10「私、神サマってきらいなんですよ」
お待たせいたしました、心理学に基づく種明かしです!
「さきほどの女官――小紡は、倉の掃除をしていたとの証言をしているとき、しきりに鼻を触っていました」
「確かに言われてみれば。……彼女の癖かとおもったが」
まったく何処からみていたんだ。という突っこみは後にする。
「あれ、〈宥め行動〉の典型です」
聴きなれない言葉に累神が眉根を寄せた。
「嘘をついている時、人が無意識に取る動作というものがあります」
喋りながら、妙はみずからの喉をつつむように指をまわした。
「例えば、喉に触れる。これは危険を感じて、急所を隠そうとする本能からくるものです。後は額に触れる、というものもありますね。こちらは焦燥による発汗を、無意識に確かめようとしている。そして、鼻に触れる――」
ちょんと、鼻さきをつついて、妙はいった。
「人が強い緊張をおぼえたり、恐怖を感じたとき、まずはどこが動くと想いますか」
「ふつうは瞳孔だろうが、この流れだと……鼻か」
「そうです。人は恐怖、緊張、欲望などで昂奮すると、鼻腔のなかが膨張します。むずむず感をともなうので、鼻に触れずにはいられなくなるわけです」
特に感情や欲望の抑制がきかないものほど鼻に強く魄が表れる。そうしたものは、妬みの激情を強くもち、後さきを考えない。まさに小紬の人格だろう。
「自身を宥めようとする無意識の働き。だから、宥め行動です」
累神は顎に指を添え、呻った。
「……案外と」
「単純、でしょう」
妙がてのひらを開いた。
「奇芸と一緒です。種というのは明かしてしまえば、他愛のないものです。桃を割っても、嬰孩が産まれるはずはありません。なかには種があるだけ。でも、割るまではなにが詰まっているか、解からない。そういうものです」
だからこそ、組みあわせます、と彼女はいった。
「鼻に触れているだけならば、確かに癖ということもありますからね。特に事件が起こった時では誰もが緊張し、動揺していますから」
神経を張りめぐらせ、全員の視線から指さきの動きまでを確かめる。蜘蛛が網をかけて獲物の震動を感じ取るように。猫が髭で風をつかみ、天候を読むように。
人の一挙一動を拾いあげ、篩にかけるのだ。
累神が面白いとばかりに眸を細める。
「理に適っているな。だから心理、か。……だが、これを神の託宣というのは、罰あたりだとは想わないのか」
占術は神の領域だ。理窟を捏ねて、神を騙ることは、詐欺罪にあたる。
まして後宮だ。
宮廷には九卿に所属する宮廷巫官たちがいる。
彼らを冒涜したと見做されたら、死刑にもなりかねなかった。殊勝な態度でこたえるべきだと頭ではわかっているのに、どうにも妙のなかで、神にたいする拒絶感が勝った。
「私、神サマってきらいなんですよ」
妙は唇の端をゆがめ、累神を睨みあげる。
「だって、そうじゃないですか。世のなか、悪者がのさばって正直者が馬鹿をみるばかりで、神サマがいたとしてもたぶん、碌なもんじゃない」
妙の父親が助けをもとめてきた知人に騙され、全財産を奪われた時も、神様とやらはなにもしてくれなかった。残ったのは多額の借金だけ。
両親は結局、幼い子孩たちを残して失踪した。死んでしまったのか、何処かで生き延びているのか。妙にはわからない。
幼かった妙を育ててくれたのは七歳違いの姐だった。だが、そんな彼女も三年前に何処かにいってしまった。
妙は十一歳だった。それからずっと、生き残ることだけを考えてきた。
生きてさえいれば、またいつか、姐に逢えると。
だから、禍福は糾える縄の如し――偉人が綴った言葉を客寄せにつかいながら、彼女自身は禍福が等しいはずもないと考えている。
よくて禍が七割、福が三割。その程度だ。
「それで? どうするんですか。神を騙った罪で私を捕まえますか?」