001 縁談
突然現れたイリヤ様は、縁談を断られたことに納得しておらず、王都に来たついでにラシュレ領に立ち寄ったそうだ。
今夜は本館に泊まり、十数名の連れの騎士達は訓練所で寝泊まる。合同訓練が出来るという事で、団員達は大歓迎だった。
明日は合同訓練をし、夜は豊穣祭へ行く予定だ。
イリヤ様は、王都で豊穣祭の準備を目撃したらしく、メルヒオール様に案内するように願い出たそうだ。
エミルはその話をレンリから聞いて、また酷く落胆していた。
「メルヒオールさんと行きたかったのに……」
「それは来年にして、明日は僕とコレットと三人で行きましょう」
「うん。……分かった」
一度は納得したエミルだけれど、きっとまたごねるのだろうな、と私は予想していた。しかし、読み聞かせに行った時、エミルはとてもご機嫌だった。
「エミル。ご機嫌みたいね」
「うん。メルヒオールさん、明日一緒に行けるって!」
「えっ? ですが……」
「早く読んでくれ」
「はい……」
数ページ読むと、いつものようにエミルはぐっすり眠ってしまい、私は不機嫌そうなメルヒオール様に尋ねた。
「イリヤ様を豊穣祭へご案内するのではないのですか?」
「夕食を共にした。もういいだろ」
「駄目ですよ。隣国の侯爵令嬢様ですよ」
「明日の訓練も付き合わされる。充分だろ。それに、祭りはエミルと行くから行けないと伝えた」
「わざわざいらしたのに、イリヤ様が可哀想です」
「何故君は、いつもイリヤ殿の肩を持つのだ? 俺はそれが……」
メルヒオール様は私を睨んだまま口ごもり、目を逸らすとソファーに深く座り直した。
「それが何なのですか?」
「一番気に入らない」
「どうしてそんなに怒って……」
「怒ってなどいないっ!」
メルヒオール様が強く言い切ると、エミルが眉根を寄せて声を漏らした。
「ぅー」
メルヒオール様は慌ててエミルを抱き上げ、眉間には深いシワを刻んで私を睨んでいた。大きな声を出したのも、怒ったのもメルヒオール様なのに。
「私は失礼します。お休みなさいませ」
私は深く礼をし部屋を急ぎ足で出た。
あれぐらいの事で怒るなんて。
でも、メルヒオール様が怒るのって初めてかもしれない。
やっぱり、私が言い過ぎたのだわ。そう反省しながら自室に戻りベッドに倒れ込むと、扉を誰かがノックした。
レンリかしら。こんな時間に部屋に来ることなんて今までなかったのに。
「はーい」
「失礼する」
「へ?」
答えたのは凛とした女性の声で、開いた扉の向こうに立っていたのは、イリヤ様だった。
◇◇◇◇
翌朝。いつもの食卓にイリヤ様がいる。
エミルとメルヒオール様の向かいに座り笑顔を振り撒いている。
昨夜、イリヤ様はメルヒオール様が私の部屋に寝泊まりしていると思って突撃してきた。部屋を見るとすぐに疑いは晴れ、エミルの部屋で寝ていることを伝えると、本館へ戻っていったのだけれど、今朝早くからまたいらっしゃった。
イリヤ様は、メルヒオール様に気に入られるにはエミルに気に入られればよいと考えたらしく、今日一日私の代わりにエミルの家庭教師をすると宣言したのだ。
「協力してくれ。コレット殿」
と懇願されて頷いてしまった。レンリに話したら、また面倒くさいことを。と呆れられた。
でもいいか。エミルは凄く喜んでいるから。
「イリヤさんも今日、お祭り一緒に行くの?」
「ええ。コレット殿とレンリ殿はご用事があるから、メルヒオール様とエミル様と私の三人で行くぞ」
「えっ。そうなの? それは嫌だな」
「エミル。イリヤ様は隣国からいらした客人ですよ。しっかりおもてなしして差し上げなくてはなりませんよ」
「そっか。分かった」
エミルはレンリの言葉に渋々納得し、メルヒオール様は物凄い形相でレンリを睨んでいた。
「エミル様は何と素晴らしい紳士なのだ。今日はよろしく頼むぞ。メルヒオール様……も」
イリヤ様はメルヒオール様に目を向け顔を引きつらせた。レンリの言葉を聞いて更に殺気立つメルヒオール様を見れば、正常な反応だ。
「メルヒオール様。今日は家庭教師のお仕事をイリヤ様が代わってくださいますので、よろしくお願いします。では私とレンリは失礼致します」
「お、おいっ」
邪魔をしてはいけないので、ハミルトンさんと相談し、私とレンリは東館の普段使っていない部屋の掃除をすることにしていた。
書庫と、裏庭の温室の片付けの予定で、夜はレンリと二人で少しだけ祭りに行ってみようかと話している。
「書庫からやりますか」
「そうね。エミルが好きそうな本があったら出しておこうかしら」
「そうですね」
でも、レンリと二階へ上がろうとした時、急に後ろに腕を引かれた。
振り返るとメルヒオール様がいた。
「どういうことだ」
「へっ? どうと言われましても――」
「旦那様。ラシュレ家の当主として、イリヤ様にこの国の良いところを知っていただかなければなりません。お戻りくださいませ」
ハミルトンさんは私の言葉を遮りそう告げるが、メルヒオール様は納得のいかない顔つきで睨み返したので、さらに言葉を続けた。
「では、はっきり申し上げます。旦那様が睨みを利かせても笑顔を崩さず好意を寄せてくださる女性などイリヤ様しかおりません。使用人一同、イリヤ様の味方にございます」




