2-6奇蹟か詐欺か
殿舎は神殿を想わせる造りになっていた。房室の隅に滝があり、箏を想わせる水の調べを響かせている。飾り棚には水晶の彫刻が飾られ、いかにも神妙な趣きを漂わせていた。房室の北側の一段あがったところが祭壇になっている。
「夢蝶様! 夢蝶様だ!」
信者たちが歓声をあげる。
青い蝶を模した襦裙を着こなした妃嬪が入室してきた。夢蝶嬪だ。綿毛のような睫をふせ、彼女はまわりに微笑を振りまいた。
信者たちは跪いて腕を掲げ、拝みだす。熱烈な信者に戸惑ったが、夢蝶嬪は慣れているのか、微笑を崩さない。
夢蝶嬪が壇上にあがる。
蝶の袖を拡げ、彼女は殿舎に集まる者全員に語りかけた。
「また病める者達が薬水をもとめて、参られたようですね。命あるかぎり、病みはつきぬもの――さあ、順番にどうぞ。水を施しましょう」
夢蝶嬪につかえる女官が患者に声をかけ、祭壇にあがるよう、促す。患者である妃妾は震えがとまらないのか、ふらついていた。女官に腕をひいて誘われ、彼女は祭壇の倚子に腰を降ろした。
「あ、あの、わ、私は……」
「つらかったですね。もうだいじょうぶですよ」
夢蝶嬪は緊張している妃妾を優しく抱き締めた。
続けて、彫刻の施された玻璃製の杯を妃妾に持たせる。
「こちらの杯を御持ちになって。華光の薬水をそそぎますからね」
夢蝶嬪は杯と揃いの急須を傾け、透きとおる杯を満たす。
「掲げてごらんなさい」
彫りきざまれた玻璃の底で細かな光が踊る。ゆらゆらと。水が輝きだす。
「まあ、水が光を帯びて……」
「なんて神妙な」
観衆が感嘆の声をあげた。さきほどまで信者たちの様子に戸惑っていた患者までもが有難いと拝みだす。
だが、妙は冷めていた。
(窓から差してきた日光が玻璃の杯に映って、拡散してるだけだ。ちょっと考えたらわかるだろうに)
強い魄は喜びであれ、悲しみであれ、感染する。これを情動感染という。特に感動や興奮は伝播しやすく、過ぎれば集団解離という現象をも巻き起こす。
「光の移ろわぬうちにお飲みください」
「あ、ありがとうございます」
妃妾が感極まりながら、水を飲む。
「甘い……なんて、あまやかな御薬なのでしょう」
「あまやかに感じられたということは、心と身がこの妙薬を享けいれたということです。かならず、薬能があらわれますよ」
「あ、あ、あれ……」
あれほど酷かった震えが、とまったではないか。
信じられないとばかりに妃妾が手を握って、解いて、確かめる。
「これが華光の薬水の奇蹟です」
夢蝶嬪が誇らしげに宣言する。場が更なる歓喜の渦に湧きたつ。誰もが興奮して「奇蹟だ」「神の御業だ」と連呼するなか、冷静に一連の流れを観察していた累神が妙に耳打ちをする。
「やらせ、か?」
妙はそれを見破るため、終始、患者である妃妾の震えかたをみていた。腕や足が強張り、額に発汗し、震えをとめようと掌を握り締める――演技であれはできない。
妙が累神にむかって、緩く頭を横に振る。
「……そうか」
累神が祭壇に視線を戻す。
「医官から処方された薬を飲んでも、いっこうにとまらなかったのに、ああ、ほんとうに奇蹟はあるのですね」
「だいじょうぶですよ。またこんなことがあれば、いつでもお越しください。私は、貴女のこころの拠りどころになりたいのです」
感動して涙ぐむ妃妾を抱き寄せ、夢蝶嬪もまた涙をこぼす。
(本物――なのか? いや、結論をだすにはまだ早すぎる、か)
妃妾が頭をさげ、祭壇から降りていった。交替に別の妃嬪が祭壇にあがる。その妃嬪は五歳ほどの男児を連れていた。
妃嬪が後ろ暗そうに視線をさげ、夢蝶嬪に訴える。
「その……息子がなかなか、落ちつかず」
「花鈴妃、御言葉ですが、わずかな疑いにも邪はつけこむものです」
今、花鈴妃といったか。累神と妙が視線をかわす。
あれが、豪商の妹だ。
妙と累神は調査を進めます! 引き続き、お楽しみいただければ幸いでございます。