4‐21星を喰らう蛇と疫病
「なぜ、予言通りに進まないのですか!
いらだち紛れになぎ倒された花瓶が落ちて、割れた。
巫丞は散らばった花を踏みつけて、紅の施された爪をかみ締める。
「どうなっているの。景気は好調になるばかりで、これでは累神皇帝の思うつぼではありませんか。錦珠が抱えていたあの神通者の予言が外れるはずが……まさか、あの男が嘘を教えたか……? いや、そんなはず」
宮廷巫官は連綿と皇帝を、強いてはこの星を導いてきた。祭祀や神事を執りおこなうだけではなく、皇帝の意に民が従わない時には宮廷巫官が登場し神の導きだと宣して、民を動かすこともあった。
皇帝と宮廷巫官は一蓮托生であったのだ。
だが累神皇帝は占星により禍の星とされたにもかかわらず、運命を覆して皇帝となった。あの男は神を侮っている。あのような皇帝が宮廷を統べては危険だ。
ゆえに巫丞は累神皇帝を縛り、操ろうと考えた。
「ですが、これでは操るどころか、織姫を皇后として迎えさせることも……」
視線を感じて、巫丞は振りかえる。
背後には織姫がたたずんでいた。青ざめて、震えている。
「織姫……」
「わ、わたくしは皇后になれないのですか?」
織姫はほたほたと涙をこぼす。
巫丞はたまらず、織姫を抱き締めた。
「ああ、可哀想な織姫、なにも懸念することはありませんよ。おまえはかならず、皇后になります。おまえは神の姑娘なのですから」
姑娘は神から授かった。そうでなければならない。
素姓も知れぬ男に孕まされたものであるはずがないのだ。
妙が知れば、防衛機制という心理の働きがもたらす妄想、無意識の捏造だと指摘しただろう。だが、ここにはただ、姑娘を神の授かり物だと妄信する母親と、それを疑うことを許されず育ってきた姑娘がいるだけだ。
(かくなるうえは手段など選んではいられない)
巫丞は織姫を抱き締めながら、眼差しをとがらせる。
あの男は神を敵にまわした。いまこそ、天の裁きをくださなければならないと。
◇
禍福は糾うものだとはいうが、安堵する暇もなく、またも嵐がきた。
元宵祭が終わり、春節にむけて民が動きだし、総てが順調に進んでいくかと想われたやさき、またも宮廷巫官が不穏な占星をしたのだ。
星を喰らう蛇の神の眠りが破られる。都は異境から運びこまれた疫におおわれるだろう。
これが経済崩壊にいたる序まりの禍であると。
「大変なことになった」
後宮で庭の雪かきをしていた妙のもとにやってきた累神は、息もつかずにそういった。
「宮廷巫官の占星ですよね。でも、まえだって、けっきょくは景気がよくなりましたから、今度はそれほど民が振りまわされることはないんじゃないでしょうか」
「そう、占星だけだったら、よかったんだ」
累神はため息をついて、頭を振る。
事務官署の建設現場から古ぼけた蛇の像が発掘されたのだ。人の躰に蛇の頭がついたような禍々しい木像だ。
民は震撼した。
これこそが星を喰らう蛇の神に違いない、新たな皇帝が欲にかられて貿易を拡大し、異境の物を受けいれたせいで祖神が怒っているのだと噂した。
「そればかりか、都でいっきに病が蔓延りだした。新たな疫じゃないかと誰もが恐怖している」
なるほど、実害があるとなれば、占星も現実味を帯びてくる。
「どんな症状がでるんです?」
「咳、鼻水をともなうくしゃみ、喉の腫れ、発熱……と症状そのものは感冒に似てい
て」
「……似ているっていうか、それ、感冒ですよ」
妙があきれる。
「毎年この時期になると都で感冒が蔓延るじゃないですか。それですって。祭りが想いのほか盛りあがったせいで、いっきに感染したんですよ」
累神もおおよそ察しがついていたのか「やっぱりか」とため息をついた。
「まあ、民が慌てるのも致しかたないですよ。占星で異境から運びこまれた病、なんて先入観を植えつけられちゃってますから。ほら、占いで「これからあなたは不幸に見舞われます」なんていわれたら、転んだり物が壊れただけでも「不幸になった!」と思いこんじゃうのと一緒ですよ」
なにかを思いこませるのは意外にかんたんだ。
「そうなると、なんてことない蛇の像でも神サマだと想えてきます」
「まさか、蛇の像もわざと発掘されるように埋めたのか?」
「そのとおりです。建設のために掘りかえしているところだったら、真夜中にこっそりと像を埋めておけばそうそうバレませんから」
どんな奇芸も神の奇蹟も種を明かせば、拍子抜けするほどにつまらないものだ。だからといって、宮廷巫官の嘘だと告訴するには証拠がない。
証人がいるとすれば、像を埋めたものか、あるいは像を造ったものだ。
「宮廷巫官に依頼されて、その蛇の神の像を造ったものがいるはずです。捜しだして捕まえたら、口を割るかもしれません」
「残念だが、悪事の証人となる職人を彼らが放っておくとは思えない。依頼が終わり次第、暗殺するはずだ」
「そう、だからこそです。私が職人だったら、報酬をもらったらすぐにでも逃げます。となれば、職人がむかうさきはひとつ、港です」
しかも、いまならば貨物船に潜りこむのも難しくない。密航して国外に逃亡すれば、宮廷巫官も追いかけてはこまい。
「だとしても、どの港から船に乗るかなんて」
「私が捜して参ります」
そう声をあげたのは累神の後ろに控えていた雲だった。玄嵐はいま、軍事官署の建設のために地方に出張している。
「私は馬を駈るのが得意です。港の貨物船が出航する時刻を暗記しますので、順に廻って確認して参ります。密航のために潜伏するとすれば大規模な商幇の船、しかも大陸外に渡るものです。となれば、かぎられてくるかと。私に……ご命令くださいませんか」
雲は累神を裏切り、宮廷巫官と内通した身だ。損なった信頼はそうかんたんには取り戻せない。だが、累神は眼差しをやわらげ、雲に託す。
「頼む」
雲は嬉しそうに袖を掲げ、頭をさげた。
「かならずや、累神皇帝陛下の信頼に報います」
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