2‐2食いしん坊女官 時々 商売
都の喧騒はごった煮の鍋のようなものだ。
後宮も小都といわれてはいるが、あくまでも雅やかに統一されている。富める者と貧しい者が袖を振りあい、商奴や娼妓が日銭を稼ぎにかけずりまわる都とは違った。
妙が後宮に拉致されてから、二ヶ月が経つ。
暮らしなれた市井の風景を懐かしむほどには時は経っていないはずだが、馬車の窓から眺めたその風景はどこか遠く感じた。
累神に連れていかれたのは都の餐館だった。
餐館も大衆食堂も食事を取るところだが、客層がまるで違う。提供される食の質も違えば、価格も雲泥の差だ。妙が都で占い師をしていた頃は、時々旨そうなにおいを嗅ぎに通りかかるくらいで、立ち寄るなど夢のまた夢だった。
「取引先と商談があってね。あんたは気にせず、食ってるだけでいい」
円卓に続々と豪華な料理が運ばれてきた。海老チリに酢豚、回鍋肉、家鴨のまる焼きに焼売、海鮮粥と扁肉燕。大きな卓を埋めつくすご馳走の山を眺めて、妙が心のなかで歓喜の声をあげる。
(すごい……禍転じて福となすって言うけど、こういうことだったのか)
どれも死ぬまでに一度、食べられるかどうかといった豪華な品々だ。今、腹いっぱいに食べなければ、後生の後悔になるとばかりにがつがつと食べ進める。さすがは明蝦だ。からりと揚がった海老の尾にまで旨みがある。幸せをかみ締めながら、妙はちらりと累神の方を覗った。
累神と喋っているのは、みるからに裕福そうな豪商の男だった。高値そうな織の帯にでっぷりとつきだした腹が乗っている。古狸みたいだなと妙は思った。
「累神様の着想は実に素晴らしかったです。実在の女の姿絵に商品である口紅を塗り、都の各処に張りだす――広告の効果は絶大で、紅はとぶように売れました」
「それなのに、後宮ではいまひとつ、売上が振るわなかったと。そういうことだな」
ふたりとも食事には箸もつけず、商談を続けている。
(もったいないな)
富を振りかざすため、敢えて食べもしない量の料理をならべさせているのだ。これは責任をもって、残さず食べなければ、と妙は意気ごむ。
「はは、すでに御耳に届いていましたか。左様です」
豪商はおおげさに眉を垂らした。
「後宮は今、小都といわれるほどの規模になっています。新たな市場としてこれほど素晴らしいところはありません。新たな策を打ちだしたいところなのですが」
「都のやりかたでは、華やかな物品に飽いた妃嬪がたには通じない、か」
「左様です。もっとも、わが朱雀商幇の練り紅は最高の品物です。一度でもつかっていただければ、妃嬪がたにも良さがご理解いただけるはずなのですが……だからこそ、宣伝が重要なのです」
妙は焼売を頬張りながら、思いだす。
そういえば、後宮の大通でそんな宣伝掛け軸をみたことがある。
麗しい女の姿絵を飾る、艶やかな紅。
妙でも印象に残っているくらいなのだから、効果がなかったわけではないだろうが、立ちどまって眺めている妃妾は誰もいなかった。
「階級の高い妃嬪がつかっているとなれば、話題になるのではないかとおもうのですが。如何せん、私には後宮に踏みこむことはできませんので。累神様から後宮の妃嬪に御声掛けして、絵姿を描かせていただくことはできますかな」
「女の絵師ならば、後宮に入ることも可能だろうが……」
第一皇子である累神が商売に係わっているというのは意外だった。商談をする累神の瞳は真剣だ。だが、まわりは道楽とみるだろう。累神が放蕩者と謗られるのには、こういうこともあったのか。
「それにしても」
豪商が妙に視線をむけた。
「貴公が姑娘が連れてくるとは意外でした。ずいぶんと食欲の旺盛な小姐さんですが、彼女が……その、前に仰っていた」
「ああ、これでご理解いただけるだろうとおもってね。あなたのところの御令嬢は素敵な御方だが」
茹で海老の殻を剥く指をとめ、妙が頭を傾げた。
(ん?)
話題が不穏なほうに移っている。不穏というか。
(こいつ、まさか)
累神は穏やかに微笑する。
嘘をついている素振りひとつなく、彼はとんでもない言葉を続けた。
「俺は、彼女を愛しているので」
からんと箸が落ちた。ほうけたように口をあけた妙が箸を取り落としたのだ。
(縁談を断るために私を連れてきたのか!)