2‐22「あいつの言葉に嘘はあったか」
「占い師さん、でしょう?」
錦珠は房つきの傘を廻しながら続けた。きらきらと星が舞う。
「このところ、後宮を騒がせていた物騒な事件は、君が解決したとか。神の託宣――だったかな。宮廷巫官にも君ほどに優秀な神通者はいないよ」
彼は妙の腕を取り、指先に接吻を落とす。
「どんな占い師かと想っていたけれど、こんなに可愛らしい姑娘さんだったなんてね」
先輩女官だったら頬に梅でも咲かせて卒倒しているところだが、妙はただ、ただ、頬をひきつらせた。
(ここの皇子様連中って、距離感がバグってません?)
錦珠は瞳を輝かせながら、語りかけてきた。
「ねえ、易 妙。僕の専属占い師になってくれないかな?」
「へ!?」
おおよそ皇子様に聞かせてはならない、素っ頓狂な声がでた。
「美味しい物が好きなんでしょう? 僕のお抱え占い師になってくれたら、宮廷に迎えて、毎日好きな物を振る舞ってあげるよ」
宮廷の食事を食べ放題……妙は想わず、涎をのむ。なんという甘美な誘惑だろうか。
だが、累神のことが頭を過ぎった。
契約はなく、縛られているわけでもない。彼との関係と一緒で、かたちのないものだ。それでも、妙は第一皇子つきの占い師だった。
「申し訳ございません、私は」
そう言いかけたところで、後ろから抱き寄せられた。紅の髪が視界に拡がる。累神だった。
「俺の占い師がどうかしたか、錦珠」
累神が嗤う。だが、瞳は僅かも好意を表していない。
「やあ、哥上」
それは、錦珠も同様だった。
錦珠がまとっていた真綿のような情調が、崩れた。愛想笑いだけを張りつけ、錦珠は凍てついた視線で累神を睨みつける。
累神と星辰の関係とは逆だ。
累神は妙を振りかえる。
「……妙」
燃える星を想わせるその眼差しは、妙に依頼をする時と似ていた。試すような。それでいて、見破ってくれと頼みこむような。
(わかりましたよ、視ていればいいんでしょ)
雨が激しくなってきた。
洗濯桶をぶちまけたような土砂降りだ。通りにいた妃妾や宦官は慌ただしく建物に入り、累神と妙、錦珠の三者だけが残る。
「確か、昨年に皇帝陛下が崩御された晩も酷い雨が降ってたな。俺は後から報告を受けたが、おまえは宮廷にいたんだろう」
「なにがいいたいのかな、哥上」
累神が僅かに声を落として、錦珠に問いかける。
「……あれは、毒殺だったんだろう?」
皇帝の崩御について、後宮でも毒殺を疑う声はあった。あくまでも噂に過ぎなかったが、錦珠はあっさりと肯定する。
「医官が調査したかぎりでは、そうらしいね」
「だろうな。だが、陛下はとても慎重な御方だった」
累神は続けた。
「陛下に毒を盛れるものはかぎられている。食事にも茶にも毒味役をつけ、茶杯は百種のうちから、かならずその場で選んでいた。杯の底にも毒を盛られることがないように」
雷の轟きが響いてきた。遠いが、嵐がせまっているのを肌で感じる。
「錦珠。おまえには先見の明があったな。先の事が、予測できるとか」
妙が息をのむ。それは予言ができるということか。
妙の戸惑いを知ってか知らずか、累神は続ける。
「あの時、陛下が選ぶ茶杯がおまえには解っていたんじゃないのか」
「僕が、毒殺をしたと?」
錦珠は心外だと頭を振った。
「おまえは、殺してないんだな?」
「ああ、……僕が殺すはずがない。あらぬ疑いをかけるのならば、貴方であっても容赦なく不敬罪に処すよ」
妙が一瞬だけ、瞳を見張った。
累神が口の端をもちあげた。肩を竦める。
「冗談だよ。本気に取らないでくれ」
「不愉快な冗談だね」
紅と銀。雨に濁る風景のなかで相いれぬふたつが衝突する。
「なにを考えているかは解らないが、貴方が禍の星として産まれついた事をお忘れなく」
不穏な言葉を残して、錦珠は背をむけた。髪を彗星のようになびかせた背がみえなくなってから、累神は声を落として妙に尋ねる。
「あいつの言葉に嘘はあったか」