2‐1女官占い師、大凶の日
大好評につき、連載再開が早まりました!
ここから第二部が始まります。引き続き、お読みいただければ幸いです。
やること、なすこと、うまくいかない時というものがある。
占いでいうところの大凶、というやつだ。
女官占い師である妙には神も仏も憑いてはいないが、今日にかぎっては運もツイていなかった。
発端は昼の賄いが妙の取り分だけなかったことだ。しかたなく最寄りの定食屋にいったら、いつもはガラガラなのに、長蛇の列ができていた。根気強くならんで、昼ご飯にありつけるとおもったところで完売してしまった。よそにいっても昼やすみが終わるまでに間にあわない。諦めて帰ることになった。
腹ペコで仕事を終え、今度こそご飯を食べようと屋台で包子を購入したその時だ。凶暴な鶏が襲いかかってきた。包子だけは奪われまいと逃げまわっていたら、誤って橋から転落――今にいたる。
幸いにも水は浅かったが、頭までずぶ濡れになった。慌てて紙袋に入っていた包子を確かめる。つぶれて、べっちょべっちょだ。
ああ、また食べ損ねたと、妙は肩を落とす。
「なにしてるんだ、あんた」
後ろから声を掛けられる。
振りむけば、累神が橋から覗きこんでいた。
「いやあ、にゃはは、橋から落ちちゃいまして。だいじょうぶですよ」
「だいじょうぶじゃないだろ」
照れ隠しに笑ってみせれば、累神は盛大にため息をつき、腕を差し延べてきた。
「ほら、つかまれ」
「ひとりであがれますよ」
「無理だろ」
「階段までまわれば、なんとか」
そうはいったものの、階段までは遠かった。おとなしく、累神にひきあげてもらった。橋にあがったが、髪からも服からも雫が垂れ続けている。
「そんなずぶ濡れの格好でいたら、風邪ひくぞ」
「でも、私、風邪ひいたことないんで」
「いいから、ついてこいよ」
累神に腕をつかまれ、なかば強引に連れていかれる。
夕がたの後宮の大通は混雑していた。溢れかえる雑踏のなかでも紅の髪をなびかせた累神はまわりの視線を集める。妃嬪たちが湧きたつように声をあげて振りかえった。累神が濡れねずみのような女官を連れていると想われるのが恥ずかしくて、妙は彼の腕を振りほどこうとしたが、思いのほか強く腕を握られていて、無理だった。
人通りの絶えた路地に差し掛かり、妙は安堵する。
質素な殿舎があった。軒からは吊燈篭がさがっているが、火は燈されていない。廃宮かとおもったが、累神は妙を連れて、殿舎にあがる。
やけにがらんとした宮だ。調度は最低限で、花などが飾られている様子もない。
「ここ、誰の宮ですか?」
「俺の宮だけど?」
想像だにしていなかった言葉に妙は瞳を見張る。
都では第一皇子は後宮に通いづめだと噂されていた。だから宮廷から渡ってきているのだと想っていたが、後宮で暮らしていたとは。
妙が呆気に取られているうちに累神がいなくなる。暫くして彼は湯桶と布、乾いた服を持ってきた。
「これに着替えてくれ」
「ええっ、そんなわるいですよ……くしゅっ」
移動しているうちに大分と乾いたが、確かに寒い。累神の言葉に甘える。着替えているあいだ、累神は別の房室にいってしまった。女官の制服とは比べ物にならない高級な絹の襦裙だ。些か緊張して、袖を通す。
「終わったか?」
着替えを終えた妙が「はい」というと、累神は暖かい茶の乗った盆を運んできた。
「わ、ありがとうございます」
それにしても、女官のいる様子がない。
妙の思考を察したのか、累神が言った。
「女官はつけていない。ふつうに暮らすだけだったら、俺ひとりでもできるからな」
「え、じゃあ、これも累神が淹れてくださったんですか」
皇子がみずから茶を淹れるなんて聞いたこともない。
「訓練した女官が淹れている物と違って、味が落ちるかもしれないが」
「そんなことないです」
茶は渋くなく、かといって薄くもなく、絶妙に淹れられていた。
「命婦でもここまで茶を淹れられるひとはめずらしいです。今度教えてくださいよ。私は毎度、茶の淹れかたがへただと先輩に叱られてばかりなので」
素直に感想をいうと、累神は嬉しそうに瞳の端を緩めた。
「よかった。母様によく淹れていたから、な」
累神の母親ということは、今は亡き皇后だ。累神は正室の第一子。やんどころない身分なのに、彼は廃嫡だという。皇子は幼いうちは母親と一緒に後宮で暮らすものだが、成人した後は宮廷にあがるのが常識だ。いまだに宮廷ではなく、後宮に身をおいているのも廃嫡のためか。
(考えてみたら、累神様のこと、なんにも知らないな)
だからといって、あらたまって身の上を尋ねるような関係でもないと妙は考えなおす。
茶を飲むうちに腹の底から温まってきた。
「何から何まで、すみません」
「たいしたことをしたつもりはないが……ああ、そうだ。借りをつくりたくないんだったら、ちょっとばかり、つきあってくれないか」
いやな予感がする。累神に誘われるときは大抵が物騒なことだ。
「また、事件じゃないですよね。今度は鼻がそがれた死体がでたとかだったら、謹んでご遠慮したいんですけど」
「事件は関係ないから、安心してくれ。いまから都に用事があってな。連れあいが必要なんだよ。一緒にきてくれないか」
「都? 私は女官なので、後宮を離れることはできないんですけど」
妃妾は帝族が連れだす時にかぎり、出掛けられるが、後宮に入った女官は任期が空けるか、つかえている妃から許しをもらい申請しないと後宮の外にはいけない、はずだ。
だが、累神は笑った。
「そのための服だろ」
襦裙姿ならば、女官だとばれることはないと。
いくら第一皇子とはいえ、かんたんに規則を破っていいのだろうか。妙がなにか言いかけるまでもなく、朝からなにも食べていなかった腹がぐううと鳴った。累神がここぞとばかりに口の端を持ちあげる。
「旨い飯をたらふく食わせてやるからさ」