4‐18処女懐胎された神の姑娘
奉常(宮廷巫官)の神殿は五稜星を模った殿舎で、その敷地に欽天監の官署と仰星塔が建てられている。宮廷祭祀を執りおこなう祭壇があるとはいえ、宮廷の約三割程の土地面積を占めることから、奉常による占星や神託がいかに重要視されてきたかがわかる。
昼でも日が差さない殿舎の耳房で、巫丞は盛大なため息をついた。
「たいへんなことをしてくれましたね」
「ご、ごめんなさい」
身を縮め、低頭しているのは織姫だ。化粧を落として額から垂れ布をさげている。
「皇帝陛下に薬を盛るなんて。幸い、宮廷巫官が関与したという証拠がなかったからよいものを、取りかえしのつかない事態になるところでしたよ」
累神は意識を取りもどしたが、薬の影響で個室に連れこまれた前後から記憶をなくしていた。宮廷巫官の陰謀だと疑ってはいるだろうが、証拠がないため訴えることもできず、まして宮廷巫官は素顔を明らかにしないため捜査も難航しているようだった。
一連の騒動は累神が御忍びで都に赴き、泥酔して凍死しかけたということで収められた。もちろん、このような皇帝の失態を民に知られるわけにはいかず、宮廷では緘口令が敷かれている。ただ、一部の側近や宮廷医は累神の様子から、酒などではなく毒を盛られたのだと推察しているはずだ。
「そのようなことをせずとも、まもなくすべてがおまえのものになりますよ。可愛い織姫」
巫丞は織姫の頭をなでる。
「ほんとうですか?」
「ええ、おまえほど皇后にふさわしいものはいません。そうなるよう、育てあげてきたのですから」
織姫は巫丞の娘だ。
父親はいない。巫丞は織姫のことを神から受胎した御子だと語り、宮廷巫官達もそれを信じ、誰もが織姫を神の姑娘として扱ってきた。織姫はその言葉にこたえるように箏から舞、詩にいたるまで完璧にこなし、母親はますます織姫を溺愛するようになった。
(私は神の姑娘なのよ)
だから、何者にも劣ってはならない。敗けてはならない。
誰からも愛され、たいせつにされるべきだ。
それなのに、あの晩、媚薬におかされた累神は彼女を占い師の小娘だとおもって欲情し、抱かなかった。
敗北だった。
それにあれは特殊な媚薬だ。意識を低下させて入神の域に誘うため、神の託宣をおろすときにつかわれることがある。織姫は度々吸った経験があり、薬には強くなっている。だが累神のようにはじめて媚薬を吸ったものは、意識を保っていることすらできないはずだ。思考を奪われ、人格まで剥ぎとられて、残るのは欲だけ。だというのに、彼は媚薬の誘惑をうち破った。
女としての敗北だ。
(あんな小娘に劣っているとでも)
後宮で香具師紛いの商売をしている易妙に逢って、織姫は「勝った」とおもった。易妙には確かに神の言葉が聴こえているのだろう、それは認める。だが特に美しい容貌をしているわけではなく、手も荒れていて、胸もない。
何処にでもいるつまらない姑娘だ。
華やかな皇帝の側にいるのに、ふさわしくなかった。
(彼にふさわしいのはわたくしだわ)
だが、累神はあろうことか、あの姑娘を選んだ。
(あんな恥をかかされて、許せるはずがないでしょう)
織姫は燃えたぎる怨嗟をしのばせて、殊勝に微笑む。
「勝手なことをして、ほんとうにごめんなさい。素晴らしい皇后となれるよう、これからも頑張ります」
母親のいうとおりだ。いまは動くべきではなかった。
現に経済は崩壊にむかっている。春節のころには皇帝も窮して「どうか、皇后になってくれ」と縋りついてくるだろう。
織姫はそれを想像して、ひそかにほくそ笑んだ。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
明日は久し振りに明るめのデート回になります。どうぞお楽しみに(*^^*)