占星の役割には暦の推算、天変地異の予知、政の是非を星に問うほかに、皇帝の御子が産まれた時に星を読んで命運を導きだすというものがある」
累神が産まれた時にも宮廷占星師による御告げがあったということか。
「俺と錦珠は腹違いの兄弟だが、産まれたのが同日同時刻だった」
「そんなこと、あるんですか」
「占星師いわく、双連星というそうだ」
窓から、ひと振りの光が差し渡る。夜の雲の輪郭が浮かびあがり、続けて凄まじい地響きが倉の傾きかけた壁を軋ませた。
落雷だ。雷の余韻が静まってから、累神が再び喋りだす。
「さきに産まれた星は、後から産まれた星の陰になる――つまり、俺の星は弟である錦珠の星に覆い被されるかたちになったわけだ」
「それがなんで、廃嫡なんてことに」
「陰の星は死星といって、禍をもたらすと言い伝えられている。俺が皇帝に就けば、星は滅びるであろうという御告げがあった」
慌てふためいた宮廷は、間違っても累神が皇帝に即位することがないよう、彼を廃嫡に処した。
「俺は産まれながらの疫病神なんだよ」
彼がどんな顔をして語っているのか、妙にはわからない。だが、声の端々は硬く強張っていた。
「そんなことで人の運命がきまるはずがないじゃないですか。あんな遠くにある星が、なにをきめるっていうんですか、馬鹿馬鹿しい話です」
「いかに馬鹿馬鹿しくとも」
累神がわずかに声の端を震わせる。
冷静さを取りもどすためか、ひとつ、呼吸を経てから彼は続けた。
「……宮廷に占星を疑うものはいなかった。皇帝も含めてな。占星は神の託宣だ。神の意は絶対だった。皇后である俺の母親は、廃皇子となった俺と一緒に後宮の端にある離宮に移された」
「それがあの宮ですか」
「ああ、そうだ」
寂莫とした殿舎を想いだす。
あの宮で、累神はいかなる思いを抱えて、これまで生き続けてきたのか。廃された第一皇子と謗られて、白眼視されながら。それでいて、彼が帝族であるかぎりは宮廷を離れることもできないのだ。
どれほど息がつまることか。妙には想像がつかない。
妙にできるのは考えることだけだ。星の神託で廃された累神を皇帝にするにはどうすればいいのか。
「……でも、正直言って安心しましたよ」
「どういうことだ」
皇帝の嫡子が廃される経緯は様々だ。母親が重罪で処刑されていたり、皇帝と皇子が敵対していたり、はたまた皇帝の女を寝取ったなんて例もある。最後のは別として、こうした事情は政界に縁のない妙では解決が難しかった。
「占い師がきめたことならば、占い師に覆せるはずです」
もちろん、容易ではない。宮廷にいるものたちを信じこませるには、大規模な舞台と確かな裏づけを要する。だが、できないことはない。
累神は眼を見張ってから、息をついた。
「あんたを選んで、……よかった」
肩に腕をまわされて、妙はぎゅっと強く抱き寄せられた。はからずも累神の肩に頭を乗せるようなかたちになる。
「ちょっ……累神様、これ、恥ずかし……んですけど」
懸命に訴えたが、累神には聴こえていないのか、いっそうきつく抱き締めてきた。
「俺は、神を信じない。あんたもそうなんだろう。神なんか碌なもんじゃないとおもってる。俺はずっと――」
雷がまた、落ちた。
窓から差す稲光が一瞬だけ、累神の表情を照らしだす。
妙は息をのんだ。
累神は泣きそうな眼をしていた。
「神に喧嘩を売ってくれるやつに逢いたかったんだ」
ああ、でも、それは――
(私も一緒かもしれないな)
親が騙されて借金を背負わされた時、まわりは運がなかったなと哀れんだ。だが、妙は想った。運なんかで善人が大損して、騙したものが得をするのならば、神なんて要らないと。
妙はすとんと、累神の肩に頭を乗っけて、身をゆだねた。
累神の暖かさと微かな呼吸をすぐ側に感じた。凍えていた肌が徐々に暖まってくる。妙は累神に寄りそい、瞼を瞑った。
嵐はまだ、続いている。