4‐24ふたつの星は結ばれる
「――――妙をかえせ」
男の腕が、斬りとばされた。屋頂から飛び降りてきた男の、燃えるような髪が血しぶきとともに拡がる。
絶叫する男を斬り、累神は強く妙を抱き寄せた。
「もうだいじょうぶだ、怖かったな」
「累神、様」
「あんたのことは命にかえても俺が衛る」
安堵したのがさきか、いっきに震えがきた。
妙は今さらになって湧きあがってきた恐怖に声もだせず、累神にしがみつく。累神はそんな妙を抱き締めかえして、紅の外掛を羽織らせた。
「なんだよ、てめえ邪魔しやがって」
「兄貴を斬るなんて、許せねぇ」
薬で昂揚している男たちは累神が皇帝だとも知らずに怒りだす。斬りかかってきた男たちを、累神はよどみなく斬りふせた。決着は一瞬。予想外の事態に青ざめている織姫を睨んで、累神は糾弾する。
「後宮に男。しかも皇帝つきの占い師を襲わせるとはな」
「ご、ご慈悲を」
窮した織姫は跪き、涙をこぼして頭をさげた。
「こ、皇帝陛下は内通者をも寛大に許されたとか。どうかその仁愛あふれる御心を持って、哀れな女をお許しください」
「慈悲はすでにかけた。巫丞とともに巫官全員を死刑に処すこともできたんだからな」
それが慈悲だと語る累神は、冷酷な眼をしていた。妙ですら竦むほどの凄みがある。
「宮廷のものたちを含め、民は宮廷巫官の占星に依存してきた。神というものがあったから、民心が乱れずに済んだ時もあっただろう。だから慈悲をかけた。だが、その結果がこれだ」
星の眼をごうと燃やして、累神は織姫に剣をむけた。
「俺の愛する女を傷つけようとした罪は重い」
累神が織姫を斬ろうとする。
殺意にあふれた彼の眼は言葉にできない危うさがあった。だめだ、累神様にこれいじょう命を奪わせるべきじゃない――妙は咄嗟に累神に抱きついた。
「やめましょう、あなたが斬るだけの価値もありません」
累神は薬で錯乱した男たちを斬ったが、命までは奪っていなかった。腕を斬られたものはそうとうな重傷だが、治療すれば助かるだろう。彼が息の根を絶つのは錦珠だけで充分だ。
「裁くならば、公の場で死刑に処するべきです」
「……そうだな」
累神はため息をつき、剣を収めた。
織姫は死の恐怖にたえかねたのか、気絶する。累神はすぐに捕吏を呼び、織姫や男たちを投獄させた。
静まりかえった路地裏に風が吹き、血臭を吹きとばすように梅の香が漂ってきた。きもちが落ちついた妙は累神の背に声を掛ける。
「あの、累神様」
尋ねるべきじゃない。なにごともなかったように振る舞うべきだと頭ではわかってはいるのに、言葉がとまらなかった。
「さっきの、愛するっていうのは」
妹というか、親愛というか、そういうことですよねと続けかけたところで、累神が振りかえる。真剣な。それでいて、熱を帯びた眼差しをむけられて、妙は言葉の続きを紡げなくなった。
累神は一瞬だけためらってから、結びかけた唇をほどいた。
「俺は皇帝だ。俺の言葉は命令になりかねない。だから、言えなかった。俺は錦珠みたいにたいせつなひとを縛りつけるようなことはしたくない」
「累神様と錦珠は違いますよ。累神様はちゃんと、他人の心が解るひとです」
だが累神は苦々しく頭を振る。
「いいや、あいつは……俺の選ばなかった選択肢のひとつだ。俺だって、ああなったかもしれない。そうおもうと」
累神は最後まで言葉にはせず、息をついた。
風が渡る。舞いあがる梅の葩が黄昏を映して、燃える。さながら火の残滓だ。累神の表情は逆光になって妙からは覗えなかった。
「易妙、あんたに伝えたかったことがある、聴いてくれるか?」
鼓動が強く脈を打つ。胸が破れそうなほどだ。妙は頬をまっかにして、慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってください。ま、まだ心の準備が」
「ふっ……いいや、待たない」
累神は微笑をこぼして優雅に跪く。戸惑っている妙の手をひき寄せ、彼は視線を絡めて囁きかけてきた。
「易妙、あなたを皇后として迎えたい」
妙が眼を見張り、唇をふるわせる。おどろきすぎて、なかなか声がでてこなかった。
妃ならばまだ、わかる。あれは妾のようなものでどれだけいてもおかしくはないからだ。
だが累神は皇后と言った。
皇后に迎えられるのはひとりだけで、ふつうは皇帝にふさわしい身分のものから選ぶ。
「わ、私、女官ですよ」
「知ってる」
「平民です、なんなら貧民寄りです」
「まあ、少なくとも士族ではないな」
「ぜんぜん、きれいじゃないですよ?」
「可愛いだろ」
「かわっ、……く、食いしん坊なんですよ!?」
「わかってるよ」
「私、私……」
累神は妙の指さきに接吻を落として、微笑みかける。
「俺はそんなあんたじゃないとだめなんだ」
運命とは奇なるものだ。
ひとは産まれたその時に運命という星の海に投げだされ、抗えない波に揺られながら、漂流するほかにない。だが、その星の海のなかで、いかなる星をつかむのかはそれぞれに委ねられている。
苛酷な運命のなかで、累神は神サマを捨てて、妙という星をつかんだ。
「私」
今度は妙が選ぶ番だ。
「母さんも父さんもいなくなって、姐さんまでいなくなって――私って要らないのかなと想っていたことがあったんです。だから私は、私を必要としてくれるひとに逢いたかった。ずっと捜していたんです、そんなひとを」
累神の眼をみて、微笑む。
「私が捜していたのは累神様だったんですね」
累神は立ちあがり、妙の腕をつかんで抱き寄せた。妙もまた、彼の愛にこたえるように累神の項へと腕をまわす。
「……かならず、幸せにする」
「だったら、累神様のことは私がいっぱい幸せにしますね。それで一緒に幸せになっちゃいましょう」
「……ほんと、あんたにはかなわないな」
累神は愛しくてたまらないとばかりに苦笑する。
「そうだよ、俺を幸せにできるのはあんただけだ」
梅の花が乱舞するなか、累神が妙の唇に接吻を落とした。
触れ、重ねあうだけの接吻。累神の愛が、燃えて融けそうな唇から拡がり、妙は眼をとじた。重ねた瞼の裏には燃える星。
彼女の愛する黄金の星だ。
だからこれからは暗がりに惑うことはないだろう。どんな星の廻りだろうと越えていける、互いの星だけを道標にして。
…………
命累紳はのちに破星皇帝と称えられるようになる。
度々禍の星の廻りを打ち破り、国を窮地から救い続けた賢帝として。
その側には星の神の声を聴き、託宣をくだす皇后がいた。
だがその皇后が、霊妙なる神通者ではなく、人の心理を読む占い師であったことを知るものはいない。
「後宮の女官占い師」を最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
これにてひとまずは完結となります。
皆様にご愛読いただき、書籍化という夢を果たすこともできて、とてもとても幸せでした。ですがまだまだ妙と累神の物語は何処かで続いていきます。星の巡りによってはまた、皆様に続きをお読みいただける時もくるかもしれません。
「面白かった!」とおもってくださった読者様がいらっしゃれば、お星さまをおきもちだけ投げていただければ新作、あるいは続編(番外編?)などを書くモチベーションがぐぐっとアップいたします。もしかしたらSS等を投稿するかもしれないので、ブクマは外さずにいただければ助かります泣
重ね重ねになりますが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。