2‐4後宮に胡散臭い噂、漂う
「みて、ほら、あの姿絵」
「まあ、格好いい。口紅の広告なのね」
「知らないの? 姿絵が素敵すぎて、後宮中で話題になってるのよ。入荷するとすぐに売りきれてしまうんだとか」
「誰の絵姿かしら」
「累神様に似ているわね」
後宮の町角に飾られた掛軸の前で妃妾たちが黄色い声をあげている。
側を通り掛かった妙は姿絵に視線を投げた。
掛軸に描かれた累神は頬についた口紅を拭って、物言いたげにこちらをみている。艶めかしいが、かといって、服を着崩しているわけでもなく、うら若き女たちの想像を程よく掻きたてる。累神の魅力があふれる姿絵だ。
よほどに敏腕の絵師に描かせたに違いない。
「私、実はさきに予約してるのよ」
「まあ! 私のも一緒に予約してくだされば、宜しかったのに」
話題になっているようで、なによりだ。妙は満足して、町角を通り過ぎた。
…………
……
それからしばらく経ち、妙は累神に連れられて、またも都の餐館にきていた。豪商は累神と妙をみるなり、破顔した。
「大好評です。いやはや、さすがは累神様が認めた小姐さんですね。それはそうと、実はひとつ、ご相談がございまして」
「貴公の商幇にならば、更に投資することも可能だが」
累神の提案に豪商は頭を横に振った。
「いえ、私個人のご相談なのです。私には花鈴という年の離れた妹がおりまして、今は後宮にいるのですが」
「花鈴妃か」
「ああ、御存知でしたか」
「会ったことはないが、帝族の御子ができたという噂は聴いたことがあるな」
「左様でございます。ただ、その御子に少々……問題がありまして。まだ五歳になったばかりなのですが、疾患があるそうで」
豪商は言葉を濁す。
「それは心配だな」
「花鈴もたいそう思いなやんでいたのですが、後宮のなかになんでも華光の薬水なるものを提供している妃嬪がいるのだとか」
「なんだ、それは」
累神が怪訝そうに眉を動かした。豪商も「累神様がお疑いになられるのもごもっともです」といった。
「妹はその妃嬪に多額の布施をしているらしく、この頃は私にも無心をしてくるのです」
さっそく食事を始めていた妙は海老焼売を飲みこんでから、尋ねた。
「変じゃないですか? 後宮のなかで商売をするのには許可が要りますよね。でも、そんな胡散臭い商売に許可がおりるとはおもえないんですが」
「仰るとおりです。なので布施は金銭ではなく、絹や宝飾といった物品で募っているそうです。これならば、規則にも抵触しません。実に卑怯な手段です、許しがたい」
「へ、へえ、そうなんですね」
妙は咄嗟に視線を逸らす。妙がやっている占い師商売とほぼ一緒だ。妙が報酬として受け取っているのは食物で、ぼったくりを働いているわけではないが、どことなく気まずかった。
累神もそれを察したのか、横で苦笑する。
「まあ、実際のところは金の問題ではないのです。ただ、妹が怪しげな商売に騙されているのではないかと気掛かりで」
豪商の男には後宮内部の事情を探ることはできない。
「累神様、御面倒かとおもいますが、一度調査してきていただけませんか」
「そうだな。花鈴妃が気掛かりなのは勿論のこと、多額の布施が動いているとなると放ってはおけないな。わかった。調査を進めよう」
「助かります」
豪商が頭をさげる。
(まあ、私には関係ないな)
妙はそう結論づけ、蟹の炒飯を掻きこむ。
だが、豪商はこう続けた。
「信じ難い話なのですが、妃には実に神妙な力があるという噂もあります。医官に匙を投げられた患者が華光の薬水とやらを飲んで、実際に回復しているとかで、信者も大勢いるとか」
猫耳に似た妙の髪がぴょんと、跳ねた。
「それ、私も一緒に調査しにいってもいいですか」
「構わないが、めずらしいな」
いつになく真剣な妙の眼差しをみて、累神は意外そうにした。
「助かります」
累神が何かを言いかけたが、妙はすぐに匙を持ち、食卓に向き直る。まだまだ料理は残っている。勝負はここからだ。
「ほんとにこれ、最高においしいですね」
妙は結局、提供された料理を完食した。
会食の場においては料理を残すのが礼儀なのだが、海老の尾まで残さずにたいらげる食欲と根性は、豪商が「いやはや素晴らしい」と感心するほどだった。