17 飯うまと認知バイアスによる心理分析
飯テロ×いよいよ推理が始まります
人気の拉麺屋だけあって宦官や女官で賑わい、ずいぶんと混んでいたが、拉麺はすぐに運ばれてきた。鰻と豚骨、鶏がらを基としたあっさりとしていながら旨みのある清湯に細麺、細かくきざまれた葱に小海老が散らされていた。熱々のうちにいっきに啜りあげる。銀糸を想わせる細い麺にだしが絡み、口のなかで踊りだす。
「うっまああああぁ、にはぁ」
瞳を潤ませて、妙は歓喜の声をあげる。
「ほんと、旨そうに食うな、あんた」
「いやあ、絶品ですからねえ。都にはここまでうまい拉麺屋はありませんよ」
これは銀糸麺という拉麺だ。質素にみえるが、究極の麺というだけあって、底のない旨みがとけていた。
「めっちゃおいしかったです、ああ、お腹がくちたあ」
拉麺を食べ終え、妙は声を落として本題に移る。
「あ、そうそう――朝蘭嬪は嘘をついていますよ」
「朝蘭嬪が?」
「事件の証言にいくつか、嘘があります」
最も疑わしいのは昼椿だが、彼が姐を殺したのだとすれば、朝蘭嬪が嘘をつくのは理にかなわなかった。
「朝蘭嬪は侵入者は男だと言いきっていますが、……どうにも疑わしいんですよね。息遣いで男だとわかったと証言していましたが、眼を斬られた直後、息遣いにまで意識をはらえるでしょうか。私は無理ですね」
そして彼女が昼椿をかばっているのだとしたら、敢えて侵入者は男だという理由もないのだ。朝蘭嬪が実は姐を憎んでいて、昼椿と共謀して姐を殺したという線はなくなる。
「だが、彼女は事件の被害者だろう。なぜ、嘘をつく必要があるんだ」
「朝蘭嬪は紛れもなく被害者です。ですが加害者ではないという証拠もありません」
「どういうことだ」
累神が訳がわからないとばかりに眉根を寄せた。
「被害者は加害者ではない。という想いこみほど、危険なものはありません。人の認知は、かんたんにゆがむんですから。特に哀れみは認知をゆがませる最たるものです」
「認知はゆがむ、ね。それも心理か?」
「認知のゆがみというのは多様にありますが、この例だと……そうですね、貧しそうな姑娘と裕福そうな姑娘がいるときに物が盗まれたとしたら、まずは貧しそうな姑娘が疑われるじゃないですか。ほんとに貧しいかはわからなくとも」
認知とは狭い枠組みのなかでおこなわれるものだ。
「印象というと、まあ割と聴こえはいいですが、実際のところ人は想いこみのなかで他者を振り分けているところがあるわけです。華やかな服をきているひとは遊び好きだろうとか、おしとやかだから家庭的に違いないとか」
先程だって、そうだ。夕莎は致命傷を負いながら、妹のために最後の力を振りしぼって助けを呼びにいったと噂されていた。実際は妹をおいて、逃げようとしただけだったかもしれないのに。
そもそもですね、と妙が続けた。
「なんで、瞳を潰されたのかが解からないんですよ。殺すつもりだったら喉を斬るなり、胸を刺すなりすればいいのに。そっちのほうが確実です。あるいは瑕物にしたいのなら、頬とか額とか、他にも狙えるところはあるわけです」
どうしても瞳を傷つけなければならないわけが、あったのだろうか。
「瞳か。……確か、華 朝蘭は綺麗な青い瞳をしていたな。先帝は彼女の青い瞳に惚れこんで、嬪にしたそうだ。北部の民族の特徴なんだとか」
先程すれ違った昼椿の瞳も青かった。
「そういえば……知っていますか? 寒い地域にすむ民族って、雪を表す言葉だけでも二百通りほど使いわけているそうです。都では、雪は雪だっていうのに」
「へえ」
脈絡のない薀蓄だったが、累神は妙の真意を察したらしく理知に富んだ瞳を細めた。
「俺たちは一緒くたに青い瞳といっているが、同族からすれば違いがあるんじゃないかということか?」
「察しがいいですね」
認知や認識とは、親しんでいるものにたいしては細分されるものだ。
昼椿の瞳は緑がかった碧だった。寒さのなかでも青々と繁っている椿の葉を想わせる。朝蘭嬪の瞳は瑠璃を砕いて、融かしたような群青だった。
姐である夕莎はどうだったか。
想いだせない。
彼女は絶えずうつむいて、朝蘭嬪の背後に控えていた。声を聴いたこともあったか、なかったか。華やいだ嬪にたいして、華のない女官――まさに鴛鴦のつがいだ。なにかひとつが違えば、その違いは強く印象に残るが、全部が違うときにひとつひとつの違いに意識をむけることは難しいものだ。
(ん、全部が違う……疑うべきはここじゃないか?)
鴛鴦を想う。似ても似つかないといっても、鴛鴦の雄も雌もかたちは一緒だ。どちらかが鶴みたいに脚が細く首が伸びているわけでも、雀ほどまるっこくて小さいわけでもないのだ。色が違えば、印象が異なるだけで。
姐妹はちっとも似ていない――
前提からして疑うべきだったのだ。
些細な言葉のすれ違い、証言に織りまぜられた嘘、無意識のうちに滲みだす魄、ばらばらだった糸を縒りあつめて、真実を糾っていく。
「わかったのか」
「はい」
瞳を鏡のようにきらめかせて、妙が曇りのない声をあげた。
「事のウラが視えましたよ」