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第2章【初等部編】 2-3

「リン、どこに行ってたの」

 教室に戻る途中、ヒイラギがリンに駆け寄ってきた。どうやら授業はもう終わったらしい。駆け寄ってきたところで、隣にいるダイチに気づき、すうっと冷たい目つきになる。


「……なに、そいつ。またリンに何かしたの」

 いつものヒイラギからは考えられないような冷たい声に、リンは慌ててフォローする。

「ううん、大丈夫よ! ダイチ様もお話ししたらわかってくれたみたいだし。……ですよね、ダイチ様?」


 ひょこっと顔を覗き込むと、ダイチは顔を赤らめ、そのままふいっとそっぽを向いてしまう。

「……ああ」

「ほらね!」

 どやっとヒイラギの方を向くと、ヒイラギはますます苦虫をかみつぶしたような顔をし、ぶつぶつと何かをつぶやいた。

「……あいつ、さんざんリンをバカにしていたくせに、今更……リンが魅力的なのはわかってたけど、こんなに早く誰かをたらしこむなんて……」

「なあに?」

「ううん、なんでもないよ」

 ヒイラギはにこっと笑い、そしてリンとダイチをべりっと引きはがす。


「じゃあ、僕たちはこれで失礼しますね。ダイチ様。リン、お昼ごはんを食べに行こう」

 そう言ってヒイラギはリンの手をぐいぐいと引っ張る。去ろうとする2人に、ダイチが後ろから声をかける。


「あ、おい、フォスター!」

「はい?」

 足を止めて振り返ると、顔を赤らめたダイチが言いにくそうに口を開いた。

「その、俺もやりたいこととやらを考えてみる。だから、俺のことは……ダイチと呼び捨てでいい」


 あら、かわいい。

 ヒイラギのことを呼び捨てているリンに対し、自分も仲良くなりたいと思ったのだろうか。

「わかりました、ダイチ。私のこともリンとお呼びください」

「……っああ、わかった」

 ……リン、とぼそっと最後に付け加える。


 握った手が、ぴくっと動き、横をみるとヒイラギのこめかみがぴくぴく動いている気がするが、きっと気のせいだろう。ヒイラギは優しい子だもの。


「それでは、また」

 軽くお辞儀をすると、心なしか歩くスピードを速めたヒイラギに引っ張られ、リンは廊下をあとにした。



「……ねえ、リン。あいつと仲良くなったの」

「ええ、ダイチも話してみたらいい子だったわ。ご両親からずっと教えこまれていたせいで、ああいった考え方になってしまっていたけれど、きっと考え直してくれると思うわ」

「……ふうん」


 もぐもぐと昼食のサンドウィッチを食べながら返すと、ヒイラギはどこか面白くなさそうに、残りのポテトをほおばった。もきゅもきゅと食べる姿がリスのようで、とても愛らしい。


(お姉ちゃんが取られるみたいで、拗ねているのかしら? かわいい!)

 ふふっと笑い、そういえば、と話題を変える。

「そうそう、色々と考えてみたのだけれど、もう1人仲良くなりたい人がいるのよね」

「誰?」

「同じクラスの、ケイ・シュルツ様よ!」


 リンは、入学初日にクラスメイト30名の名前と顔を完全に一致させていた。もっといえば、入学前からクラス名簿を父に頼んで入手し、家柄や家族構成などの基本情報は頭に叩き込んでいた。


(人物プロファイリングはコネクションづくりの基本よね!)

 ダイチと仲良くなったのは完全に計算外だが、次のターゲットはお近づきになりたい理由があった。


「シュルツ家って、たしか新興貴族だよね? ケイ様はシュルツ家の一人息子だったっけ。なんでその子と?」

 リンは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、ふっふっと笑った。


「1つはお家柄ね。ヒイラギが言った通り、シュルツ家はここ2、3年で急速に力を伸ばしてきた成り上がり貴族よ。色々な事業に手を広げているし、お金はたくさんもっているけれど、新興だから知名度とネットワークが弱い。その点、名家のうちとはウィン・ウィンの関係を築けると思うの」

 それに、と続けた。


「もう1つの理由は、シュルツ家の柔軟さよ。伝統がない分、変な偏見も持っていないはず。きっと女子がビジネス街道を進むことにも寛容なはずだわ!」

 実際、ケイを数日観察していたが、ダイチのような高圧的な態度は見られなかった。どちらかというとおっとりとしたタイプで、本を読んでいるのをよく見かける。友人と話しているときも、どちらかというと聞き役に徹することが多く、争いを好まないタイプに見えた。


「ふうん、僕は話したことはないけど、リンがそう思うなら、いいんじゃないかな」

「でしょ!」

 食い気味に目を輝かせるリンに、ヒイラギはひるんだように身を引いた。

「そうと決まったら、善は急げよ! 行きましょう!」

 そんなヒイラギの態度にはお構いなしに、リンは残りのサンドウィッチを口に放り込み、ケイを探しに教室へと向かった。



「おっかしーわね……」

 あのあと、教室でケイを探したが、見当たらなかった。午後の授業も欠席していたようだったので、リンは放課後になると、学園内を歩いてケイを探した。


「……あら?」

 くん、とリンの鼻が反応する。どこからともなく漂うふわっとした甘い香りに、思わず匂いの元をたどってしまう。


(この匂いはパンケーキ……? 甘いバニラみたいな匂い)

 匂いが出てくる教室を見つけ、ひょこっと顔をのぞかせると、そこには探し人が難しい顔でオーブンの中を見つめていた。


「あっ、ケイ様!」

 思わず声を出すと、ケイは飛び上がって、こちらを振り返った。


「ああ、突然ごめんなさい! 私、同じクラスのリン・フォスターです。何をしていらっしゃるの?」

「ああ、同じクラスの……はじめまして。見ての通り、クッキーを焼いています」

「クッキー!」


 リンは目を輝かせた。何を隠そう、リンは大のスイーツ好きである。前世では、仕事帰りにコンビニに立ち寄って、ちょっとお高めのコンビニスイーツを買って帰るのが日々の楽しみだった。

(ああ、なつかしい……ローソンのゴディバコラボスイーツ、もう1回食べたいなあ)


 って、そんなことを考えている場合じゃなく。

「ケイ様、もしよかったら少しお話ししませんか?」

「自分と……ですか?」

 ケイははて、と首を傾げる。

「はい、ぜひケイ様とお話ししてみたいと思っていたのです!」


 ケイは数秒、じっと私の顔を見つめていたかと思うと、にこっと笑った。

「ええ、構いませんよ。もう少しでクッキーが焼き上がりますので、ティータイムといたしましょう」



「ふわーーおいしい!」

 リンは思わず、感嘆の声をあげた。ケイが焼いてくれたクッキーが見事なもので、サクサクっと甘さ控えめなうえ、焼き立てということも相まって、リンの胃袋をがっちり掴んだ。

「気に入っていただけたようで、何よりです」

 そう言って、優雅に紅茶をすするケイは、ダイチよりよほど貴族らしかった。


「それで、お話とはなんでしょう?」

 やんわりと話を促すケイに、リンははっとなった。

「あ、そうだったわ、ごめんなさい。お話というほどのことでもないのだけれど……実は私、あなたとお友達になりたいのです」

「お友達、ですか」


 そうです、とリンは続ける。

「この世界では女性は男性を支えるものだとされていますが、私は自分で自分のやりたいことを決めたいのです。だから修道院ではなく、この学園に入学しました。そしてやりたいことをやるためには、仲間が必要なんです」

「やりたいことのために友人がほしいということですか? なぜ自分なのです?」


 随分と大人びている。転生している自分や、自分と幼い頃から一緒に育ったヒイラギはともかく、普通このくらいの年齢であれば、ダイチのような振る舞いが一般的だ。ケイは年齢にしては随分と落ち着いている。その深い緑色の瞳で見つめられると、考えていることがすべて見透かされそうに思える。


「そうですね、正直に申し上げますと、私のような変わった女子を受け入れる文化はまだこの世界では根付いていないと思うのです。誰が受け入れてくれそうかな、と思って観察をしていたんですが、ケイ様はあまり伝統的ではない価値観でお育ちになったようですし、実際、クラスでもご友人のお話しをきちんと聞いていらっしゃいました。ですから、ぜひお友達になりたいと思ったのです」


 ケイは、まだリンをじっと見ている。その深緑の瞳からは、何を考えているかは読めない。数拍おいて、ケイが口を開いた。

「……かまいませんよ。お友達になるくらいでしたら」

「本当ですか!?」

 リンは目を輝かせた。それを見たケイは、にっこり笑った。


「ええ、クラスメイトの範囲でしたら、ですけれど」

「……え?」


 何を言っているかよく呑み込めないリンに対し、ケイは言葉を重ねた。

「クラスメイトとして仲良くなる分には、かまいませんよ。それ以上でも以下でもないので、特に自分に深入りしないでいただければ」

「ちょ、ちょっと待ってください。それではただのクラスメイトではありませんか。私はもっと、親しい友人になりたくて……」


 それを聞いたケイは、くすりと笑った。

「可笑しなことをおっしゃるんですね。だって、あなたは自分のことを何もご存じないじゃありませんか。あなたはただ、あなた自身に利益をもたらす人がほしいだけでしょう? それは友人とは呼べないのではありませんか」


 リンは言葉につまった。その通りだった。

「あなたが自分のことを利用したいなら、それでもかまいません。もともとこの学園は、そういった関係を築く場所だと伺っています。ただ、自分はあなたのことは信用しませんし、友人だとも思いませんが」

「あの、ごめんなさい、言葉が悪かったわ。そうじゃなくて、私は……」

「女性が1人で学園に来るというから、どんなものかと思っていたのですが、どうやら他の令嬢方と変わらないようですね。媚を売って、自分の利益だけを考えて、それで友人だなんて、おこがましいですよ」


 ふんわりとした口調は崩さずに、きっぱりと否定の意思を示すケイに、リンは言葉を失う。

「あなたがやりたいことがおありなのでしたら、どうぞご自由に。自分は関わりませんが、クラスメイトとして、今後も適度にお付き合いいたしましょう」


 そう言うと、ケイは自分のティーカップを持って、さっさと去ってしまった。


(ああ、これは、自業自得だわ……)

 リンは、自己嫌悪に陥った。年下だからといって、完全に舐めていた。たしかにリンは、ケイのことを利害関係でしか見ていなくて、ケイ自身のことを何一つ知ろうともしていなかったのだ。


 リンは残ったクッキーをぱきん、と口の中で折ったが、なぜだか乾いた味がした。

次回、入学祭。

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