1 女官占い師にはウラがある
禍福は糾える縄の如しと誰かがいった。
幸も不幸も縄を縒りあわせるように等しく巡ってくるものだから、いちいち振りまわされるなという教訓だ。
だが実際のところは不幸が七割、幸せが三割くらいの割りあいではないかと、易 妙は疑っている。
(順番に巡ってくるんだったら、苦労しないよなあ)
もっとも、愚痴っているだけでは残り三割の幸せも訪れないので、彼女は今日も今日とて大通りに筵を敷いて、占い師なんかをやっている。
女の都とも称される――ここ、後宮で。
◇
星の後宮は女の都だ。
妃嬪から下級女官までが約千五百、その子孩が二百、宦官が三百、締めて二千が暮らしているとあって、飯屋や布屋が軒を連ね、都にならぶほどの賑わいをみせていた。
日頃から人通りが絶えることのない後宮の大路ではあるが、今は取りわけその一郭が騒々しかった。
喧騒を割って、姑娘の意気軒昂とした声があがる。
「人生は福あれば厄もあり。順に等しく巡るものなれど、巡りきた福を拾うか、厄にあたるかは人それぞれ」
語呂のよい響きに都をいく妃妾たちが思わず足をとめ、振りむく。
「さあさ皆様、ちょいと寄っていかれませんか。よきことも悪きことも占いましょう」
梅が咲きならぶ通りの端に筵を敷き、香具師紛いの商いをしているのは笄年《*15歳》に達したばかりの小姑娘だった。猫の耳のように髪をふたつに結いあげている。
彼女――姓は易、名は妙という。
賑やかな声に惹かれてか、妙のまわりには人垣ができていた。胡散臭げに遠まきから覗きこむ妃妾もいれば、興味津々に身を乗りだす妃妾もいる。感興をそそられていることに違いはないが、声をかけるのはためらわれるといったかんじだ。
「むむっ、そこにおられる青い瞳が麗しい御方」
妙が女官連れの妃嬪に声をかけた。妃嬪は指名されるとは思ってもいなかったのか、青い瞳を瞬たかせた。
「私のことかしら」
「はい、左様です、貴方様です。貴方様は悩みごとを抱えておられますね。現状に不満を御持ちのはずです」
「あら、……確かにその通りだわ」
妃嬪は心を読まれていることに戸惑い、視線を彷徨わせた。
「そのことばかり考えてしまって、この頃はあまり眠っておられない、違いますか?」
「な、なんで、わかるの」
「わかりますとも」
妙は一瞬だけ、妃嬪の沓に視線をむけてから、気づかれないよう、すかさず瞼を瞑った。意識を集中して、ふるぼけた青銅の鏡に手をかざし、妙が続ける。
「ですが、貴方様の頭上には明るい星が視えます。いまの嵐を乗り越えれば、そう遠くないうちにかならずや、福が舞い降りることでしょう。ああ、ただ……ひとつ」
言葉をきってから、妙が微かに声を落としていった。
「御足もとには、どうか、御気をつけください」
何処となく凄みのある言葉に気圧されて、妃嬪がごくりと唾をのむ。
だが、道端の占い師ごときの助言を鵜呑みにするのは恥だとおもったのか、すぐに気を取りなおしていった。
「まあ、程々に参考にさせてもらうわ。占いなんか所詮、あたるも八卦、あたらぬも八卦だもの」
女官を連れて、そそくさと帰りかけた嬪だったが、事もあろうに轍のぬかるみに足を取られた。滑って、強かに腰をうちつける。盛大な転びっぷりだった。
取りかこんでいた妃妾たちが声をあげる。
「占い通りだわ」
「こんなにすぐにあたるなんて」
泥だらけになった妃嬪はよほどに恥ずかしかったのか、頬を紅潮させ、瑠璃の瞳を潤ませた。助けおこしてくれた女官になぐさめられながら、とぼとぼと今度こそ帰っていった。
湧きたつ観客を眺めまわして、妙がここぞと声を張りあげる。
「さあさ、委しく運勢を知りたい御方はならんでください。御代は食べものひとつで結構です。饅頭でも包子でも、ご持参いただければ」
「私も視てちょうだい」
「わたくしの運勢も教えて」
妃妾がいっせいに群がりだす。妙は順番に運勢を視て、助言をかけていく。
「ふむ、他人に好かれたいという願望がおありのようですね。ですが、ちょっとばかり頑張りすぎているのでは。あせらずとも、貴方様の頑張りをみている御方はいますよ」
「まあ、お恥ずかしい。なんで、わかるのかしら」
「日頃から機織りをなさっておいでなのですね。励んでおられるのはよいことですが、自身が想っておられるより疲れが溜まっているようです。どうかご無理はなさらずに」
「実は機織りがいそがしくて、徹夜続きでした。そんなことまでわかってしまうの?」
なにからなにまで言いあてられて、妃妾が瞳を輝かせる。
「なんでもわかりますよ。私には、神も祖霊もわんさかと憑いているもので」
「まあ、わんさかと……なんてすごいのかしら」
いっておいて、わんさかはないだろうと妙はおもったのだが、妃妾は素直に感動している。
占術とは神託である。
神や祖霊の神妙なる御力を借りて、運命を先読みしたり、他人の心のうちを見破るものだ。理窟のあるものではないし、理窟があっては、ならない。
だが、妙が語るそれには――裏があった。
(妃嬪はずいぶんと真新しい厚底の沓を履いていた。今朝がた雨があがったばかりでぬかるんでいるのに、慣れない沓を履いてたら、いつかは転ぶか、沓擦れを起こすにきまっている。それに彼女は諸々を言いあてられてあせっていた。あせりがあるときは、転びやすい。ちょっと考えたらわかることだ。別に神なんか憑いてなくても)
正午を報せる時鐘が響きだす。
行列はまだ続いていたが、妙はぽんと手を打ち、頭をさげた。
「皆様、御後はまたの機会に占わせていただきます。福きたりなば、諸手をあげて喜んで。厄はまあ、御気になさらず。よき星の廻りがありますように」
妙は筵を片づけ、青銅の鏡を風呂敷につつむ。
(ほんとはこれ、錆びついた鍋の蓋なんだけどね)
道端から拾ってきたがらくたでも、占い師がつかっているだけで、誰もが年季のはいった古鏡だとおもって疑わない。先入観とは便利なものだ。
観客が解散したところで、通りがかったらしい先輩の女官に声を掛けられる。
「妙、なにやってんの。休憩は終わりよ。宮に戻って、ちゃきちゃき働きな」
「はいはい、先輩。すぐにいきますよっと」
妙は袖を振り、配属された宮への帰路につく。
易 妙は下級女官だ。一カ月前までは都で占い師を営んでいたが、野盗まがいの官吏に誘拐されて後宮に放りこまれた。後宮にあがるはずだった姑娘が死んだかなにかで数あわせに連れてこられたらしい。まったくもって、はた迷惑な話だ。
帰り道を急ぎながら、妙は客から貰った饅頭を頬張る。
「うっまぁ……」
饅頭とはいわゆる具のない包子だが、後宮の饅頭はいい小麦がつかわれているのか、しっかりとした重さがあるのに、ふわふわで塩梅が絶妙だ。
(男どもに麻袋を被せられて、担がれたときは、どうなることかとおもったけど)
普通に考えて、福か厄かといわれたら、紛れもない災難なのだが、妙はいたくご満悦だった。
(家賃を払わなくても屋頂のあるところで眠れて、食うにはこまらない。時々こうしていい物も食べられる――にゃはあ、後宮に連れてこられてよかったあ)
饅頭をたいらげてから、妙は盛大に転んだ嬪のことを考える。
(彼女はまた訪るだろうな)
占い師なんか信頼できないと頑なに言い張っているものほど、きっかけがあれば、占いにドはまりするものだ。まして彼女は、厄に遭った。今度は福を招くにはどうすればいいか教えてくれと頼ってくるに違いない。
なぜ、わかるのか。
答えはかんたん。
それが心理というものだからだ。