11「俺はあんたが欲しい」
「それで? どうするんですか。神を騙った罪で私を捕まえますか?」
「――まさか」
累神が嗤った。
妙が瞳を見張るほど、凄絶に。
「奇遇だな。俺も神とやらは信じていないもんでね」
なのに、綺麗だ。ひと握りの嘘もない、魂からの嗤いだった。彼は終始、微笑を張りつけていたが、妙はこの時はじめて、この男の笑顔をみたとおもった。
「易 妙だったか」
累神が妙にむかって、腕を差しだす。
「俺と組まないか。俺は、あんたが欲しい」
誰かに必要とされたことのなかった妙は一瞬だけ、息を張りつめた。だが無意識の昂揚を、理性が律する。
第一皇子がなぜ、彼女を欲しがるのか。
愚者だというのがただの噂にすぎないことは、すでに妙にはわかっている。
彼は明敏な男だ。必要とするには、必要するなりのわけがあるはずだ。
「それって、一年前に皇帝が崩御なさった事と関係していますか」
皇帝は昨年、桜が散るとともに命を落とした。
以降、星は約一年に渡って、空位期が続いている。現在は朋党が実質の政権を握って地域の権力闘争を抑制しているので、権力の真空という事態は免れていた。夏には、第二皇子が皇帝になるだろうといわれていたが、まだ公表されたわけではない。
「敏いな、あんた」
眸子のなかで黄金の星が燃える。
「ますます欲しくなった」
ぞくりと身が竦み、妙が無意識に退いた。
狼に睨まれた猫のような心地だ。
(この男、皇帝の倚子を狙っているのか)
彼は第一皇子だ。皇帝になりたいと望むのは自然な事である。だが、なぜか違和を感じた。彼がなにを望んでいるのか、予期できない。
(どっちにしても、だ)
皇帝の問題などに係わりたくなかった。
「私は卑しい占い師もどきでして、皇子様の御役にたてるようなことはなあんにもできませんから」
いそいそと帰ろうとする。だが逃がしてもらえるはずもなく、累神が壁を蹴って、退路を塞いだ。累神は間髪いれずに喋りだす。
「嬪が男に寝こみを襲われて、眼を斬られるという事件があった。九日前の中夜(*夜十時から二時)だ。悲鳴を聴きつけた女官が嬪を助けようと侵入者に立ちむかったが、彼女も眼を抉られ、殺害された」
「物騒! やだやだ、聞きたくないですって!」
「殺人犯の男はいまだに捕まっていない。このあたりをうろついているかもしれないな」
「さらっと刑部の官吏の職務怠慢じゃないですか」
累神がなぜ、いきなり事件の話題を振ってきたのか、解かってしまうから、よけいに妙はぶんぶんと頭を振った。
「この異常な事件、あんただったら、どう解く」
「……」
妙が黙る。累神も黙った。
重みのある沈黙に堪えかね、妙は言葉を絞りだす。
「それだけだと、なんとも。夜間の房室に侵入できる男ということは、宦官か衛官か、嬪の宮で勤務しているものという線が……って、私には関係ありませんから」
「へえ、残念だな」
累神が意地悪く双眸をすがめた。
「宮廷の包子は食べたくないのか」
「うっ」
「蒸したてふわふわの生地から、最高級の黒豚の脂がじゅわりと溢れだして海老やら筍やらと絡みあい、それはそれは旨いそうなんだが」
「………………なにをすればいいんですか」
食欲に敗けた。さきほども一時の欲に敗けたものの最後をみたばかりだったのに。
「心理をつかって、調査してくれ。襲われた嬪は華 朝蘭という」
「え、朝蘭嬪ですか?」
朝蘭嬪といえば、例の常連客ではないか。めっきり訪れなくなったとおもってはいたのだが、まさか、事件に巻きこまれていたとは。
「なんだ、知りあいだったのか」
「常連です。ということは、殺されたのは」
「華 夕莎だ。朝蘭嬪の実の姐だとか」
「やっぱり! 後宮の鴛鴦がこんなことになるなんて」
累神はその噂を知らなかったのか、瞬きする。
「鴛鴦?」
「あ、ええっと、ご存知ないならだいじょうぶです。女の姦しい噂ですから」
女には得てして、男には聴かせたくない噂のひとつやふたつあるものだ。花の棘というには細やかな。
他愛のない悪意がひと匙、まざった噂が。