017 あの日の言葉
二階のバルコニーからは、裏庭と王都の街並みが見渡せて、優しく頬を打つ風は、甘いパンの香りがした。
街には豊穣祭の飾りが微かに残っていて、あの夜を思い出すと胸の辺りが苦しくなった。嬉しい気持ちと、それに応えられない自分の気持ちが入り雑ざり、ヴェルネル様に何と伝えるべきか、言葉選びに迷っていた。
「まだ、豊穣祭の飾りが街を彩っている。実は、私も初めて行ったのだ」
「そうなのですね」
ヴェルネル様は私の首元を見ると、悲しげに微笑む。
あの夜いただいたネックレスは部屋に置いてきた。
フィリエルは着けていくことを推していたけれど、ヴェルネル様の気持ちに応えられないのに、それは良くないと思ったから。
「あの祭りの夜……コレットの妹が、私の弟とキスをしていた」
「はい。……はい?」
想定外の話を振られて変な声が出た。
ヴェルネル様の弟は、ガスパルよね。
じゃあ、フィリエルが言っていたガスパルの浮気って……。
「ガスパルは好かれているだけだから仕方ない。一番大切な人はフィリエルだと言うが、私はフィリエルに合わす顔がないよ。父は……ダヴィア侯爵は、一方的に婚約を破棄したフィリエルに激怒していたが、ガスパルとヒルベルタの事を指摘したら静かになったよ。……恐らくフィリエルは君にすら言わないのだろうから、私から伝えておこうと思ったのだ」
「え、えっと……。頭が追い付かなくて、すみません。でも、ヒルベルタはヴェルネル様を……」
「何とも思っていないだろう。顔を見れば大抵の事は分かる。ガスパルは自分は間違っていないと思い込んでいるし、君の妹は目の前にある魅力的な物にすぐ手を伸ばして欲しがるだけで、物への愛を感じない」
ヴェルネル様の言う通りだ。
ヒルベルタは、何でも欲しがる。
私の物だけだと思っていたけれど、違った。
フィリエルの髪飾りもメイドも欲しがっていた。
そして、他の人の物でも構わず欲しがり、飽きたら捨てる。サリアの件のように、それは人に対しても。
「ごめんなさい。私の妹が……」
「酷いのは私の弟だ。育った環境の影響もあるかもしれないが、もう分別のつかない子供ではない。そろそろ自分で気付かなくてはいけないのだ」
「私が、甘やかしてしまったのがいけなかったのです」
「それは私にも言えることだ。あの二人はこれから社会の目に晒され、自分が何をして何を裁かれるのか、身をもって経験するしか変われる道はないのかもしれない。もう私達は、見守るしか出来ないのだよ。――それから、君の妹は学園を休んでいるようだ。課題もやらず遊び呆けていて、このままでは退学だろうな」
「そうですか。自分で何の努力もしてこなかったから……」
「君が気に掛けることではないよ。だから、フィリエルも君に言わないのだろう。――コレット、私達は似ていると思わないか? 親に認められず、家族の中にいるのに、孤独を感じて生きてきた。でも、君と再会して分かったことがある。君は、私の申し出を断ろうとしているのだろう?」
「えっ。どうして分か……ぇっと」
言いかけた言葉を濁して口を閉ざすと、ヴェルネル様は参ったな、なんて呟きながら笑ってくれた。
「ずっと周りの顔色を窺って生きてきたからな。自分へ向けられる感情や言葉、些細な仕草で分かってしまうのだよ。だから、あの日の言葉を少しだけ訂正させてくれ」
「訂正?」
「ああ。まずは私と友人になってくれないか? まだ私達は知り合ったばかりのようなものだから、困っているのだろう? それに君は今、やりたいことが沢山あるようだ。それを阻害したくない。友人から始めよう」
「友人……」
ヴェルネル様は私の手を取り、いつもの優しい顔で微笑んだ。友人って……フィリエルやレンリみたいな感じかな。
「ああ。あ、でも、コレットに好かれるという自信はあるんだ。さっき、友人になって欲しいと言った時、君はホッとしていた。それは私を嫌いではない証拠だ。あ、こいつ面倒だな。なんて思わなかっただろう?」
「はい。思いませんでした。ふふっ。ヴェルネル様がこんな方だって知りませんでした。手紙でも……ぁっ」
遠くから眺めていた時とは違う、ヴェルネル様の意外な言葉の数々に可笑しくなってしまい、つい余計なことまで口にしてしまった。
「手紙? まさか、レンリから受け取ったのか?」
「はい」
だから、こちらこそすみませんでした何て言っていたのか。とヴェルネル様は小声で漏らし笑っていて、私もつられて笑った。
「コレット。いい顔で笑うようになったね」
「ヴェルネル様が…………、私をあの家から連れ出そうとしてくれたお陰です。私が今ここにいられるのは──」
「そんなことは無い。私は力足らずだったからな。公爵家の家庭教師に選ばれたのはコレットの力だ。ラシュレ家はどうなのだ?」
「私、ラシュレ家でのお仕事がとても好きなんです。初めて誰かから必要とされて、心が満たされるんです」
「どんな仕事をしているのだ?」
「えっと、ですね――」
ヴェルネル様は私の仕事を楽しそうに聞いてくれて、ご自身の仕事についても教えてくれた。




