表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

昔に思えば、昔がかえってくる

作者: 花咲き荘




 古い木造建ての一軒家には、長い長い沈黙が横たわっていて、未だ少し肌寒い空気が吹き付けていた。

 

 保子(やすこ)は湯呑にお茶を注ぐ。

 白い湯気が立っていて、皺の多い保子の手にほのかな温もりが伝う。


「はい、お茶おいとくねぇ」

「……」


 黙って新聞を読み続ける孝蔵(こうぞう)。若い時は黒く艶のあった髪も、今では真っ白。

 お互いに年を取った。

 もう日常となった沈黙に、保子はもう何も感じない。


 そんな光景を見続けていた娘の(りん)は、年老いた父親をまじまじと見つめる。

 出されたお茶に手を付ける様子はなく、保子が丁度いい温度に調節したお茶は、どんどんと冷めていってしまうだろう。


 久しぶりに実家に帰ってきていた凛は、二人の冷めた関係を見つめながら口を開く。


「飲まずにいたら冷めちゃうよ」

「……」


 お茶を出されたことも、娘に注意されたこともしっかりと届いている。

 しかし、孝蔵は黙ったまま乾いた音を立てながら新聞紙をめくる。

 大した事は書いていない。


「凛〜。 ちょっと来てぇ」

「はいはーい!」


 二階から聞こえてきた母親の声に、凛は大きく返事をして立ち上がる。

 木目の螺旋階段を軽やかな足取りと駆け上がり、空き部屋に足を踏み入れた。


 以前は父が使っていたが、もう随分前に使わなくなった部屋だ。


 腰の曲がった保子は、一つ一つゆっくりと段ボールを開いて中身を確認していく。

 保子は、久しぶりに帰ってきた娘に、思い出の品を譲ろうと考えていた。

 今の若者が何を好むのか分からない保子は、本人から意見を貰おうと考えたのだ。


 せっかくの申し出なので、凛も喜んで思い出の品を頂くことにした。

 部屋の押し入れに詰め込まれた段ボールを引っ張り出して、中身を確認する。

 年代物ばかりで、凛の趣味に合うものは殆どない。

 次々と段ボールを開けていくと、凛は一冊のアルバムに目が留まる。


「あれ、これって」


 凛は浅緑色の「アルバム」を手に取る。

 昔からこの色だったのか、色褪せてこの色に変色したのか。

 ざらざらとした感触は、どこか懐かしい。


「ねぇ、これってお母さんの?」


 凛は、隣で荷物を整理していた保子に声をかける。

 保子は一瞬目を大きく開いた後、目じりに皺を作った。


「……あら。ふふっ、懐かしい」


 保子はアルバムを受け取って、一番前のページを開く。

 このアルバムは保子の物ではない。

 ただ、何度か孝蔵の目を盗んで見ていたものだ。

 結局、最後の方は目を通せないままだった。


「あ、この家だ! 白黒だけど変わらないねー!」


 白黒の写真には、建てたばかりのこの家と、まだ黒い髪の二人の姿が映っていた。

 本当に懐かしい。

 ゆっくりとページをめくろうとする。

 すると、半開きの扉を開けて、孝蔵が顔を出した。


「婆さん、腹が空いたんだが――」


 孝蔵は、保子が手に持っていた浅緑のアルバムを見て声を飲み込む。


「ちょっと待っててねぇー。……よいっしょ! 今からやるからねぇ」

「あ、手伝うよ!」


 保子の後を追うように、凛も部屋を出ていった。

 部屋に一人残された孝蔵は、棚に置かれた思い出を手にする。


「……懐かしいなぁ」


 これは、家を建てた日。

 せっせと貯めたお金で建てた一軒家。


 これは、もっと前。

 ボロボロのアパートの一室で取った写真。お金はなかったが、楽しかった。



 これは、もっと前。

 これも。これも……。


 ゆっくりと手が動く。懐かしい思い出が、孝蔵の頭の中で思い返される。


 最後のページをめくると、裏表紙には小さなポケットがあり、孝蔵はすっとそこから一枚の写真を取り出す。


「これは、また懐かしいものが……」


 これは、保子にも見せたことがない。

 撮ったことさえも教えていない。


 ピンクの花びらは、写真では真っ白に映っている。

 遠くに見える女性は、昔ながらの制服に身を包んでいて、空を舞う花びらを眺めていた。


 孝蔵の心臓が一つ大きく脈打つ。

 今はもう、無くなってしまったはずの古い感情が込み上げてくる。


 孝蔵はゆっくりと写真をもとの場所に戻し、浅緑のアルバムを棚に置く。

 ゆっくりと螺旋階段を降りると、廊下の先には壁にかかったカレンダーを見つめる保子の姿がある。


 50年も前のことなのに、本当に。


「婆さん、明日は久しぶりに桜を見に行かんか」


 孝蔵は優しい声をかける。

 こんな会話、いつぶりだろうか。

 少し気恥ずかしい気持ちを抱きつつ、甘酸っぱい感情が()()を越えていく。


 保子は笑う。


「……ふふっ、いつぶりかしらねぇ」


 保子の笑顔は変わらず綺麗だった。


 昔に思えば、昔は返ってくる。


 それがどんなに、遠い昔でも。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 拝読しました。 孝蔵が、無くなってしまったはずの古い感情と思い込んでいたのは、 当たり前の日常を繰り返すうちに忘れてしまったのか、記憶のアルバムに貼り付けて、 しまい込んでいたのかな、な…
[良い点] 温かい、ほっこりするお話ですね! [一言] 私も、昔の写真を見て懐かしいなーとか昔のことが蘇りますが、 このお爺さんお婆さんは、とても深い思い出があるんでしょうね… 結局は変わらない二…
[良い点] こんばんは。 変わったこともあるけれど、変わらない気持ちもあるのが伝わってくる素敵な作品ですね。 二人が桜並木を仲良く歩く様子まで想像してしまいました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ