4‐23累神皇帝のご寵愛
性的加害の描写があります、ご注意ください。
はらはらと梅がこぼれる。
窓の外は華やかな春の景だというのに、累神は皇帝の几に頬づえをついてため息をついていた。
最高級の紫檀で造られた几は敏腕の絵師に描かせたであろう娘の姿絵で埋めつくされている。累神の妃候補だ。
累神はこの頃、宰相たちから「そろそろ皇后か、皇妃をお迎えになられるべきです」とせっつかれていた。累神がいつまでも皇后を迎えないから、宮廷巫官にあのような条件をだされるのだと宰相たちは考えたらしい。累神は「星がもっと落ちつくまで婚姻を考えるつもりはない」と拒絶したが、彼も二十五歳だ。皇后はともかく、皇妃くらいは迎えるべきだと思われるのも致しかたない。
頭では解ってはいるのだ。だが、まったく気が進まない。
「はあ……」
先程からため息をつきすぎて、房室のなかには青い息が充満しているように感じる。雲と玄嵐が視線をかわし、頭を振る。
「皇帝陛下、易妙は女官ですが、皇妃にならば据えることができるかとおもいます」
きもちを落ちつかせるために茶を飲みかけていた累神が盛大に噎せた。
「っ……な、なんで、妙がでてくるんだ」
「累神皇帝がご寵愛なさっているからです」
「みていたらわかります。というか、まさか、無意識だったりはしませんよね?」
側近ふたりにとうぜんだとばかりにあきれられた。
妙にたいしてはあくまでも皇帝お抱えの占い師として信頼しているという態度で徹していたつもりが、側近にすらばればれだったことに累神は頭を抱える。
「なぜ、彼女を皇妃にお迎えにならないのですか?」
累神はしばらく黙っていたが、やがてぽつりとこぼす。
「妙は皇帝に嫁ぐことなんて望まないはずだ。身分を持てば、そこに縛られることになる。俺は彼女を、縛りたくはない」
それとなく妃になりたいとはおもわないかと尋ねてみたことがあったが、妙は「女官のままで、時々おいしいものを食べるのがいちばん幸せです」と屈託なく笑っていた。あの笑顔を壊したくなかった。
「畏れながら、縛るのではなく衛ることです」
雲が進言する。
「妙様はすでに陛下が衛らなければならない御立場になっています」
累神は唇をかみ締め、黙って思考を廻らせる。
「……ちょっと、後宮まで出掛けてくる」
それだけいって、累神は冕を外して椅子をたつ。
雲も玄嵐も表情をやわらげ、累神の背を微笑ましげに見送った。誰に逢いにいくのか、わかっているからだ。
易妙。彼女が彼らの皇帝にとって、なくてはならない娘であることもまた。
◇
梅が咲き、後宮はいっきに春の賑わいをみせていた。
「人生は福あれば厄もあり」
賑やかな小都の街角で、妙は相も変わらず占い師をしていた。巫丞の処刑を経て、易妙がいかさまだという疑惑(実は真実なのだが)はすっかりと晴れて、妃妾たちが競うように列をなしている。
「妙様の易占はやはり、素晴らしいですわ」
「私は信じておりましたのよ。妙様は狐憑きでも、化け猫憑きでもないって」
噂ひとつでこれだけ態度が変わるとはあきれたものだが、それが心理というものなので、妙は「今後ともごひいきに」と微笑みかえす。
累神皇帝の指揮のもとに宮廷は変わりつつある。後宮も緩やかに変わっていくのだろうか。
舞い散る梅を眺めながら、妙は微笑をこぼす。
(でも、きっと、よい風が吹くに違いない。だって、その風を吹かせるのは累神様なんだから)
…………
「ふふふっ、月餅もらっちゃった。後でゆっくりと食べよう」
占い師商売を終えて、月餅を手に黄昏の帰り道を歩いていた妙だったが、いきなり路地裏から伸びてきた腕にはがい締めにされて、物陰にひきずりこまれた。
「っ」
月餅が、路上に落ちる。
「こいつか」
「どうせだったら、もっと良い妃だったらよかったが、まあ、織姫様の頼みだからしょうがねえよな」
後宮にいるはずのない男たちにかこまれ、妙は身を竦ませた。武官だろうか。八人とも屈強な男ばかりで、明らかに宦官ではない。
「た、助け……むぐっ」
通りに助けをもとめようとしたが、口を塞がれてしまった。
懸命に抵抗したが、ひきずられて砂だらけの地に組みふせられる。いつのまにか表通りは遠ざかり、こんな路地の奥まで連れこまれてしまっては助けをもとめても、誰にも聴こえない。
「おもいきり、酷くしてちょうだいね? 皇帝が亡骸をみることもできないくらいに」
悪意に満ちた声が聴こえた。無理やりにからだをひねって視線をあげれば、完璧な化粧を施した織姫が怨嗟に眼をぎらつかせていた。
「皇帝は私のものになるはずだったのよ。皇后にふさわしいのはわたくしなの。それなのに、おまえがいたせいで、わたくしが手にするはずの幸福を根こそぎ奪われた。お母様まで死刑に処されて――おまえさえいなければっ」
完璧な逆怨みだ。
累神を怨むのならばまだしも、なぜ妙に怨嗟をむけるのか。理解できない。累神つきの占い師だからか?
「皇帝を絶望させたいからよ」
妙の戸惑いを察したのか、織姫は嗤った。
「愛する姑娘が凌辱されて死んだら皇帝はどんな顔をするかしら。楽しみだわ。あの男、皇帝の役割もなにもかも投げだして死ぬんじゃない? 死ねよ」
剝きだしの怨嗟をむけられて、妙はぞっと総毛だつ。
妙が死んだら――――累神はどうなるのだろうか。想像がつかなかった。彼ならば、妙がいなくなっても。
(いや、あのひとはたぶん)
だめになってしまうだろう。
愛かどうかは解らない。けれど星辰が死に、錦珠の息の根をとめ、妙までもが酷い殺されかたをしたら、累神は壊れる。
彼はそういうひとだ。
男たちに服を破られる。口を塞ぐ指のあいだから、妙が懸命に声を絞りだした。
「死刑になりますよ!」
男の身で後宮に侵入したというだけでも重罪だ。織姫がどれだけの報酬を渡しているのかは知らないが、どう考えても割にあわない。
「うっせえな、ばれなきゃいんだよ」
「捕吏なんか怖くねぇよ、俺は最強だからな」
瞳孔がひらいた男たちの眼を覗いて、妙は異様だと感じる。
(これ、みたことがある)
都の裏町にも時々いた。危険な薬をやって、錯乱しているものが。
そういうものたちは大抵欲を抑えることができず、後先を考えずに貴族を殴ったり女を襲ったりして死刑になっていた。
「薬かっ」
妙が咄嗟に叫んだ。男たちはへらへらと嗤っている。
「そうだよ、すっげえぇぇいいきぶんになれんだよ。この依頼が終わったら、またいっぱいもらえるんだ」
「ずいぶんと貧相だが、たまにはあんたみたいなのもいいかもな」
かろうじて残った絹を剥ぎとろうと男の手が伸びてきた。
妙が絶望して身を縮ませたその時だ。
声が、聴こえた。
聴きなれた声が。
「――――妙をかえせ」
お読みいただきまして、ありがとうございます。
明日18日(木)は休載とさせていただきます。
最終話は20日(金)に投稿となります。最後までお楽しみいただければ幸甚でございます。