4‐16兄弟は殺しあわなければならないという暗示
すみません、ひとつ、誤りがありました。
「累神様の臥室にあざらしの革で造られた沓が」
とありましたが「竜椅の裏にあざらしの革で造られた沓が」が正確です。
修正させていただきました。
「復讐ですよ。だって星辰様が御可哀想じゃないですか。星辰様はあれほどまでに累神陛下を慕っておられたのに、信頼していた哥に殺されるなんて」
「だからそれが誤解なんですってば。あなた、頭いいんですよね? なのに、なんであんな馬鹿げた噂を鵜呑みにしているんですか。おふたりはご哥弟で――」
「だからですよ、哥弟というのは競いあい、争いあい、殺しあうものでしょう?」
雲はさもあたりまえのように物騒なことを口にする。
聞いた話では雲は諸葛家の四男だが、長男二男三男が不幸にも早逝し、跡取りになったという。まさか。
「諸葛家では幼いころから、哥弟を倒していちばんになれと教育されます。私は成績が良く秀でていたので、哥達から妬まれて度々暗殺されそうになりました」
「あなたが、ほかの哥たちを殺したんですか」
妙は神経を張り詰めたが、雲はなぜか苦笑した。
「それは違いますよ」
雲は頭を振り、弁明する。
「私は産まれつき弱視でした。かわりに耳がよくて、遠くの声もはっきりと聴こえます。あるとき、長男から一緒に茶を飲まないかと誘われました。日頃から競いあってばかりだが、ほんとうはなかよくしたかったと。ですが長男は「茶に毒を混ぜよ」と女中に耳打ちしていました。密談を聴いてしまった私は、こっそりと哥の杯と私の杯をすり替えた。哥は私に飲ませるはずだった茶を飲み――死にました」
妙は絶句した。悲惨すぎる。
「その後、狐猟の時に馬の鐙を交換したら二男が、饅頭を入れ替えたら三男が――――ね、これは事故ですよね?」
唇の端を強張らせるように雲は微笑む。
妙はそれをみて、理解する。
(そうか。彼にとって、累神様と星辰様が睦まじい哥弟であってはならなかった。だから、累神様が星辰様を暗殺したと思いこんだのか)
実のところ、頭がよくとも想いこみというものは起きる。むしろ頭がよければよいほど矛盾を理屈でつぶして、妄想という砦を強固にしていくものだ。
なぜ、そこまでして、嘘を真実だと想いこむのか。
こたえはひとつ。嘘を信じたほうが傷つかずに済むからだ。
「あなたはずっと、星辰様を妬んでおられたんですね」
妙に指摘されて雲は息をつまらせる。
「……違います。星辰様は可哀想なひとだった。哀れむことこそしても、妬んでなどいません」
雲は喋りながらしきりに指を動かし、官服についた釦を弾いていた。
「いいえ、可哀想なのはあなたなんですよ」
妙は傷だらけになった雲の心をいたわるように続けた。
「あなたは哥たちと競いあうのがつらかった。殺されかけたことが悲しかった。ほんとうはなかよくしたかった」
「そんなことはありません、だって哥弟は争うものですから」
「そう、だからこそ、あなたは争いあうのはあたりまえだ、たいしたことではないのだと想いこもうとした」
これは虐待された児童によくある正常化の偏見という現象だ。親から殴られたり食事を抜かれたりしても、これは異常なことではなくふつうの躾なのだと思いこむことで苦痛を鈍化させ、けっして愛されていないわけではないと暗示をかける。
「そうすれば、悲しまずに済むから」
自分の心を衛るための嘘だ。
思いこみは防衛本能からなる。だが、他の子は虐待を受けていないと知ったとき、自身の認識に矛盾ができ、壊れてしまうことがある。
「結果、あなたは哥弟とは争いあうものでなければならないと考えた」
ともすれば、強迫的なまでに。
「星辰様は慕っていた累神様に暗殺された。そうでなければ、ならない。だって愛しあう哥弟なんてものがいたら、家族に絶えず殺意をむけられてきた御自身があまりにも可哀想だから――違いますか」
雲は頭を振り「違う違う」と繰りかえす。髪を掻きむしるその様は泣きだす子どもと変わらなかった。
「そもそも、単純に哥弟は殺しあうという持論だけを押し通したいのならば、星辰様は錦珠に暗殺されたという事実だけで済むことなんです。それなのに、累神様にこだわるのは妬みという私情があるからです」
「そんなこと、認めません。だって、累神陛下は現に星辰様を」
「愛していた」
妙はわずかも淀みなく告げた。
「竜椅の裏にあざらしの革で造られた沓が飾られています。星辰様の遺品です。累神様は星辰様が死んでも、変わらずに想い続けています。愛しているからです。確かめてきてはどうですか」
雲はまだ認められないのか、反論しようと唇をひらいてはとじ、だが結局は言葉に窮して背をむける。ふらつきながら、廊を遠ざかっていくその背を見つめ、妙はつぶやくように語りかけた。耳の良い彼にならば聴こえるはずだ。
「そろそろ認めていいんですよ、ほんとうはつらかったんだって」
異常な家庭環境のなかで哥弟と争いあうことを、殺されかけたことを、死なせてしまったことを、彼は――悲しんでもよかったのだ。
「そのあとでもうひとつ、認めるべきです。あなたがみずからを騙し続けるためにしたことがどれだけの民を惑わせ、累神様を窮地に陥れたのかを」
真実を認めることでしか、ひとは前に進めないのだから。
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雲のトラウマに光をあて、彼の過ちを突きつけた妙に拍手がわりに「いいね」をいただければ、とても嬉しいです。まだ物語は続きますので、宜しければ「ブクマ」をいただければ励みになります。
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